最後のコラム

闇に沈む月の裏の顔をあばき 青い砂や石をどこへ運び去ったの~

ってそれは最後のニュース。名曲ですね。

それはさておきKYでのよっすぃさんのコラムが最終回です。

なんかいろいろ不思議な部分もありますけど言いたいことはよくわかる!かもしれない!

ともあれお疲れさまでした。

正座30分でもスゴイと思います。

せっかくなので(何が)スタート時からのコラムをざっと読み返したりしてみました。いろいろ懐かしいね。新潟の初ライブのあとのとか、結構思い出深い。

思い出深いついでに思い出語りですけれど、吉井が久々に、「TALI」の先行視聴で姿を現した(と言ってもネット配信)時、私はPCの前でちんまり座って22時を待っていて、あーこれでもし回線の不具合とかで見れなかったらかなしいなー、それにしてもろびんそんって、つーか「たり」ってなに、してやっ「たり」とか?とアホなことばかりを考えながら時間を過ごしていて、それで無事に2分程度のその配信を見ることが出来たわけなんだけど、終わった瞬間きゃーなんか痩せた、とか相変わらず面白い詞書くなあとか、そんなことを思っていたら、その様子を見ていた親に(居間で見ていたからね)

「あんた、ほんとに吉井さんのことが好きなんだねえ」

と言われたんでした。なんですか藪から棒に、と言うとうちの母はこう言った。

「自分じゃ気付いてないかもしれないけど、すごい顔して見てたよ」

それは私の顔が普段からある意味すごいんです♪ということじゃなくて、いやそれもあるかもしれないが、つまり母の言いたかったのは絶対に親には見せない顔で見ていたってことなのだった。そんでなんかもう、一気に恥ずかしくなったの覚えてる。

そうか、まだまだ好きなんじゃん、あたし・・・となんか妙な感慨にふけったのが2003年の8月20日のことで、なんでそんなに覚えているかっていうと私の誕生日だったからです。

コラムの中で、特に好きだった一節。

「音楽で感動するときは自分のパワーがある時だ」という話を聞いたことがあるが、

もしも自分の音楽で聴く人が感動してくれたら、

それはその人の心の状態が素晴らしいのだろう。

もしも感動できなくても、その人の心のせいではない、その場合は自分の力不足だ。

いい音楽は、閉じている美しい心のドアも楽勝でこじ開けられなければいけない。

何かをしている手を止められて、「気がついたら、開いちゃってた」

というのが素晴らしい。

が、それは神業ですね。

コラムお疲れさまでした。

また吉井さんの書く文章に、気軽にどこかで出会いたいものですよ。

電子情報でも、紙の上でもいいからさ。