いざ

いつも拝見させて頂いているブログで、自分にとって「弱い」歌詞のパターンがある、というような話をされていてあーわかるわかる!と思ったんですけど、ありますよね、自分にとってぐっときてしまう歌詞のパターン。必ずしもひとつのパターンに限らないけれど、私の場合その中のひとつが「ネガーポジ」のフレーズ。

 

例えばビルマニアのこれね。

愛する世界に飛び込み いい幻想見よう

いい幻想見よう、って普通なようで普通じゃない。だって幻想だからね。幻だからね。「幻想」を辞書で引くとこう書いてある。「現実にないことを思い描くこと。また、その思い。」 このネガーポジ、またはポジーネガのフレーズの達人の一人が草野マサムネだと個人的には思ってるんだけど、スピッツの名曲「青い車」なんてまさにそういうフレーズのみで組み立てられてると言っても過言ではない。

生きるということは木々も水も火も 同じことだと気付いたよ

愛で汚された ちゃちな飾りほど美しく見える光

君の青い車で海へ行こう おいてきた何かを見に行こう もう何も恐れないよ

つまらない宝物を眺めよう 偽物のかけらにキスしよう 今 変わっていくよ

ああああ。 きゅんきゅんくるね!きゅんきゅんくるよ! 現実にないことを思い描いていることに対して、いい、とか悪い、とかいう形容詞はあまりつかない。幻想、マボロシ、だけどこの歌詞はさ、「どうせ幻想じゃないか」っていう諦観からきてるわけじゃないことは明らかで、なんつーのかな、やっぱりどこか、人間のよわさと優しさ、みたいなものを感じるんですよ。それは幻想だろ、って否定するんじゃなくて、その先の世界にあるものがたとえ幻想でも、いい幻想をみようぜって、やっぱりすごい優しさだと思うんだよなあ。現実を見ろ!っていうありきたりなことばにはないエッセンスがありますよね。

 

だいたいさ、ヲタ生活なんて「愛する世界」にとびこんで、いかに「いい幻想」をみられるかってなところがあるじゃないですか。というわけで(どんなわけだ)、そんな優しさライセンスにあふれたビルマニアが聴けるのかどうなのか、雨は降るのかどうなのか、雨が降ったら吉井ちゃんまた精神的に落ち込みやしないかと案ずるヲタの割合はいったい何パーセントなのか、奇しくも私が参加するたびにRIJFに出てくるYAZAWA永ちゃんと俺との間に赤い糸はないのかないのか、そしてこの山のような荷物を抱えて私は明日無事に上野につけるのかどうなのか、問題山積のなか行って参ります。携帯が無事だったらなんか更新したいなと思いますけど電波がどうなのか!とかそもそも俺の体力が持つかどうかが問題。っていうかこのブログあまり携帯で更新したことないから果たしてちゃんと出来るのかいまいち不安。ともあれ行って参ります。愛する世界に飛び込み、いい幻想に満たされる3日間。 そういえば、1回目のRIJFに参加するときも前日の日記この言葉で〆たわ、今思い出した。 待ってろよ、ひたちなか