こういうときに、適度に意地悪で、適度に情けなく、適度に楽観的で適度に悲観的な、そして何より「笑える」文章を書くというのはまったくもって至難の業であることだなあ(詠嘆調)。愛なんていらない、ゲイが、あっちがった芸ある文章が書きたい。日暮れて道なお未だ遠し。
写真週刊誌は見てないんですけど(でもネットで写真は見た!)、webのニュースを見てていろいろツッコミたい衝動に駆られつつ、今の彼氏は元動物ですとか言ったら面白かったのにとか(いや面白くないか)、なにより素で二度見したのが
器が…大きい?
誰の?
とか思って本当にすいませんでした(土下座)
ナニはでかいそうです(せっちゃん情報)(オゲフィンですよ!)
しかし昨日からこっち私の頭の中で巡っている文章は、かつて「病重い想い」というエントリでも引用させていただいたある人の言葉なのだった。自分のブログを検索して(jugemの何がいいって検索がしやすいところだよ)、ああそうだよな、と何回も頷いています。
同じように、メンバーのプライベートについて、知りたいと思うのも自由。
それが自分にとって、すごく重要なことなのも自由。
THE YELLOW MONKEYに求めるものは、それぞれ違うから。
けど、そういうことを知りたくないと思っているひとがいることも知って欲しい。
敢えて話題にしようとしない、公での発言は控えているひとがいることも知って欲しい。
それをわかっている上で、それでもというのなら、
それがそこまでの情熱と意味を持った行動であるならば、私は何も言いたくない。
同じように、メンバーのプライベートについて、知りたくないと思うのも自由。
それが無意味なことだと思うのも自由。
THE YELLOW MONKEYの捉え方は、それぞれ違うから。
だけど、自分とは異なった考えを持ったひとを否定することばかりが、
自分の主張になっているひとを、不愉快に見ているひとがいるのも知って欲しい。
私は自分の性格として個人というものよりも集団に入れ込むタチだし、そして板から降りた「彼ら」がどこか自分の熱狂の対象から外れているということもあって、こういうニュースは「オモシロ半分」みたいなところが多いですけれど、でも真剣に傷つくひともいるだろうし落ち込むひともいるだろうしそれはほんとどっちがえらいとか愛があるとかないとかじゃない、ましてや「本当のファン」なんてものを計る物差しになんかなりやしないのであって、たとえばこれで熱狂が醒めて離れてしまうひとがいたとしてもそれはそれじゃないでしょうか。
でもあれだよ、捨ててしまったもの帰ってこないけれど、なくしてしまったものなら急に帰ってくることあるんだぜ。
って、私の長くないファン人生でも実感をこめてそうおもいます。
君が手を離さなけりゃ、いつだって吉井ちゃんはきみのものさ。
なーんてな!