自由な聖地

金曜日の夜から日曜日の夕方まで、お友達の家でメカラ ウロコ weekendを楽しんできました。いやーたいへんな騒ぎだった。笑って食べて騒いで叫んで笑ってツッコんで食べて騒いで騒いで叫んで叫んで泣いて、まったくもって素晴らしい、最高のお祭りでした。ひとつひとつの感想どころか、なんなら1曲ずつの感想をこれから牛の咀嚼よろしく延々とやってもかまわない、ぐらいの気持ちはありますが、今月はこれからもまだまだまだまだお楽しみが続くので、それはまた時間のあるときに追々。いやしかしあれを見ると全曲感想を書き直したくなるね。なんという映像の宝庫。

 

先月、吉井の宇宙一周旅行も同じ友人達と見たのですが、その時に「どういう順番でメカラBOXを見るか?」という話題になり、満場一致で10→9→7にしよう(8はすでに見ているので)と決まり、つまり時間を遡る形でこのメカラBOXを堪能しました。それにはもちろん、いろんな理由があって、既発の7の映像が本当に大好きで大好きで、それはもう私たちにとって「絶対に間違いのないもの」だろうという予測が出来たけれど、9や10はもしかしたら映像の編集が好みじゃないかもしれないし、いろんなつらい気持ちが甦るかもしれないし、先に映像配信された分を見ても明らかに痩せた吉井の姿やその他もろもろに切なくなるかもしれないし、だから時間を遡ろう、7で終わりだったら絶対に楽しく終われる、そう思ったからというのが大きな理由でした。結果的に言えばその予測は正しくもあり、間違ってもいたのだけど、でもこの順番で見たことは本当に良かったと思っています。

 

このBOXを見た私の感想を無理矢理一言にまとめるなら、それは「楽しかった」です。もっと正確に言うなら、「楽しかったことを思い出した」。10も9ももちろん7も、本当に本当に楽しかったし、楽しかったから、私はあんなにも夢中になって彼らのライブを追いかけ続けていたんだった。THE YELLOW MONKEYのライブは楽しかった。何よりもそれを思い出しました。 彼らは2001年に活動を休止し、その後解散して、昔のライブの記憶には、どうやってもその悲しいフィルターが否応なくかかるようになってしまった。繰り返される「あの頃、実は」というエピソードがそのフィルターを一層強固に、複雑なものにした。メカラの9も10も本当に映像化を切望していた、だけどあの楽しかった記憶は本当のものだったのだろうか?もしかしたら私たちはただ熱にうかされて、大事なものを見過ごしたまま浮かれてライブに通っていただけではないのか?そんな疑心暗鬼にとらわれたこともあった。けど違った。 吉井が自伝で言ったように、もしかしたらメカラの9も10も吉井はただつらい思いをしていただけなのかもしれない、ほかのメンバーだって言わないだけでそうかもしれない、でも、だとしても、それがどうだっていうんだろうか。もっと乱暴な言い方をすれば、「そんなこと知ったこっちゃない」し、なにより、彼らはどれだけ自分たちがつらくても、舞台に立っているときに、客席にいる私たちを、悲しませようとか、苦しませようとか、つらさを分かち合おうとか、そんなふうには1ミリだって思っていなかったはずだ。彼らは精一杯私たちを楽しませようとしてくれた。私はその気持ちを、余すところなく受け取っていたのだ。そのことを思い出した。そして、誰になんと言われようと、自分が楽しい、と思ったことを信じること、それがなによりも大事だったことを思い出した。

 

今週末には、9年ぶりにJAPANの表紙をTHE YELLOW MONKEYが飾ることになる。私は、それを「怖い」と書いたけれど、それはそこで、彼らの今後、未来について、つまりは再結成について触れられる、もしくは触れられないことを「怖い」と思っているのではない。たとえそこで全員が「いつか再結成したい」と話をしたとしても、それはなんの約束にもならないし、逆に「再結成はない」と言われたとしても、それが決定打になるわけではない。今年見事な復活劇を成し遂げたユニコーンの、その立役者である阿部義晴さんは、つい数年前まで「再結成は絶対にない、バンドの名前を聞くのもいや」だと言っていたのだ。だが結局、彼が復活の口火を切った。未来の話を聞くことは怖くない。未来に怖いものはない。なぜなら一番おそれていたことはもう起こってしまっているからだ。彼らは解散した。それ以上におそれていたことはないし、そしてもう、THE YELLOW MONKEYはどこにもいない。吉井和哉はいても、菊地英昭はいても、廣瀬洋一はいても、菊地英二はいても、THE YELLOW MONKEYはいない。もうどこにもいないのだ。

