岩よりも重いもの

それでも全然頑張ってやるんだよ、最後の最後まで。やっぱりみんなやるんだよ、それしかないんですよね。だから鹿野さんね、よく『セカンド・アルバムみたいなエレファントカシマシを想像してた』とか言われちゃうんですよ――この『町を見下ろす丘』っていうアルバムはもう 16 枚目なんですけど。それはもうできないんですよ、みなさん。できません。セカンド・アルバムはセカンド・アルバムだったからできたんですよ……って僕は言いたいんです。で、これが僕らの今の音なんですよ。それを鳴らせばいいんだってふうに思ってやったのは確かなんです。また変わるかもしれないんですけど、でも今は精一杯やってこれなの。破壊的な衝動を昔みたいに鳴らすことはできない。でも、これが今の僕らの精一杯の音なんです。そういうものにはなってると思う。                      discord 鹿野淳×宮本浩次より引用
インタビュー全体もとてもいいので、できれば全体を読んで頂いた方が雰囲気は伝わるのかもしんまい。 大丈夫!ここはよしぶろです(笑) たとえばここで宮本の言っていることっていうのはアーティストと呼ばれるひとたちなら誰しも共通して抱えている思いだったりするんじゃないだろうか。このインタビューの中にはなんども「これが今の僕らの音」という言葉が出てくるが、それに向き合っていかなければならないのがアーティストというものなんだろう。私の大好きな装丁家である鈴木成一さんが、先日NHKの番組に出たときに、プロフェッショナルとは何か、という番組のお決まりの問いかけに「次の依頼が来ること」と答えていて、私はああ本当にそうだ、職人という意味でのプロフェッショナルってそういうことだよなと感じ入ったのだけど、でもそこがアーティストと言われるひとたちとの境目なのかもしれないなとも思った。「次の依頼が来る」ことは必ずしもアーティストにとってそれだけが目的ではないはずで、それは例えば音楽なら「これが今の僕らの音」を鳴らした結果としてついてくるものだと思うのだ。アーティスト自身がそれを愛せるか、オーディエンスがそれを受け入れるかはまた別の話だけれども、少なくともそれに向き合い続けなければならないのが、アーティストと呼ばれる人たちの業なのかもしれないな、と思う。