吉井和哉の1228【前編】

吉井和哉さんソロデビュー15周年おめ!ということで2006年から2015年までの吉井武道館全集がブルーレイで発売されることになりました~!やんややんや。年末恒例武道館はフジテレビNEXTとかで中継されることも多く、なんだかんだ映像が手元に残っている割に単体ライヴとして開催されたりツアーの一環だったりして正式なメディア化されたりされなかったりというアレ(ドレ)でもありました。そんなこんなをまとめてどーん!とお出ししまっすってなわけです。みんなもう予約したかな?わしはこれからじゃよ!(さっさとやれよ!)

 

こんな総まくりBOX発売に何を見ても何かを言いたがる私がこのままスルーしていいのだろうか!否!え?スルーしていい?いやまあまあそう言わず。せっかくこの10年に及ぶ1228に立ち会ってきたわけですし、10枚組ブルーレイとか言われても…!と慄いているかもしれないあなたをさらに慄かせる、じゃなかった興味を持ってもらうべくそれぞれの1228をふり返りたいとそう思っているのでごじゃいます。その場にいたひともいなかったひとも楽しんでいただけたら幸いでごじゃいます。ではいってみよっ!

 

2006年【TOUR 2006 THANK YOU YOSHII KAZUYA】 

タイトルのとおり、2006年11月からスタートしたTHANK YOU YOSHII KAZUYAツアーのファイナルとして12/27、12/28の両日開催…というのが当初の予定であったが、ツアー中盤の静岡、松山、高松が吉井の体調不良で振替となり、ツアーファイナルは翌年に持ち越されることとなった。とはいえ、バンド解散後吉井和哉がはじめて「12月28日に武道館に立った」日でもあり、ひとつの記念碑であることは間違いない。 オープニングに当時親交を深めていたKREVA作のSEが本人映像で流れるという派手な幕開け、真っ赤なジャケット、フリルシャツ、明るい髪の色など、なにしろその少し前まで「もうシャツは着ない」「もう髪は染めない」等々言い募っていたこともあり、はぁああ!よしいちゃんが!あかるくなって…!という感慨にふけったファンも多いとか少なくないとか。

サポートメンバーはギターにエマとバーニー、ドラムに当時若干21歳の鈴木敬、ベースに三浦淳悟、キーボード鶴谷崇という布陣である。 終盤、バラ色の日々の前に吉井が言った「きめた!12月28日は毎年おれがここでやる。吉井武道館にする、ここを!」という言葉によって、その後10年にわたって続く「吉井武道館」がこの瞬間に誕生することとなった。 ツアーファイナルとして予定されていたからということもあるのだろうが、28日はダブルアンコールがあり、吉井和哉はそこで一人弾き語りで、解散後はじめてJAMを歌っている。今聞いてもたどたどしく、ほほえましい、とさえ言いたくなるような心もとなさがあるが、その心もとなさは吉井和哉がこのとき置かれていた状況そのものだったのかもしれないし、もっと言えばここからでなければはじめられなかったんだろうとも思う。ツアータイトルのTHANK YOUはこのJAMのときに吉井が叫んだように、これを最後に離れるBOWINMAN MUSICへの餞のタイトルでもあった。

 

2007年【吉井武道館2007】

前年の吉井のステージの宣言通り、「吉井武道館」として銘打たれた2回目の12月28日。2007年も12/27と両日開催であった。 この年の吉井武道館は単体開催ではあるのだが、秋からスタートしたGENIUS INDIAN TOUR、そして年明けから予定されていたDoragon Head Miracle TOURとあわせ、3部作として整理されている。 この頃はこうした単体のスペシャルライヴ、しかも2日連続ということもあって試行錯誤していたのか、それぞれ別の前説があったりした。27日はダイノジで、28日はなんか…牧師みたいな人(聞いてない)。

バンドメンバーはドラム城戸紘志、ベース三浦淳悟、ギターにバーニーとジュリアン・コリエル、キーボード鶴谷崇。 何といってもこの年は…といっても、28日ではなくて27日の出来事なので今回のBOXには収録されないのだが(振り返る意味ない)、スペシャルゲストとしてスピッツ草野マサムネが登場し、吉井と「大都会」を歌うという大事件があった。これはその年の秋、スピッツの20周年ライヴに吉井がゲストで登場し1曲歌ったということがあって、その返礼みたいな意味合いもあったのではないかと思う。吉井がステージで語ったところによれば「デビュー15周年なんで何かやっていただくわけにいきませんでしょうか」マサムネ「スピッツは年末年始働かない主義なんで」吉井「そこをなんとか」ということで実現したとのこと。ちなみに28日も「大都会」は披露され、バーニーが見事なハイトーンボイスを響かせている。

