THE YELLOW MONKEY SUPER BIG EGG 2024 "SHINE ON"@東京ドームに行ってきたのよ

疑う者から信じる者に変わらなければならない。

と、ユルゲン・クロップは言った。

 

昨年末に予定されていた武道館公演が中止となり、同時に吉井和哉の病状が発表され、その後のファンイベントを経てのドーム公演に至る間、私は「これからどうなるのか」ということを極力考えないようにしてきたし、それは現実逃避と言われればその通りとしか言いようがない。ファンミーティングは名古屋にお邪魔したが、その時のコンディションや、その後に緊急的に手術を受けることを本人が知らせていたことも、ドーム公演が万全を期してのものではないとじわじわと実感させられていくようで、本当に最悪の場合、途中でまったく歌えなくなる、ということもあるかもしれないな、という程度のことは考えていた。

 

とはいえ、だからこの日に不安しかなかったというわけではない。やはりライヴという目標があるのは嬉しいし、友人たちと会える機会があるのはありがたい。年明けからこっち、4月になれば彼女は、じゃなくて、四月になればTHE YELLOW MONKEYのライヴがある、と思いながら過ごしてきたというのも偽らざる本音だ。

 

三国さんがドーム公演にも参加されるというのはあらかじめ告知されていたので、三国さんのキーボードの印象の深い楽曲がセトリ入りしたりするかな、鶴谷さんとの住み分けどうするのかな、と考えていたが、オープニングからツインキーボードで来たのは予想外だったし、その後にバラ色のイントロにつながったのも予想外だった。

 

吉井はこの日のMCで何度か、2020年に2daysで開催される予定だった東京ドーム公演がコロナ禍により中止になり、その年の11月に客席数半分、声出しなしで開催されたドーム公演のことを振り返ったが、参加した観客以上に、歓声のない公演に忸怩たる思いを抱えていたのはバンドの方だったのだなあと思い知らされた気がする。ともあれ、あの時に「ひとつに集めた」歌声とともに、この日のライヴは幕開けとなった。

 

最初のバラ色も、続く新曲のSHINE ONも、私の中では久しぶりのライヴの楽しさよりも、心配の方が上回っていたところがあった。本当に絶好調なときの彼の歌声とは比ぶべくもなかったし、当たり前のことではあるがやっている本人たちがなによりもそれをわかっているだろうからだ。でも、この日はアリーナAブロックヒーセ側のわりと前方席からステージを見ていたが、吉井和哉は最初からどこか、吹っ切れたような、晴れやかな顔をしていたのが印象的だった。

 

エマのギターソロから「聖なる海とサンシャイン」。こういう形でメンバーのソロを入れてくるのは想定していたし、過去はここから球根や天国旅行につなげていたので、この流れは大曲がくるんじゃないかと思って思わず身構えてしまった。実際、早いリズムで畳みかけるような楽曲よりも、この手の楽曲の方がボーカルの好不調の波ははっきり感じ取れてしまう気がした。吉井のボーカルはつらそうな部分もあれば、思ったより声が出てるなという瞬間もあり、一進一退という感触だった。

 

しかし、このあたりで、私はこれはどうやら違うな、と思い始めた。これはこの手の心配をして見守るようなそういうあれじゃない。この人は、このバンドは、今日のこの日のライヴについて、どうにかうまくやろう、というようなつもりでやっているんじゃない。やれるかどうかじゃなくてやるんだよ、そういう意思の強さがドームのステージに渦巻いているように見え、そこから私は心配するのをやめた。今日私がやれることは、行けるところまで行ってこい、骨は拾ってやるほどに、そうやって背中を押すことだと吹っ切った。

 

久しぶりの公演で、ドームでということもあり、振り返ってみればセットリストの半分以上がいわゆるシングル曲で構成されていたが、そういう中でもROCK STARがセトリ入りした嬉しさたるや。私は本当にROCK STARが大好き。BURNのときに目の前を吉井がボウタイなびかせながら駆け抜けていって、お立ち台でこれ見よがしにほどいて見せていたのもよかった。衣装はこの日全員素晴らしかったなあ。天道虫やラブショーで吉井がマラボーを身に着けていて、吉井にマラボー…これで殴れば馬をも倒すと古くから伝わる…と存在しない諺を脳内でつぶやいてしまうほど、あまりにも久しぶりの御登場に、一緒に見ていた友人の肩をつかんでゆっさゆっさ揺さぶってしまったし、外さないでー!と叫んだし、赤が出たら出たで「ギャッ赤いッ」と叫んでしまうし、赤マラボー外した後の首筋に赤い羽根が残っているのを見て「ギャッ天才っ」と叫んでしまうしで、何が言いたいかというと概ね通常営業に戻った感半端なかった。

