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しかし、みんなして東京ドーム東京ドームって・・・

大阪ドームでやったことはまるでなかったことのように扱われていると思うのだがどうか!

こんばんは、ぴーとです。

大阪ドーム、行ったぜもちろん。神が舞い降りた!ってぐらい良い席だったんだよ、これが。でもドームの良い席つっても遠いんだコレ!こんなに近くにいるのに、あなたが遠い!(元から遠いよ!)みたいな。吉井、おまえ、覚えてねーだろ(笑)すげえ緊張してたんだぞ、あんた。イエローモンキーでも、場に飲まれることってあんのか!みたいな感じだったよ。なにかの曲の時にエマのギターのチューニングが合ってないような感じになって、なんかこっちまでハラハラしてさ。メカラっていってるのに、全然メカラじゃないしさ。終わったあと心斎橋でみんなで飲んださ。隣のテーブルの客もドーム帰りだったさ。1月4日だよ、なんつーリーマン泣かせな。

そんで4日後が東京ドームだよ。雪だったよ。寒かったよ。もうセットリストはわかってるからこっちも気楽だったよ。この日は2階のスタンドだったけど、大阪の時より楽しかったよ。楽しもう!としてたしな。アンコールの時ウェーブ起こったのとか、それも覚えてないっしょ、YOUはどうせ。あれ私の前に座っていた男の子の一団がやり始めたんだよ。何回かやっていくうちにつながって、7万人がばかみたいに立ったり座ったりしたさ。SHOCKHEARTSのとき、楽しかったよ。たのしいなあ、ライブ楽しい、そう思ってたよ。これが最後でもいいとか、そういうことはあの時は考えないようにしていたよ。

ASIANのとき泣きそうだったって?でもこの間自伝では「ちょー醒めてた」つってたじゃん(笑)紙吹雪蹴り上げながら物凄く冷静な顔で歌ってたとか言ってたじゃん(笑)

ライブという一瞬の、その場限りの感情の交錯を、あとからどうだったと語ることに、殆ど意味なんてない。結局のところ、あの時ドームにいた7万人には7万人なりの、それぞれの事情があって、それぞれの受け止め方があって、それはその一瞬だからこその感情のやりとりだったはずだ。わたしはあの雪の東京ドームを、哀しい日だったとは記憶していない。だって、まだこれが最後じゃない、最後じゃないはずだと私は信じようとしていたし、その時には「これが最後じゃないですよ」という大きなタテマエだって存在していたからだ。不安はあって、予感もあったが、それでも確信じゃなかった。

なんてね。

でも、私がその時アンケートに書いた言葉は、まるでお別れの挨拶のようだったんだよな。

なんでそう思っていたんだろう。っていうか、実際、そうなったわけだけど。

哀しい予感ってやつなのかな。

あの時のお客さんはどうしてるか?

みんなそれぞれ、元気でやってるよ。あなたに関係あったりなかったり、いろいろだろうけどさ。

いろいろ思うけど、あの時アンケートに書いて贈った言葉が、どこか私の芯になっているような気もするよ。あはは、初心わするるべからずって感じか?

とても楽しいライヴでした。素敵なライヴでした。今日は、もしかしてこれが最後になっちゃっても悔いの残らないようにしようと思って来ました。本当に、楽しかったです。

心の底の底から、また帰ってきてくれればいいなと願っていますが、私は私でこれから楽しく充実した自分を生きようと思っていますので、メンバーもそれぞれが楽しく充実した自分を生きていてくれるなら、それで、幸せのような気もします。

曲を聴きながらいろんな事を思い出しました。

JAMを初めてテレビで聞いたとき、画面に吸い込まれそうになったこと、

天国旅行のギターの音が胸に刺さるかと思ったこと、

3月10日の横浜アリーナで「離れるな」を胸一杯の思いで聴いたこと、

武道館でASIANを初めて聴いたとき、幸福で死にそうになったこと。

ほんとうにどうもありがとう楽しかったなぁ

私の方こそ、山程の歓喜と苦悩と熱狂と苛立ちと最高の興奮をどうもありがとう

あなた達は本当に世界で一番カッコイイロックバンドです。

また、会えたらいいな。