この日の中盤のMCで吉井はこんなことを言っている。 「ほんとうに思い出の場所で、この28日はほかのひとに渡さずにせめて俺だけでもここでやり続けられたら…でもまあ、それだって、ずっとやっていればこの28日もいろんな使い方が出来ると思うし。人生何があるかわかんないからね」 この年は吉井和哉のデビュー15周年という位置づけだったこともあり、そのことについても、当然おれだけじゃなくて、THE YELLOW MONKEYのメンバーも15周年です、おめでとう!と彼は口にし、バラ色の日々のシンガロングを煽るときには、THE YELLOW MONKEYも一緒に!と高らかに声をかけ、私を涙の海に沈めた。

 

2008年【吉井武道館2008】

前年の12月28日のステージで「やっぱり28日はいいなあ!」と口走ってしまったことも理由なのかそうでもないのか、この年から2daysではなく12月28日1日きりの開催となった。いやまあ、そりゃどっちかと言われたら28日に行きますよねみんな。その代わりといってはなんだが、それに先んじて大阪城ホールにおいて「吉井城ホール」がこの年から行われている。サポートメンバーはギターにエマとジュリアン・コリエル、ドラム城戸紘志、ベース三浦淳悟、キーボード鶴谷崇。余談だが、ジュリアンはサポートにくると上手側(エマ側)のポジションになることが多かったのだが、さすがにこの時はエマが上手に位置し、不動のポジションぶりを見せつけたのであった。

この公演の映像はアルバム「VOLT」の初回限定盤にDVDが同梱されているが、ライヴの全曲収録ではない。本編は上海とCREEPが(CREEPはわかるにしてもなぜ上海も…?)、そしてアンコールはまるっと5曲収録されていない。そして2008年の吉井武道館ト・イエバ!そのアンコールで披露された「崖の上のポニョ」のフジモトコスを思い出す人も多いのではなかろうか。あまりの似合いぶりハマりぶりもさることながら、あのエマが歌ったというのもあって文字通りファン狂乱の一夜となった(本当かよ)。しかし、あのフジモトのコスをした吉井の髪の色といい長さといい、球根リリース時のまんまやんけ…となってしまい、時間が経つほどに違和感仕事して!というぐらい自然に馴染んでいたのがおそろしいところである。 なお久しぶりに映像を見返してみると、なぜ本編の吉井はずーっとサウナスーツみたいなのを羽織ってるんだろうか。すごく…暑そうです。シャツ~お願いだからシャツ一枚になってくれ~インナーは着ないでくれ~と願いなのか呪いなのかわからない願をあの頃ずっとかけていたことをまざまざと思い出してしまった。

個人的にこの年のセットリストでは「天国旅行」をやったことが思い出深い。ドラムの城戸さんが公演後ブログで、エマが涙していたこと、そして当時のファンはどんな気持ちでみていたのか、自分もそうだから気持ちはわかるけど、でもアニーさんと同じようにはできないし、それでもプラスに気持ちが行くような何かが伝わればいい、と書いてくださっていた。そういう思いを持ってステージにたってくれる、そういうひとに吉井和哉の1228は支えられていたんだとおもう。

 

2009年【吉井武道館2009】

前年に引き続き大阪での「吉井城ホール」が開催されただけでなく、大阪と武道館の間にZEPP SAPPOROでのライヴも行われている。今までの吉井武道館ともっとも違う点はまず、そのサポートメンバーだろう。ギターにバーニーとジュリアン・コリエル、キーボードに鶴谷崇、まではお馴染みだが、それに加えてベースにジャスティン・メルダル・ジャンセン、ドラムにあの!ジョシュ・フリーズ! そして、この年はセットリストにTHE YELLOW MONKEYの楽曲が1曲も入らなかった年でもあった。 吉井はソロでバンド時代の曲をやることにどちらかというと惜しみのないほうだと思われる(やらない人はまったくやらなかったりもするし)が、この年にバンドの曲をチョイスしなかったのはサポートメンバーも理由のひとつであったろうし(彼らはソロの楽曲のレコーディングを通して知り合った仲だから)、吉井としてもそういう気分だったのかもしれない。ともあれ、このすごいバンドの圧を背にがんばっている吉井が見られる貴重な映像でもある。今回が初映像化(生中継はされている)なので、BOXで初めて見るというひとも多いかもしれない。ジョシュの黄金バッドは本当に笑えるすごさなのでぜひその目で確認してもらいたい。