 

アニーのドラムソロからヒーセのベースが入ってソナタの暗闇につながる流れ、モニタの使い方も含めてナイス演出賞を差し上げたい。ドラムソロのときに一瞬パンチドランカー?FINE FINE FINE?と思わせるフレーズが入っていたのも心憎し。もちろん吉井に小休憩をあげるための工夫でもあるだろうが、ファンからしても楽しいだけでwin-winである。実際、ステージの構成においては、ボーカルの状況に合わせたプランBがいくつも用意されていたのではないかと推察するが、それを魅せる演出に昇華していくプロフェッショナルぶりに感嘆するほかない。

 

太陽が燃えているのあとにメンバーがいったんはけて、モニターにモバイルサイトで吉井が載せていた患部の写真が映し出され、おそらくは告知直後と思われる吉井の様子や、メンバーのコメント、放射線治療のあと…といった、ドーム、ライヴという祝祭空間にはいささか不釣り合いな、文字通り「現実」が映像として続々と映し出された。生々しすぎるだろうと思うところもあると同時に、これをここで見せるという肚の座りように驚きもした。エマが「戦い方が決まるまでは見守っていよう」と言っていたこと、アニーやヒーセが、それでも吉井和哉は、THE YELLOW MONKEYは何かに守られているとおもう、と言っていたこと、そして吉井自身がいま改めて「死」というものに向き合ったことを語っていた、そこにあの旋律が流れ込んできた。

 

どんなライヴの前にも、今日は何の曲をやるかな、1曲目は何かな、と想像しないなんてことはないが、この日を迎えるにあたって、この曲をやるかも、と私が全く想像しなかったのが不思議なくらいだった。まるで歯車がカチッと音をたててはまったような、この曲ほどきょうここで演奏されるのにふさわしい曲はない、と心と体が一瞬にして得心するような感覚があった。

 

「人生の終わり」は副題のとおり彼の最愛の祖母にむけて書かれた曲だが、これをものしたときには彼の祖母はまだ健在であったというのは有名な話である。つまるところ、これは失ってしまった地点から過去を振り返った曲ではなく、この先の未来を覗き込んで歌われた彼岸への曲なのだ。そのことが、一層今日という日におそろしいほど寄り添っていたとおもう。ただでさえ響く歌詞のフレーズが、全く違う感慨を携えて目の前に次々に現れるようだった。僕は死神に気に入られた旅人、この歌詞が彼のトラウマではなく、現実となって目の前にある今奏でられる楽曲の凄みに震えたし、なにをどうやっても涙を抑えることができなかった。ただでさえこの曲には数多の思い出がつまっていて、その思い出がわたしの涙に一層拍車をかけていた。君の愛で育ったからこれが僕の愛の歌、あるのは気休めみたいな興奮だけ それだけさ…。

 

本当に良くも悪くも…いやなんとたとえていいのかもうわからないが、本当にドラマチックなバンドだと、つくづく思う。私がファンになったばかりの頃、当時発売された雑誌のインタビューで吉井和哉が「イエローモンキーの10曲」について語っていて、その中でTHE YELLOW MONKEYのことを「鰻重みたいなバンド」と評された話があるのだが、改めてその思いを新たにせざるを得ない。この日の「人生の終わり」は、間違いなくライヴを成立させるための特異点であったし、ステージの上の吉井和哉が、まるでFIXのツアーのときのように、歌いながら手を握って開いてと繰り返していたことも含めて、墓場まで持っていきたい記憶のひとつになった。

 

でもって、そのあとにSUCK OF LIFEをぶち込んでくるのが、もうまさにTHE YELLOW MONKEYですよねというか、そうでしたねこういうバンドでしたねと思ったし、うんうん今日はもうエマに好きなだけ絡めよ!と思ったし、だんだん声がガラガラになっていってたのに、最後のユアラーーーーーイフがやけに美しく響いたことも含めて、このバンドの感傷も興奮も一緒くたにして情緒ギッタギタにしてやんよ!という部分が如実に表れていたと思う。

 

