LUNA SEAが2000年の解散以来7年ぶりに一夜限りの再結成、12月24日に東京ドームでライブをするらしい。
わー。
ミュージックマシーンのタクヤさんも言っていたけどほんとに今年は再結成の年ですね。これでYoshikiの宣言どおりX-JAPANが年末に復活するとほんとにすごいことになりそう。
私はLUNA SEAが活動している間、そんなに熱心に彼らの音楽に耳を傾けていたわけではないし、愛着だってないけれど、でもTHE YELLOW MONKEYの活動休止と彼らの「終幕」が時期的に重なっていたというのもあって、解散・・・つらいだろうなあ、ファンの子・・・うちもいつかそうなんのかなー、とすごく自分に引き寄せて考えてしまった覚えがある。
で、再結成話を聴いて、じゃあうちは?と考えるかって話なんですけど、それはもう考えるも考えないも考えてもしょうがないのでそういう話はおいといて(なんだそら)、先日ね、こちらのblogで頂いたコメントで、ソロになってからのファンで後追いでイエローモンキーを知りましたと、彼らを生で一度でいいから見てみたい、と思うと同時に、ソロがすごく好きだから、バンドやります!ソロやめます!ってなってしまったらそれはそれで複雑だし、ずっとソロ活動も応援したい、というようなことを書いていただいて、はっと胸を衝かれるというか、私個人はやっぱりどうしてもイエローモンキーへの妄執が抜きがたくあるけれど、でもたとえばこれを奥田民生というひとに置き換えたらすごく気持ちがわかるなと思ったのだった。それでそういう風に思ってくれるファンを(バンド時代を知っている知らないに関わらず)増やしていくことって、やっぱりすごく大変だけど大事なことだよなあとも思ったのだった。
でもそれが=バンド時代の曲に頼るな、ってのはまた違うと思うんですよねい。
話がどんどんとっちらかりつつあるうえにもはやLUNA SEAの再結成話からもまったく関係のないところに飛ぶわけですが、先日の武道館のイベントでJAMをやったりゲストに出てLOVE COMMUNICATIONをやったりっていう、つーか私はこういうことがあるたびにいちいち食いついてみっともない限りなんですけど、それに対してネガティブな感情を抱くこと自体をまるまる否定したくはないです、でもすくなくとも今回の件は、どちらも相手に求められたもので、10年以上経ってなお人から求められるものを過去に作ったことはすごいことだし、何より彼を呼ぶ電話があるということを私は単純に嬉しいと思う。バンド時代の曲しか求められないならやりません、そういう姿勢を貫くひともなかにはいるかもしれないけれど、私は吉井がそういう頑なさをもたないことを素直に喜びたいなあと思う。田村さんがずっとイエローモンキーかっこいいねって言ってくれていて、昔スピッツでコピーしたことがあるんだよって言ってくれて、それを20周年にあのバンドの皆がわざわざ練習してくれたことが嬉しいし、和田くんがJAMをやることを光栄なことって言ってくれて、それをまたトライセラの皆が敬意をもってコピーしてくれたことも嬉しいです。私は残念ながらどちらも実際に耳にすることができなかったけれど、その場にいたひとたちの話を聴いたり読んだりするだけでも嬉しかった。
ヲタなんてたいがい自分で勝手にアーティストやバンドに対する物語を思い描いてしまうものだし、それは彼らを楽しむ為の大いなる方便のひとつでもあって、だいたい私なんて妄想空想とりまぜていちいち脳内吉井和哉物語を描くのが三度の飯より好きみたいな人間ですけど、でもやっぱりそれは自分の文法での物語にすぎない。私の敬愛するブロガーの方の言葉ですが「自分が見たい物語にこだわりすぎるあまり目の前で起こっていることを見逃してしまっては本末転倒だ。物語より美学より常識より論理より倫理より、アイドル本人の方が大切じゃないのか。」っていうのはもうすごい真実なんじゃないかと思うわけです。
最近の吉井のインタビューを読んでいてよく出てくる言葉だけど、人にどう思われてもいいと思う、傷つくひとがいたら、それは申し訳ないごめんねって、でも俺はやりたいことをやるよ。実際にそう思っているのか、そう思おうとしているのかはともかく、彼はもうそれが人に求められている物語なのかどうなのかということに気持ちを割くことはしないんだろう。それは実際すごく大変なことでもあるけれど、でもそれこそがイエローモンキーの、という形容詞のつかない吉井和哉に愛着をもつひとを育てていくために大切なことなんじゃないだろうかと思います。