わたしの目 わたしの耳 わたしの肌

この前のエントリで、私は「このディレクションをしたひとを真剣に神と崇めたくなるぐらい」と書いているわけだけれども、じゃあそのディレクションをしたひとってのは、だれなのさ、という答が先日判明した。

先日判明したと言っても、べつだん隠されていたわけでもなく調べようと思えば、いや調べるまでもなくちゃんと最後のクレジットでディレクターとして名前が挙がっているのだから、あんなに何度も繰り返し見ていてそれに気がつかないってのがおかしいんじゃないの、と言われてもしょうがないんだけど、でも逆に私は聞きたいよ。

あのエンドロールで、クレジットをちゃんと読んでいる人がどれだけいるのかと!

ご存じのようにTRUE MINDのDVDのエンドロールは、背景が5分割されていて、右半分がSUCK、左半分が4分割でバックステージの映像が延々流されているわけだけども、右半分ではまったくどうかと思うようなあれやこれやが繰り広げられ、左半分では目を凝らさないと見えないような小さな画面でこれまたいい年をした大人たちのかわいらしすぎるあれやこれやが繰り広げられているわけである。あの映像を背景にした白抜きの流れていく文字を読みとるって、もう心頭滅却ぐらいの騒ぎなのであって、ええとつまり何が言いたかったかっていうと映像に気を取られてほんと見てませんでしたすいません、ってことです。

言い訳がましいけど、あんなに普段「どの映像を抜くか」に口うるさい私が、どうして調べてみようとも思わなかったのか、っていうのは自分でも不思議でしょうがないです。思うに、もうあまりにも抜く映像全てがどんぴしゃ過ぎて、ディレクターってひとの存在すら忘れていたんじゃないのか、って思う。

先日お友達と恒例のお楽しみ会(いろんな意味で)をやったとき、メカラウロコ7のディレクターの名前が最後に出てくるのに気がついた。メカラが大好きな私達はひとしきりそのディレクターを誉め讃え、「完全版を出すなら絶対この人がいいよねー」などとまだ決まったわけでもない未来のことまで楽しく想像したりしていたのだった。

そのお楽しみ会の最後に、じゃあ私達のある意味教科書であるTRUE MINDを・・・といって見始めたとき、昨日のディレクターの一件が頭にあったからなのか、ひとりが「このディレクターって誰なんだろうね?」と言ってビデオに入っているブックレットを見たのである。

その時彼女がブックレットを見ながら「・・・さっきのディレクターの名前言って?」と言い、そのブックレットにある名前と、メカラウロコ7のディレクターの名前が、まったく同じであるとわかったとき、ちょっと冗談抜きで鳥肌が立った。

TRUE MINDにも、メカラウロコ7にも、わたしが繰り返し繰り返し見た、ほんとうに死ぬほどかっこいいショットがたくさんあって、リアルタイムでそれらを体験していないわたしは、そのたくさんの信じられないぐらい格好いいかれらのライブ映像に育てて貰ったと言っても過言ではないわけだ。I LOVE YOU BABYでイントロのリフを刻みながらヘドバンするフロント3人、SWEET&SWEETで激しく切り替わるオーディエンスの興奮、フリージアで虚空を見つめながらマイクから遠ざかる吉井の目、FINE FINE FINEで刻まれるアニーのドラム、Welcomeでベースを低く低く構えるヒーセ、空の青での泣きたくなるようなエマのギター、わたしはイエローモンキーへの愛をこれらの映像から養分をもらって育ててきたし、今でもそれはぜんぜん枯れる気配すらないのだ。

そういったもののほとんどを手がけているのが同じ人物であるとわかった時の、このある種ぞっとするような興奮を言葉にするのは難しい。ただ、この人がもしいなかったら、わたしのイエローモンキー道はまったく違ったものになっていたにちがいない。

舞台にしても、ライブにしても、もちろん実際にそれをその場で体験した人には絶対に叶わない。人間の眼はどんなカメラよりも高性能だし、人間の記憶はどんなメディアよりも細部を捉えることがある。そして何よりも、その場の空気感というのはぜったいにパッケージすることはできない。だが、できないからこそ、それらを形に残す作業は重要だ。だって、そこで切り取られた映像は、否応なしにその後そのステージを追体験する何万人という人間の眼と肌のかわりになってしまうのだから。

でもこのビデオを見ているとき、わたしはなんの違和感も感じることがなかった。わたしが実際にステージで見る以上にステージを見、耳で聴く以上に音楽を捉え、肌で感じるよりも興奮を味わわせてくれたディレクター。

彼の名前は KOHICHI YAMAMOTO といいます。