その1で書いたように、吉井和哉の作詞の中には「おまえ」という二人称が殆ど登場してきません。思った以上の少なさだったわけですが、ここにその一覧を書き出してみましょう。
「お前に魂を売ってやる/お前に全てを売ってやる/お前にクスリを射ってやる」 「君よりおまえを抱きたい」 「はにかんで俺の頭なでるおまえと楽しみたい」 「オマエの本当の姿はすけべで強欲で残酷なケダモノ」 「お前が咲くならば僕は穴掘ろう」 「今夜はちゃんと言うよおまえが欲しいんだ」 「お前が欲しい今すぐ欲しい」 「心は今でもおまえの笑顔覚えて」
書き出してるうちに一体このblogはなんのblogなんだと自分を見失いそうになりましたが、これが吉井和哉の作った歌詞における「おまえ」のほぼ全てです。創世児だけは歌詞の中で他にも2度「オマエ」が出てきますが、他の曲はすべてここに書き出した1回こっきり。
それにしても改めて列挙するとどうですか、抱きたい楽しみたい欲しい欲しい欲しい。どこのエロ怪獣だよっていう。吉井和哉にとって「おまえ」の呼びかけは即物的な行動と直に繋がっているとしか思えないわけで、女性を「おまえ」呼ばわりなんてそんなこと普段はとても出来ない、という吉井和哉フェミニスト伝説(そんな伝説あんのか)を裏付けているような気もします。
で、じゃあこのエントリではその吉井和哉のエロ怪獣ぶりを堪能じゃないや検証するのかというとそうではなく、上記の曲の中で唯一、やさしい「おまえ」の言葉を投げかけられている曲について記しておきたいと思うわけです。 金では買えない500円の歌、ならず者アイムソーリー。
まあ言うまでもなく、これは歌詞を読めば「ちょ、吉井さん、あからさますぎ・・・!」というほどにこの曲は廣瀬洋一さんに捧げられた(歌詞を贈ったという意味ではもちろんなく)歌であるわけですが、って私は勝手にそう思ってますのでそういうことで話を進めますが、他の曲では抱きたいだの欲しいだの連呼しているなかで「笑顔」とか言いながら「おまえ」と言っちゃってる時点でもうどう見てもこれはヒーセさんへのラブソングです、本当にありがとうございましたと思わないでどうするのかと。腐ってると言うなら言え。
吉井和哉といえばエマという括りで語られることが多いしそれも勿論納得のいく話ですが、私はヒーセと吉井の信頼関係っていうのはすごく素敵だなあといつも思っていたし、これはどこかのパンフで書いてあったような気もするけれど、バンドの精神的な支柱であったのはやっぱりヒーセだったんだろうと思うんですよね。
ヒーセの曲に詞を書くときに、最初からそういうつもりで書いたのか、書いているうちにどんどんそうなってしまったのか、それはわかりませんが、吉井和哉というひとの人としての弱さとか優しさみたいなものがストレートに感じられるいい詞だし、それを書かせたヒーセの曲も素晴らしいし、なにより二人の間の絆がすごく感じられる歌詞だよなあと思います。
どっかですれ違っても あの頃はあのままで あの頃はあのままで
HEESEY WITH DUDESの解散ライブを収めたDVDには吉井和哉が飛び入りゲストとして登場し、この曲を歌う姿が見られるわけですが、それについて思うことは、それは人それぞれでしょう。私にも寂しい気持ちはそれはありますけど、でもなによりもその寂しさを感じているふたりが愛に満ちたこの曲を演っている姿を、私は否定したくないです。THE YELLOW MONKEYはいいバンドだった、この映像は、何よりもそれを感じさせてくれる光景だと思います。