 

私がおそれるのは、だから、過去に「名前がつけられる」こと、ただそれだけだった。センセーショナルな煽りを得意とするJAPANの(それが悪いというわけではない、それが彼らの個性だから)インタビューで、「THE YELLOW MONKEYとはなんだったのか」を決められてしまうこと、それこそが私がもっともおそれることだった。

メカラウロコBOXのライナーノーツを書いているのは押部啓子さん、元R&R NEWSMAKERの編集の方だ。吉井が、初めてメカラ7の完全版を出したい、と発言したときのインタビュアーが彼女だった。2006年10月、そのころは当然、このBOXが実現化するとは、夢見てはいたけど信じてはいなかった。一言一句、まさにその通り!どうしてそこまで気持ちをわかってもらえるのか!と思わないではいられない、素晴らしいライナーノーツだけど、その中にこんな言葉がある。「でも結局、冷静に音と向き合えば、いつでもそこに全てがあった」「解散してしまったという感傷もあいまって、いまだ熱心なファンの胸中にひきずるような残像をのこしていた」「そして今回もまた、冷静に向き合えばそこに全てがある」「いずれにしろ、それぞれの形で一度ケリがつくだろう」。

 

本当にその通りだった。結局のところ、最初から彼らのライブにすべてがあった。そして私にとってそれは「楽しさ」だった。彼らのライブは楽しかった。楽しい、という言葉が、表現として軽いと思われるのなら思ってもらってかまわない。私は楽しかった。吉井の言葉を借りれば、私にとって「THE YELLOW MONKEYとはそういうバンド」だった。 そのことを、私は思い出したのだ。 メカラ ウロコで武道館の舞台に立つ彼らはピカピカで、キラキラで、とびきり格好良くて、本当に本当に楽しそうだった。そのことを思い出した。今、その映像を見ても、やっぱり同じこと思う。私たちは、どのdiscでも1曲終わるごとに拍手喝采を送り、THE YELLOW MONKEYというバンドの神髄を堪能した。時間軸を遡って見たから、最後の曲はメカラ7の「楽園」だった。その前のシルクの凄まじさにあてられたあと、吉井のMCがあった。彼はコロムビアレコードへの感謝を述べた。メカラウロコの成人式を迎えるまで、と幾分むちゃくちゃな英語を繰り出しながら言った。アニーとエマがそれを聴きながら心から幸福そうに笑った。その光景を見ながら、本当だったら成人式を迎えるはずだった今年、今はもうバンドはない、そのことを考えないではいられなかった。でもこの時は、バンドの誰もが、その幸福な未来を信じていたのだ。

「赤い夕日をあびて 黒い海を渡ろう」。後年、30代は黒い海を渡っているようだったといったのは吉井だった。彼らは、この一瞬の強いきらめきを刻みつけたあと、まさに黒い海を渡ることになる。それを思うと、彼らの姿があまりにも健気に見えて、涙が止まらなくなった。それに寄り添って駆け抜けることになった自分のことを思った。吉井が感謝を述べたかったであろう、コロムビアの中原さんはこの場にいたのだろうか、と思い、その中原さんもいまはもういない、ということを思った。 結局のところ、エンドロールが流れ終わっても、私たちの涙は止まらず、楽しく終われるだろう、という目論見は脆くも崩れ去ったわけだけれど、でもそれはいやな涙ではなかった。押部さんのいうところの「ケリをつける」涙だったからかもしれない。今はもういなくても、私は今でもTHE YELLOW MONKEYというバンドが死ぬほどすきだということ、そして、吉井も、エマも、ヒーセも、アニーも、みんな今も元気でいてくれること、それがなによりもありがたいことだし、みんなのことが好きだし、実際に姿を見に行くことが出来たり出来なかったりしても、やっぱり元気でいてほしいし、これからもずっとそうであることを心から願っている。黒い海を渡った彼らがこれからどうなるのか、それは誰にもわからない。もう一度この頃に戻って欲しいとはまったく思わない。これはこのときだからこその輝きだったのだと思うからだ。けれど、これからもどうか楽しんでくれるように、そして、楽しませてくれるように、人生も、音楽も。それだけは、この時と変わらないでいてほしいと願う。 本当に楽しかった。 そのことを思い出させてくれたこと、ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。