まだまだまだ やめない

映画「パンドラ」、28日に見てきました。
さて感想、と思ってPCを立ち上げてふと手が止まる。困った。
なぜなら私はこの映画で感じたことのほとんどを、どこかで一度は文章にして吐きだしているような気がするからだ。そりゃ、このblogだけでも約7年、ホームページで書いていたころも入れれば14年?インターネットの片隅におのれの心情を垂れ流すということをやっているのだから、「いつかきた道」感があってもそりゃしょうがないってもんだ。

ことに2007年3月10日に書いた「今日もまた何かの初日」と、2007年5月7日に書いた「forever」は、我田引水しまくれば「もうこれが、いまのわたしのきもちです」とそのまま差し出してもおかしくないような気さえするのだった。ことに、今時間が巻き戻ってあの時間のあの場所に立っていたとしたら、たとえこの先に起こることを知っていたとしても私は拳を挙げるだろう、というのはあの映画を見てますます強くなった気持ちでもある。

何台ものカメラを設置してあらゆる角度から狙う、というような用意周到なものではなくて、撮影用の単体のカメラでただ撮っているような映像でも、彼らはしびれるほどにかっこいい。かっこいいなあ。もうまず、映画を見て最初に思ったことがそれでした。こんなにざらっと撮った映像でも,音でも、こんなにもかっこいい。そりゃ好きになるよな。もう一回時間が巻き戻っても、とやっぱり私は思いました。私きっと、このひとたちのファンになっているに違いないよ。

パンチドランカーツアーの映画が作られる、そしてそこには「よかったこと」だけではなく「今だから明かされる真実」のようなものもどうやら描かれるらしい。お恥ずかしい話ですが、わたしはちょっとどうかと思うほどにびびりまくって、結局のところひとりで見るということをせず「あの頃」を共有したお友達と一緒に見ることにしたのでした。結果的には、そんなにびびりまくる必要なんてなかったと思うのだけれど、でも友達と一緒に見たのは正解だった。パンドラの匣がひらけば当然思い出の扉も開かれるわけで、やっぱり一人ではどうにもこの高揚した気持ちを持て余したんじゃないかなあとおもう。

思わずうふふと笑ってしまうシーンがあったことが、というか、むしろそういうふうにちゃんと作ってくれているのもうれしいところでした。沖縄の撮影でヒーセがシーサーを指さして「他人とは思えない」っていうとことか、あの吉井ぶっ倒れ事件を振り返りながらも「けっこうね、トンチの効いたMCしてんのよ!?」って吉井が言うとことか、トンチて、きみ、昭和か!しかもそのあとに流れたMCはトンチが効いているってより単純にオネエ演技力が高いのを見せつけているだけです本当にありがとうございました。大森さん呼んできて興行収入の試算させるのはまだしも、実際大森さんが来たあとで吉井がヒーセに「なんだっけ、ホラ、単語」ってお前!もう!みたいなね。でもって約40億の興行収入、って試算に吉井「おれ40億ももらってない」エマ「なに一人で全部もらおうとしてんの」爆笑しました。爆笑しました。一ヶ月ぐらい家に帰ってなかったよーホラ俺旅が好きだから、っていうアニーに「家が八王子にあったからじゃん!」って身も蓋もないことつっこむ吉井にアハハそうだねそうだねと受け流すアニーの関係性も相変わらずすぎてステキだったなあ。そういう楽しさ、ばかばかしいことで盛り上がっちゃうこのひとたちの楽しさも私が好きな理由のひとつだったんだよなあって、思い出しました。「外タレになろうとしていた時期があったじゃん、一時期」「外タレらしく解散までいきましたしね」「あっはっは」みたいな、そういう話ができるのも、もうこの話が彼らにとって腫れ物じゃないからなんだろうなあ。

冒頭「あしたのショー」のSUCKがほぼフルでかかるのだが、この「ほぼ」というところがまた絶妙で、本当にフルだったらあれもっと後半が長い筈なんですよ。でもそれぞれのメンバー紹介(がストップモーションでクレジットになるところのかっこよさ!)含めて曲のつなぎ目がまったくわかんないほどスムーズに編集されてて、さすが編集の鬼だぜ高橋栄樹…!と思いましたね。あとエンドロールで流れる「パンチドランカー」、最後に各地の映像を繋げたものになるけど、1曲まるまるその編集のやつをぜひください、くれ、ともだもだしました。ほんとエイキーもはや信頼と安心のブランドだよ…!

