吉井和哉の作詞における人称代名詞大研究・番外編

題して「吉井和哉はMIDNIGHT RADIOの夢を見るか?」

HEDWIG AND THE ANGRY INCHの舞台(三上博史さんがヘドを演じたパルコの初演版)を観たとき、私は舞台のラストで「あれ、これは吉井和哉のことじゃないか」と思ったことがありました。もちろんその前に映画版を見てはいましたが、その時は楽曲の素晴らしさに感動はしたけれども、それを吉井和哉と結びつけることはしていなかったので、それは自分でもちょっと驚きでした。

舞台版では、これは多分オフブロードウェイのオリジナルでもそういう演出だったのだろうと思いますが、舞台背面の大きな扉を境にして、こちら側でヘドウィグが、そして向こう側でロックアイコンとなったトミーが大きなライブをやっている、という前提で進められます。この舞台のラストでヘドウィグは扉の向こうに駆け去り、同じ役者がトミーとなって現れるこの演出が、私にある曲を思い起こさせたのです。

全160曲のなかで唯一4種類の人称代名詞が登場し、曲中にふたつの人格が存在するMERRY X’MASこそがその歌です。

この曲の歌詞にあるフレーズ「部屋の真ん中に鏡をおいて」という一節が、私はいつも気になっていました。部屋の真ん中に鏡、置かないでしょ、普通はというツッコミもさることながら、これは絵的に鏡の前に寄り添うふたり、ではなくて、鏡を見つめるジャガーと鏡の中に映ったマリーが、鏡を通して見つめ合っている図の方がしっくりくるのではないかと思うのです。つまりジャガーはマリーで、マリーはジャガーであるわけです。

ヘドウィグはいつも、自分のカタワレを探しているけれど、そう思ったらJaguar Hard Painだって、おおいなるカタワレ探しでもあるよなああ、などと思ってしまったり。

そしてその答の提示のしかたも、なんだか限りなく同じ匂いを感じたりもするのです。

吉井和哉にヘドウィグを舞台で演じてみてほしい、とはさすがにちょっと思えない部分もあるのですが、彼の根っこの奥深いところには彼のヘドウィグが存在しているのだろうと思うし、この素晴らしい楽曲を吉井和哉がどう歌うのか聴いてみたいという思いはやはりありますね。

ちなみに、もしも!1曲だけ歌ってもらえるとしたら、私はMIDNIGHT RADIOをリクエストします。