過去の声 未来の音

デザインをがらっと変えたついでにエントリをあげようと思っていたのに(いや逆、逆)庇を貸してじゃないけどデザインだけ変えて終了!になっていた件。こんばんは。目に眩しいイエローカラーでお送りしております。

先日モバイルで吉井ちゃんが「そうそう清水にも商店街あったねスマンスマン」みたいなことを書いてらっしゃいましたが、そうそう清水、あるね商店街…清水駅前銀座商店街…なつかしいね…それこそ昨日の怒り新党じゃないけれど、いつまでも閉店セールをやっているようなお店がありましたね。その節はなんだか色々お世話になりました。ところで清水港で撮影ってどんな…?以前ビルマニアのPVを三保の博物館で撮ったときもそうだったけど、あの日常空間に吉井がいる姿想像すると不思議な感じがするわあ。

ところで今から気持ち悪い話をしますけれど、先日からこっちうちのblogに「吉井 自伝」で検索に来る人がめちゃくちゃ多くて(というか、更新してないのに目ん玉飛び出るような訪問者数でびっくりしたわいなあ)、あれっそういえば私自伝の感想とかどんなふうに書いてたんだっけーと思って自分の昔のテキストを読んだりしていたのじゃよ。そしたら、自分でも書いたことを覚えてないっつーか、あっ私そんなこと書いてたんだっけ、って改めて思っただけにとどまらず、読んでうっかり「ほうほう…」とか読みふけってしまったっていうもうほんとすいません。

いやーあのときも、いっぱいいろいろ考えてたんだろうね…つって、それを覚えてないあたりが凡人の悲しさですが、でもまあなんつーか、覚えてなくても変わらないな考えていることは、と思いました。自伝を読んだときに、「人の人生にダメだし出来るほど、私も人生やりきってない」って書いてるの見てへーっ、とか、うんなんだこの一人上手。

十人十色じゃないですけど、人の数だけ思うことも言いたいことも違うんだろうなと思うし、自分の思ったところを言葉にしてみる(もちろん言葉にして発信した責任は取る)というのも気持ちの整理にはとても有用ですけれど、私の場合は過去の自分がすでに言葉にしてくれてたなと思ったんですよね。

な、ほら、気持ち悪い話だろう。

もう夜中だし、あとは寝るだけなので、このままどうでもいいことを書くけれど、吉井さんは最近「ファンにしあわせになってほしい」みたいなこと、良く言いますよね。ファンの幸せがぼくの幸せだ、ってそこまでは言ってないか?でももう僕にはそれだけだから、みたいなこと、言ってたような気がする。

ありがとうありがとう、そんな気持ちが嬉しいよ、だけどさああ吉井さん、じゃあ吉井さんの幸せが私の幸せなのかっつったら、たぶん違うと思うんだよ。だって吉井さんが必ずしも幸せじゃなかったとき、わたしは最高に幸せだったことがあるんだもの。

ファンってほんとに自分勝手でいい加減なもんだよ、少なくとも私はそうなんだと思うよ、自分勝手じゃ吉井さんも負けないかもだけど、多分イイ勝負だと思うよ。だってわからないもの、愛があるっていうけれど、この私の感情は愛情なの?愛情と欲望はどうちがうの?欲望と執着はどうちがうの?執着と見栄はどうちがうの?

勝手なわたし(たち)のことなんか、振り返らなくてもいいんだよって思うよ。すきにすればいーんだよ。こっちも好きにやってるからさ。吉井和哉と目を合わせて語りあいたいっておもうんじゃなくて、吉井和哉が行く先を見たいっておもうよ、ただそれだけ。

ほんとにただそれだけだよ。

2008.2.7