インタビューを受けているスタッフの方々も、わあ田中さん!青木さん!今村さん!お懐かしうございます!みたいな、ファンの中でも有名な方々ばかりで、あと大森さんがすっかり好々爺のテイになっていておどろきました。そして大森さんが映画のはじめの方で「見たい、と思ったひとが見られる環境にしたかった」「当日券で売れてちょうどいっぱい、ぐらいが理想」「即完を自慢するような風潮に乗りたくなかった」と仰っていて、もう首がもげるほど頷きまくりました。ああわたし、大森さんと気が合いすぎる。有賀さんが、前日ツイートですごく心配されていて、でもそんな心配無用ですからー!みんな、有賀さんがイエローモンキー大好きってちゃんとわかってますからー!といいたくなった(正直なにをそんな悪役なんて、どの辺が?と思いましたヨ)。倉茂さんの関西なまりも聴けてうれしかったなあ。加藤さんのお顔をあんなにじっくりと拝見したのはたぶん初めてなんじゃないかと思うんですが、画面に映った瞬間「マジ今日一番の男前キタコレ」感がハンパなかったですね。青木さんが、どんな状況でも決して八つ当たりすることがなかった彼らのことを心から尊敬する、と仰ってくださったこと、忘れません。

画面にたくさんのオーディエンスが映るたびに、あそこにあの頃のわたしがいる、って何回も思いました。これも以前に書いたことだけれど「あの頃の私たちはおかしかった。あまりにも夢中で、イレアゲていて、バカで、必死で、みっともなくて、純粋だった。有り体に言えばくるっていた」し、そうであったがゆえの数々のエピソードを、私は友人たちと今も飽くことなく話す。だからこの映画に対しても、どうやってもその近視眼的な見方しかできそうにない。これが実際、このバンドに興味のないひとにどのように映るのかを想像することも、もはや難しい。

けれど、やはり私はこの映画を出来るだけたくさんの人に見て貰いたいとおもう。3月10日、ファイナルの横浜アリーナのステージに備える楽屋での彼らと、ステージ向かったあとの空っぽの楽屋をカメラが丁寧に追うシーン。ここで流れるのが「ROCK STAR」だ。この映画において、フル尺で流れる曲は実はそれほど多くない。だがこのROCK STARはフルで流れる。誰もいない楽屋を、カメラは丁寧に追う。それぞれの鏡前、スタッフからのメッセージ。ステージでは彼らが歓声に迎えられている。ゆっくりと楽屋を映す映像が、この映画で描かれてきた「ここにくるまで」の壮絶な戦いを思い出させる。空っぽの楽屋は燃え尽きた彼らの内面のようにも見える。だがステージの上の彼らはそんなことはおくびにも出さず、ROCK STARになれば羽根が生えてきて ROCK STARになればたまに夜はSWEET、と陽気な歌詞を歌っている。これを空虚ととらえるのか、華やかだととらえるのか、それとも哀しいととらえるのか、それは人によって違うだろう。けれどこれがロックバンドというものなんだと私はおもった。言葉はないが、このシーンにはイエローモンキーの、いやロックバンドの美しさと切なさが、華やかさと空虚さが、表と裏が、そう、このパンチドランカーのマークでもあった陰と陽が、一瞬にして切り取られているようで、なんというかそのけなげさにわたしは涙をこらえることができなかった。死んだら新聞に載るようなロックスターに。死んだら、新聞に、載るような、ロックスターに。

もしTHE YELLOW MONKEYの楽曲で人気投票をやっても、ROCK STARが上位に入ることは多分ないだろう(実際、先日のベスト盤での投票では30位にも入っていない)。だが、おそらく彼らのライブにおいてもっとも数多く演奏された楽曲のうちのひとつだし、最後まで当たり前のようにバンドに寄り添った楽曲でもあった。この曲をこの映画の重要なシーンで選択した高橋栄樹は、やっぱりただものではない。

最後に「写真をとりましょう」と言って撮影されたあの4人が肩を組んでいる写真。あの写真を吉井和哉はかつて「バンドの遺影」のようだと言ったことがある。私の家にはその「遺影」のパネルがある。これも以前書いたことだが、解散時の大規模なチャリティオークションで出品され、価格の決まっていたそれを私がスピード勝負で落札したのだ。私はその1枚しか狙っていなかった。自分が落札できるとも思っていなかった。けれどあの写真はわたしのところにきてくれた。これが遺影なんだとしたら、わたしはこれと心中してやる、そんな風に思ったこともあった。どこかにずっと引きずるような残像があったし、それは映画を見た後でも消えたわけではない。でも、確認することはできた。自分の気持ちが変わっていないということ、あの写真を見ながら何度も何度も考えた時間も無駄ではなかったということ、バカみたいにいれあげてとちくるっていたあの頃の楽しさが今も消えていないこと、あのバンドと過ごした濃密な時間が幻ではなかったことを。とはいえ、思えばそれは最初から、THE YELLOW MONKEYはわたしたちに伝えてくれていたのだった。あの日僕らが信じたもの、それは幻ではない、と。