東京ドームではやったことがないと言いながら東京ブギウギからのアバンギャルドで、凄いな、なんかこの曲の醸す年末感!半端ない!と思ったし、本人も絶対最後「今年のうちに~!」って言おうとしてたんじゃないか疑惑。これも先にあげた「イエローモンキーの10曲」のなかで、吉井がアバンギャルドを「コンサートでこれをやると、メンバーが愛おしくなる気持ちに近いような感じになるんです」と語っていたが、まさにバンドの幸福さを表すようなこの曲がセットリストに入ったことも、この日のコンセプトにふさわしい気がした。

 

アンコールのあと、モニターに映った吉井が歌っていたのは「復活の日」じゃないかと思われるが、この歌詞も吉井のことだけではなく、最近あったいろんな別れを思い出さずにはいられなかった。それを言えばALRIGHTの「何よりもここでこうしてることが奇跡と思うんだ」から続く歌詞も、まるで今のこの状況を歌っているように思えたし、本当につくづく、過去の自分が道標を指してくれているようなことが次々起こるバンドだよ、まったくのところ。

 

モニタがまだ明るいうちにまたメンバーが出てきたのが見えて、あれっダブルアンコールか、めずらしいな、と思ったら聞こえてきたのはあの遠吠え。手厚いなァ。どうやら予定になかった(もしくは、やれたらやろうというプランだったのか)もののようだったけど、犬小屋はいつ何時でも彼らの手の内に入っており、どんな時でも彼らの最高のかっこよさを引き出す楽曲で間違いない。この日の「我がTHE YELLOW MONKEYは永久に不滅です」は、21年前とはまったく違う響きをもって聞こえ、そのことがとてもうれしかった。

 

この日は印象深いMCがいくつもあったが、中でもROMANTISTのときの観客の手振りを「それ、それ、それが見たかった」と言ったり、イヤモニを外して歓声を聴こうとしたり(イヤモニなんかしたくねーよー)、極めつけは「ごめんね、なんの確証もないまま東京ドームやっちゃって、でもみんなの歓声があればやれると思った」。こうも言っていた、「この歓声のために音楽をやり続けています」。

 

そう思うと、コロナ禍で行われた観客の声のないライヴが、彼らにとって「このままでは終われない」と思うものになったのもむべなるかなと思うし、この歓声で彼らがよろこんでくれるのなら、ここにいる意味を感じてくれているなら、こんなにもファン冥利につきることはないと思う。はっきりとした確証のないままドームをやることについて、私が不安に思っていたのは、最後まで歌えるのかということもさりながら、このライヴを行うことが彼とバンドにとっていいことなのか、という気持ちが少なからずあったからだ。かつて疲弊したバンドを見て、でもそのバンドにずっと求めていた自分を知っているからこそ、奪いすぎるファンになりたくない想いもあった。でもそれはまったくの杞憂だったし、このバンドはずっと昔から、たくさんの観客の希望と興奮と絶望を吸い続けて、それを花と咲かせる大樹だったことを思い知らされた。

 

アニーもヒーセもエマも、とくに前半はどこかいつもと違う、緊張した面持ちが見て取れたが、とはいえ華々しいステージングには少しのかげりもなく、あんなにもステージにいる全員がキラキラでギラギラで、本当に最高だった。吉井は最初にも言った通り、どこか晴れやかな顔をして、それでいてものすごく大きな祈りを込めているような、そんな表情をしていたのが印象的だった。「みんなの歓声があればやれると思った」という言葉ではないが、わたしも、ぜんぜん非科学的ではあるけれど、この5万人という人間の想いが重なれば、何かが変わるんじゃないか、起こらない奇跡も起こるんじゃないか、ステージを見ながらそんなふうに思っていたし、それは言葉を変えれば、私はあの日あの場所で、疑う者から信じる者に変わったということだったんだとおもう。そう、我々のFC名、BELIEVER.を体現するかのように。

 

できるかどうかわからなくてもやると決めてくれたこと、たとえ不完全でもそれをメンバー自身が受け入れていること、それを私たちと分かち合ってもいいと思ってくれていること、これはもう愛だとしか言えないし、愛とか強調すると顔が変になるかもしれないが、それでもあの日の東京ドームはファンとアーティストの間に愛と信頼が、BELIEVE、信じる心が確かにあった。そんな夜を過ごせたことを、きっと何年たっても春の空気とともに思い出すだろう。そんな気がする。