そして2009年の12月といえば、やはりどうしてもフジファブリック志村正彦の急逝を思い出してしまう。この年はTHE YELLOW MONKEYの結成20周年ということで、メカラウロコBOXの発売やトリビュートアルバム、さまざまな特集が雑誌やテレビで組まれるなど、一種のお祭り騒ぎのような状態だった(セットリストにバンドの曲を入れなかったのは、そういう理由もあるのかもしれない)。フジファブリックはこのトリビュートアルバムにFOUR SEASONSで参加してくれていた。雑誌の対談なども組まれ、本当に急速に吉井も親交を深めていたようだった。吉井はおそらく、城ホールのあと、札幌でのライヴの前に、このニュースを知ったのではないだろうか。 個人的に2009年の吉井武道館のハイライトのひとつは「BELIEVE」にあったとおもっていて、大阪の時、かれは今年は本当に色んな別れがあった、と語った後で、この曲を歌った。武道館では、吉井は何も言わず、ただこの歌にその思いを託しているように見えた。ひとは皆星になる そのわけは そのときわかる…。

ライヴ後のモバイルサイトで、吉井和哉は「12月28日はどうしてもTHE YELLOW MONKEYの日というのがあり、何かと比べられたり期待されたりしてしまう、毎年この日にやることを考えてみる必要がありそう」と書いており、もしかしたらこの頃から恒例の武道館、からの脱却を考えていて、それが2013年の福岡での開催に繋がったのかもしれないと今になってみれば思うところである。

 

2010年【吉井武道館2010】

12月23日の「吉井城ホール」と並んで開催。サポートメンバーはギターにバーニーとジュリアン、ベースに三浦淳悟、キーボード鶴谷崇、そして意外なことにドラムの吉田佳史がこの年はじめての吉井武道館参加となった(サポート自体はそれ以前から参加している)。吉井のソロライヴにおける鉄板のバンドメンバーがここでようやく完成をみたことになる。この年も3曲のみThe Applesの初回盤付属のDVDに収録された以外は今回が初映像化とのこと(生中継はされている)。 2006年を彷彿とさせるような真っ赤なジャケットで登場し、やっぱりお前には赤が似合うよと私を狂喜乱舞させた。

2010年は通常のツアーがなく、年末単体での開催になるのかと思いきや、10月に携帯サイト会員限定ライヴツアーなるものが組み込まれ、年末に向けて完全に暖まったエンジンで現れた吉井和哉、出来る子である。 翌年の春にリリースされる予定のアルバムを控え、初披露の新曲からソロ代表曲からセットリスト的にも充実の布陣、という貫禄があり、やはりここまでアルバムを積み重ねてくると持ってる武器も増えるのだなという印象がある。

毎年武道館では何らかカバー曲が披露されていたが、この年はビートルズのACROSS THE UNIVERSEを吉井作の日本語歌詞で歌っていた。そこから続いたFOUR SEASONS、おそらく、前年のことを思って選ばれたのだろうと思う。なぜなら、オリジナルのアレンジではなく、トリビュートアルバムでフジファブリックが演奏してくれたアレンジで演奏されていたからだ。今見ても、おそろしいほどの気合いを感じる、すばらしいパフォーマンスである。

モバイルサイトでチラリズムを発揮するのはいつもの吉井節ではあるが、このときは25、6のときに作った曲をやるかもかもかもというような思わせぶりぶりなことが書かれたりして、いったいなんだよ!?とファンを、というより私を右往左往させたが、ふたを開けてみればシルクスカーフに帽子のマダムという、文字通り超弩級の楽曲が披露された。しかも、そこからのアバンギャルドで行こうよ。ころす気か。シルクとアバンギャルドて!シルクと、アバンギャルドて!!!(伝われ) アンコールラストには新曲LOVE&PEACEが披露された。最後を新曲で締めくくるのも往年のメカラウロコを彷彿とさせるし、何より楽曲が吉井らしい美しさをたたえた素晴らしい歌詞でいっぺんで好きになった。私にとってもっとも特別な「吉井武道館」である。

 

書いていたら長くなったので2回に分けます!後編は2011年~2015年だお!