その歌は誰のもの

我ら役者は影法師、皆様方のお目がもし

お気に召さずばただ夢を見たと思ってお許しを。

拙い芝居ではありますが

夢に過ぎないものですが

皆様方が大目に見、お咎めなくば身の励み。

私パックは正直者

幸いにして皆様のお叱りなくば私も

励みますゆえ、皆様も見ていてやってくださいまし。

それでは、おやすみなさいまし。

皆様、お手を願います、

パックがお礼を申します。

W・シェイクスピア「夏の夜の夢」より、パックの口上/小田島雄志

お芝居を見に行くこと、は私の日常の大きな楽しみで、そういった生活を始めてからもう20年になろうとしています。当時の私は高校生だった!若かった!正確には数えていないのですが、さすがに1000回とはいかなくても、それに近い数の分劇場に足を運んできました。数多く見ていれば、もちろん駄作も傑作もたくさん見ることになるわけですが、そんななかでも自分の心に刻まれた、一生忘れられない舞台というのがやはりいくつか存在します。

今や人気脚本家となった三谷幸喜さんは以前、東京サンシャインボーイズという劇団を主宰されていました。その劇団は表向きは30年の休団、というかたちで1994年に幕を閉じましたが、その劇団が1993年に再演した「彦馬がゆく」という作品は、私のオールタイムベスト10不動の一本であり、演劇ってやっぱりすごい、そう思わせてくれた思い出の作品でもあります。私は近鉄小劇場の最前列で殆ど嗚咽、といっていいほどに泣いてしまい、舞台が終わってカーテンコールが済んでも、席を立つことがしばらく出来ませんでした。ラストシーンで大崩しになるセットの向こうに見える桜、その桜が舞い散る中で語られたモノローグを、私は今でも諳んじることができます。そのモノローグを語った伊藤俊人さんは、2004年5月にくも膜下出血に倒れ、今はもうこの世にはいません。

ずいぶん昔のことですが、三谷幸喜さんがとあるインタビューでこんな風に語っていたのを見かけました。「93年に再演した「彦馬がゆく」を見たとき、これはもうダメだと思った。初演(90年)にはあった熱がまったく感じられなかった。あれを見て、僕は解散を決めました」。

がびーん。(古い)

芝居の世界、とくに私の好きな「小劇場界」と言われる世界では、こういったことがわりと起こります。メディアというものがそれほど幅を利かせていない、良くも悪くも小さな世界ゆえの油断からか、つい昨日まで上演していた作品のことを演出家が「失敗作」と言い切ったり、ネットでその現場の空気が「如何に悪かったか」を役者が赤裸々に語ってしまったり、といったようなことです。

三谷さんの発言を読んだ当時の私の反応は「え、そりゃないんじゃ・・・」といったようなものだったと記憶しています。それに死ぬほど感動した私のプライスレスな思い出に泥を塗らなくてもいいじゃない、そうも思った気がします。でも、じゃあ、私はそんな熱の欠片もない、冷えた舞台を見てあれほど心を動かしたのか?私の感動はただの勘違いだったのか?そう思うと、いやそれはやっぱり違う、と思ったわけです。そんな風に言い切ってしまうのは、あの日あの場所で、震えるほど心を動かされたあの時の私に失礼というものではないか?

そこで私はこう思うことにしたんです。だとしたら、私があの舞台に感動したのは、作家や演出家さえも気がつかなかったその舞台の美しさに、気付くことができたからだって。蛇足ではありますが、ちなみに私は今でも三谷幸喜さんと彼の作る芝居の大ファンです。

さて、長い長い前置きがようやく終わりました。ここまで読んでいる方が果たして何人いるでしょうか。とは言っても、もう私の言いたいことは前置きの中にすべてあるのですから、ここからはスピードアップして行きましょう。先日発売された吉井和哉さんの自伝「失われた愛を求めて」には、当時を振り返った彼の発言が多く出てきます。以下自伝をお読みでない方は内容に触れますのでご注意下さい。

その中には、ライブに関する幾分(と表現を和らげてみました)ネガティブな発言もありました。ジャガーのライブは気迫がすごいと言われるけど酔ってただけ、パンチドランカーツアーのことは覚えてない、目をつむって打たれていた、懲役のようなものだった、最後の東京ドームは死んでた、なんの昂ぶりもなかった、これが終わったらやっと休める、etc、etc。

それに対して殊更に感情を高ぶらせることはなくても、「え、ちょっとそれは・・・」みたいな、そんなこと今更触れないでくれよん、みたいな、そんなちょっと切ない思いをした人もいるかもしれません。でも、私はさっき、私のプライスレスな思い出に泥を塗らなくてもいいじゃない、と書きましたが、実は思い出に泥が塗られたわけではないのですよね。塗られたとすれば、それはあの時あの場所で、私たちは何かを、もしかしたら同じ思いを共有していたはずだ、という幻想に塗られただけなのです。あの時私が、あなたが、受け取ったそのライブの輝きは変わらない。なんの先入観もなく、馴れ合いもなく、ただステージから与えられたものを受け取った、その受け取ったものの輝きは変わらないのです。それが表現というものの持つ力ではないでしょうか。その世界では、創り手すら気がつくことのないものを、観客が受け取ることだってありえる。あなたは吉井和哉でさえ気がつかなかったそのライブの美しさに、きっと気がついただけなのです。

ライブだけではなくて、それは楽曲についても同じでしょう。JAMで歌われる「君」は彼の娘のことだ、そう言われて、それであの曲に対する感情は変わるか?変わらない。吉井が歌った相手のことを思い浮かべるか?浮かべない。第一、知らないし。彼の手を離れたその瞬間、「君」は普遍の意味を持つものになります。恋人か友人か、親か子か。それともここではないどこかにいる誰かか。だからこそ、あの曲は素晴らしく、いつまでも強さをもって語りかけることが出来るのでしょう。

なんだよそんなの詭弁じゃん、オーイエス良く気がつきました、これは詭弁です。それも、自己防衛本能にまみれまくった詭弁です。でもいいじゃない、しょうがないじゃない、いろいろあるんだもの。ヲタ生活やっていくには、サバイバル能力も鍛えられるという話、ほんのちょっとさみしい気持ちになっちゃったひとは、そう考えると楽になるかもしれないよ、という、どうでもいいお話です。

ところで、なぜ冒頭にシェイクスピアの台詞を引用しているのか?意味はありません。ただ、数多ある彼の人の作品の、数多ある名台詞の中で、私がもっとも好きな台詞がこれだというだけです。でもステージって、ライヴって、こういうものなんじゃないかと思っています。そんなわけですから皆々様、お気に召さずばただ夢を見たと思ってお許しを!