唯一無二の

先ごろ公開されたTHE YELLOW MONKEYのFCコンテンツ「TYM TRAVEL」の話をいまさらしようと思う。今回取り上げられたのは2016年。言わずもがな再集結の年だ。FCコンテンツなので全文を引用するわけにいかないが、要旨としてはこんなところだ。吉井が自分たちの再結成について話を振り、あるミュージシャンのインタビュー記事を引いて、再結成したとしても昔のようになれるわけではないし、ファンは当時の自分になぞらえて聴く(ノスタルジー配給係としての役割というやつだね)ことになる、そういう側面は確かにある、と言い、アニーはそれについて、昔美味しいと思っていたお菓子を大人になって食べてもそうでもなかったりすることってある、と言葉を重ねている。

 

それに対してエマは、じゃあ続けてたらどうだったんだという話になる、ずっと食べ続けていたらそうは感じなかったのでは、と返しているのだ。

 

私はこのエマの返答を見た時に、エマはほんとうに変わらないな、と思い、そしてそのエマの変わらなさに、わたしはずいぶんオタクとしての命を助けられてきたな、と思ったのだった。

 

ちなみに、アニーはこの「昔のお菓子」のたとえと全く同じ話を過去にもしている。ちょうど10年前、バンドの結成20周年を記念して、解散した、既に存在していないバンドにしてはかなりにぎにぎしく行われたリリースやイベントと共に発売された音楽雑誌のインタビューで、かれはこう言っている。

 

「ファンの人もさ、時間が経てば経つほどさ………たとえば昔大好きだったお菓子があります、20年ぶりに食べました、『あれっ、こんなんだっけ?』って思うことあるじゃない?自分の中で誇張していっちゃう部分ってやっぱりあると思う。(中略)時間が経てば経つほど、ハードルは上がってっちゃうような気もするよね。」

 

バンドが再結成する未来はまったく見えていなかったときにも(同じ雑誌のインタビューで吉井はインタビュアーの井上貴子さんに向かって「(再結成を)ホントに観たいのかな?井上さんだけじゃないのそれ」と発言している)、こういう話をしているということは、アニーはバンドというものを考えた時に、こうしたある種ノスタルジーととられるものとの向き合い方をずっと考えていたということだし、それはすごく誠実なことだ。

 

それに対するエマの「続けていたらどうだったんだという話になる」という言葉、それに続く「続けていたら過去は過去のまま、今も今がある、そこにブランクがあったからといって差があるのか」という言葉は、解散して、再集結して、そこから過去を振り返った発言というよりも、解散しないですべてが地続きであったとしても、という、現実にはなかった、使われなかった人生への視点が入っている言葉だ。とはいえ、現実にはバンドは解散したのだから、そんな使われなかった人生に目線を送ることはあまり意味がないのかもしれない。「あの時解散していたから今がある」「解散していなかったら(こんな幸福な今は)なかった」という文脈のほうが、ずっと飲み込みやすい。

 

私がエマは変わらないな、と思ったのは、あの解散を知らせる手紙のことを思い出したからだ。夏の暑い盛りに届いた白い手紙。吉井、エマ、ヒーセ、アニーの順でそれぞれのコメントが書かれていた。エマのコメントはこう始まる。

 

「この4人で音を出せば唯一無二のTHE YELLOW MONKEYであると今でも自分は信じています。それだけで十分とは言いませんが、あの時よりパワーアップするだとか、上を行くだとかいうことは、あまり重要なことではないと今の自分は思いますし、何をしてそうなのか難しいところです。」

 

あの文面に書かれたこのエマのコメントは、たぶんエマが思っている以上に多くのファンの情熱を、情熱というのはつまりファンにとっての命のようなものだから、その情熱を救ってくれたのじゃないかと思う。すくなくとも私はそうだった。これはささやかな抵抗というようなものだったのかもしれないが(解散に際したインタビューで、解散とは違う感情が育ったことを言っておかないとな、という気持ちがあったと言っている)、そのささやかな抵抗を示してくれたひとがいたということが、どれだけありがたかったことか。解散の是非とかそういう話ではもちろんなく、抵抗を言葉にしてくれたというありがたさ。

 

続けていたら過去は過去のまま、そして今は今がある。どちらの分岐をたどったとしても、変わらないのは、そして大事なのは、4人がTHE YELLOW MONKEYとして音を出すことだ、とエマはずっと言っていて、それは「ちょっとした負い目があった」という吉井にとっても、そしてもちろん再結成とは切り離せないある種のノスタルジーとの向き合い方を考えていたアニーやヒーセにとっても、そういう存在がバンドにひとりいてくれることは、すごく大きなことだったんじゃないかと思うのだ。

 

なんて、もちろんこれはわたしのヲタヲタしい妄想にすぎないわけなのだけど、その妄想の源となるのはファンとしての情熱で、そしてやっぱり、わたしはそのファンとしての命ともいうべき情熱をエマによってずいぶん助けられてきたわけです。

誰が何といおうと、それだけは間違いない。