桶屋が儲かる

続きます。 さて、こうして私のipodのなかで「シャンブル」がおそろしいほどの再生回数を刻んでいく中、私は唐突にひとつのことに気がついた。収録されている曲はどれも個性的で、時に楽しく、時に感動的であり、さらには脱力せざるを得ないというものまでバラエティに富んでいるが、私がこのアルバムの中で、好きだ、と思う曲を並べたとき、上から4つがすべて同じ人の手になるものであるということに。 ひまわり、WAO!、R&R IS NO DEAD、HELLO。 作詞作曲はすべて阿部義晴

 

かつて阿部Bと言われていた彼のことを、もちろん私は知らないわけではなかった。キーボーディストで、ユニコーンのなかの唯一の山形県出身で、バンドには途中加入で、開店休業の作詞作曲者で、そして氣志團のプロデューサーでもある人。だがそれだけだった。阿部自身のソロの音源なんて聴いたことなかった。でも、こんなに高確率で自分がはまる曲を書く人が、解散後どんな仕事をしていたのか私は知りたくなった。まず音源・・・と言いたいところだが最初に映像から入ってしまうのが私の私たるゆえんである。最初に買ったのは阿部義晴の40歳を祝う!という名目のライヴDVD「阿部義晴音楽祭」。面白かった。メイキングではちょっとハイテンションにすぎるのではないかと思うような奥田民生のはしゃぎっぷりなども拝めて得した気分だった。SPARKS GO GOとやった曲のいくつかはまたしても私のツボにはまった。それにしても鍵盤を弾く男というのはどうしてこんなにモテオーラが出るのか、だれかにこの謎を解明してもらいたい。 こうなったら前後の見境なく手に入るものはすべて手に入れなければ気が済まない、というヲタク体質であるがゆえ、私は阿部義晴のソロ音源の収集にとりかかった。しかし買うにも闇雲に揃えても面白くない。できれば年季の入った阿部マニアな方々のご意見なども参考にしたい。そうなれば頼るのはネットである。いろんな単語、いろんなフレーズで私は検索しまくった。しかし、その多くが再始動後の彼について改めて触れる、というもので、リリース当時のもの、もしくは、アルバムごとの感想を置いてくれているようなところにはなかなか行き当たらなかった。時間が経ってるだけに難しいよなあ、と私は思い、今はブログが主流だから、昔のサイトはどんどん消えてしまっているし、そういったアーカイブはなかなか残らないんだろうな、と思った。

 

その文章を見つけたのは偶然だった。解散後の阿部のライブについてのレポ。とても読みやすい、しっくりくる文章を書くひとだなあと私は思った。不遜なことを承知で言うならば、どこか私の文章の温度と似ているところがあった。そのURLを削って、インデックスを探し当てた。そこは、すべてではないがアルバムについてのレビュー、レポ、その他もろもろの、「阿部義晴にまつわるもの」で埋め尽くされていた。私はそれを端から端まで読んだ。そのアーカイブでは飽きたらず、その書き手が今、ユニコーンの復活のことをどう書いているのか、が知りたくなった。さらにURLを削ってトップページを探し当て、そこから現在のblogを見つけた。 復活、ということを知ってからメディアで見る彼ら、その感想、言葉は決して多くはないが、そこには「過去にそういう時間をもったひとにしか決して書けない」と思わせる文章であふれていた。このひとの文章、すきだ、と私は思った。自分と似ているから?そうかもしれない。アルバムが発売になった日付には、もちろんその感想が書かれていた。 私は多分その文章を、そのときだけでも軽く10回は読み返したのではないか。これはわたしだ、とそう思った。これは、わたしがずっと考えてきたことだ。考えてきて、それを言葉にすることはなかったけれど、でも言葉にするのならこうなるに違いない。あなたの気持ちがわかる、なんて本当にうすっぺらい言葉だけれど、私はそのとき、そうとしか言い表せない気持ちでいっぱいになった。私には、あなたの気持ちがわかる。

 

なぜか、ということを探索するのはやめておくけれど、私は一時期このblogのことが重くて重くてしょうがなかった。好きで始めたことが、どうしてこんなことになってしまったのか、どこでボタンをかけ間違えたのか、いくら考えてもわからなかった。このblogを続けることは、私の吉井和哉というひとに対するなけなしの愛情を削っているだけのように思えてきた。やめたほうがいいのかも、と何度も考えた。けれど、一度始めた以上、ある程度責任というものがあるだろうと思ったし、わたしの書いたものを、好きだといってくださる方への申し訳なさもあり、結局のところ、やめたらやめたで、後悔するのではないかとも思ったのだった。なくした瞬間に惜しくなるというあれだ。

 

結局の所私はその天から降ってきた業務命令という名の不可抗力に乗っかってblogを一時閉じてしまった。研修が終わって帰ってきても、再開するとも、しないとも踏ん切りがつかなかった。もうどうでもいいや、そんな投げやりな気持ちもどこかにあった。 けれど、あのblogを読んだとき、あの文章を読んだとき、私はこの書き手のひとが、自分が何かに必死だったときの記録を、ひっそりとでも残してくれていたことに心から感謝した。そして同時に、私がなにかに、つまりはTHE YELLOW MONKEYに、吉井和哉に必死だった、もしくは必死なままのあれこれを書いて残しておくことをしてもいいのかも、と思ったのだ。素直でも、優しくもない、どこかひねくれていて自分の愛情を削るだけの文章でも、でもとにかく必死だったことだけは間違いなかった、そのあれこれを残してもいいのかも、そう思った。

 

きっかけはどこにでも転がっていて、こんな道筋をたどらなくても、私はいつかblogを再開したかもしれない。でも、いちど手を引いたくせに、どの面下げてのこのこと、という自分の中の声を打ち破る力となったのは、間違いなくあのひとの言葉だった。 風が吹けば桶屋が儲かるのか?それはともかく、ユニコーンという風が、このblogの扉を引っ張り上げたのは、間違いのない事実である。まったくもって、事実は小説よりも奇なり。ちなみに、阿部義晴の音源収集はその後も順調に進み、ほぼ8割方入手済みであることを申し添えます。