劇的なるものをめぐって

いつも拝見しているblogで、先日放送されたエレカシのLIVE映像について「宮本さんの表現は演劇的アプローチ」と書いていらっしゃるのを読んでおお、と思うところがあった。あれだけの激しい演奏や音が叩きつけられるライヴにおいてでも、エレカシのオーディエンスは「参加する」「熱狂する」というテンションとはまた別に「観る」というテンションが確かに存在しているように思えるのは、宮本のそういったアプローチが影響するところもあるのかなと思う。でもって、わたしが惹かれるのもそういうところもあるのかなあとも思う。

というか、エレカシに限らず、私はやっぱり「劇的なるもの」がすごく好きなんですねきっと。だからどれだけライブとして面白くても(演奏がうまくても)そういう要素がないとエンジンがかかりにくいというか。

劇的を辞書でひくと「劇を見ているような強い緊張や感動を覚えたり、変化に富んだりしているさま」とあります。

先日のエントリで書いた、Dragon Head Miracle tourのDVDで、腕をまくってドラゴンのタトゥーを見せるところがすき、というのもなんというか、あれが「劇的」な瞬間だなあとおもうからで、もっと格好良かったり、可愛かったりする場面はたくさんあるのだけど、あの顔には「強い緊張や感動」を感じてしまうところが多分にあるんだろうなあ、なんて。