1999年3月10日、今からちょうど21年前の今日、パンチドランカーツアー最終日の横浜アリーナでのラストナンバー。文字通り、113本を締めくくった楽曲である。「3.10横浜アリーナ」のDVDにももちろん収録されている。
思い出がありすぎて…と言葉にすれば途端に陳腐に聞こえるような話だが、私にとってこのパンチドランカーツアー最終日、3月10日、横浜アリーナ、という単語の連なりにはどうしても思い出がありすぎて、この映像を客観視してああだこうだと語ることはできそうにない。後年彼ら自身の口からこのツアーについて語られた決してポジティブなものばかりではない想いも十分知っているし、懲役のようだったとまで言われたことや、このツアーによって確実にバンドの中の何かが疲弊し、それがひとつの引き金だったのでは、というのも、当時のファンは少なからず考えたことがあるだろう。今振り返って、この時の彼らの姿に何を感じるのか、疲れている、切ない、そうした想いを抱く人も少なくないだろう。
でも私はこのとき、楽しかった。私はこのツアーに夢中で、心の底から入れあげていて、傍目にみればとち狂っていると言われてもしょうがない温度で熱狂していた。私の思い出はそういう思い出だ。その気持ちをすげ替えるつもりはまったくない。そしてそういう思い出だからこそ、このツアーのタイトルの通り、自分たちこそがファンの愛情という拳で彼らを疲弊させていたのではないかという思いが、多分この先も消えることはないだろうと思う。
しかし、もう二度と聴くことはできないだろうと思っていた、パンチドランカー、離れるな、そしてこのSO YOUNGと、このツアーを象徴する楽曲がまたふたたび現在の彼らの手によって演奏される未来にいま自分がいることに心底驚く。きっと10年前の自分にこのことを言っても、一笑に付したにちがいない。
名づけというものは本当に恐ろしいもので、パンチドランカーというタイトルはまさに名は体を表すものになったわけだけど、「パンドラ」というその略称のとおり、いろんな災厄がその箱から飛び出したとしても、箱のなかには「希望」が残っていたのだから、やはり、名づけとはおそろしい。