悲しきASIAN BOY/2

吉井和哉がソロになって、バンド時代の曲をライブで演奏するようになり、幸運なことに、というのか、大阪城ホールの「バラ色」からなにくれとなくその場に立ち会うことができたわけだけれども、吉井和哉がひとりでそれらの曲をやることに、私は今まで格別抵抗がなかった。だが、もちろん私にも、「ひとりでやってほしくない」と思う曲はある。

それがこの「悲しきASIAN BOY」だ。

なぜひとりでやってほしくないか?だって、ひとりではこのコールは出来ないでしょ。

We are No.1 Rock’n Roll Band, THE YELLOW MONKEYって。

 

パンチドランカーツアー、前半のホールではこの曲はセットリストに入らなかった。ライブの定番、お約束の曲をはずして挑んだホールツアーのストイックさに、私はもちろんしびれまくっていたわけだけれども、だがアリーナツアー初日の浜松で、セットリストも入れ替わるしアリーナだし、今日は久しぶりにASIANが聴けるのではないか?と思って楽しみにもしていた。やっぱり最後はどーんと電飾で盛り上がりたい!と皆でそんな話もしていた。そして期待通り、アンコールのラストにこの曲がきた。久しぶりに味わう特効の地響き、何度見ても揃いっぷりがおそろしい観客のワイパー。そして最後のコール。

だがこの時、吉井和哉はあの言葉を言わなかった。代わりにこう言った。

We are No.1 Rock’n Roll ASIAN,THE YELLOW MONKEY

 

吉井がパンチドランカーアリーナツアーの初日の浜松でこう言ったときの記憶は、私の脳裏にいやになるほど鮮明に残っている。ぞっとするような、時間が止まったような感覚。それは私がその時初めて感じた、彼らの未来に対する「いやな予感」だった。

 

その後、同じファンの子たちと、この話をしたこともあった。私と同じように気にしている人もいれば、まったく気にしていないひともおり、反応は様々だった。だがそれを気にしていたところで、ツアーは続き、そして相変わらずライブはありえないぐらい楽しく、そのバンドと周囲の勢いに「それどころではない」とついていくのが精一杯だった。だが結局、吉井和哉は最後まで、このコールを昔に戻さなかった。パンチドランカーのツアーだけではなく、そのあとも、解散するまでずっと。

 

どこかのインタビューで、吉井が「№1と言えなくなった」という話をしたとき、ああ、やっぱりな、やっぱりそうだったんだな、と思った。

嘘がつけないにもほどがある、と思った。

 

SUCKの全曲感想で、「1曲だけライブでTHE YELLOW MONKEYを再結成させてあげようと言われたら、私は多分SUCK OF LIFEか条件付きでASIAN BOYを選ぶ」と書いているが、その条件とは、吉井和哉がこのコールをすることだ。We are No.1 Rock’n Roll Band, THE YELLOW MONKEY!と叫ぶことだ。初期の頃からのお約束だったわけではなし、なぜそんなにもこのフレーズに固執するのかと聞かれてもはっきりとした答を出すことはできそうにない。ただ、井の中の蛙と言われるだろうし痛いヲタだと蔑まれて構わないが、私は吉井のこの声に答えてTHE YELLOW MONKEYの名を叫ぶとき、本当に彼らこそがNo.1 Rock’n Roll Bandだと心の底から信じていたのだ。だってそうだろう、自分が№1だと信じることも出来ないバンドに血道をあげていられるほど、女の人生は長くないのだから。

 

もうないだろう未来のことを、ああだこうだと考えるほど虚しくて非生産的なこともない。それはわかってる。わかっているけど、もし、もしも、

もしも4人でもう一度、この曲をやることがあるのなら、

吉井さん、その時はもう一度だけ、もう一度だけでいい、この言葉を言ってくれないか。

それが優しい嘘でもいいから。

 

We are No.1 Rock’n Roll Band, THE YELLOW MONKEY!!