さよならいつも怯えていたわたし

吉井和哉、2年半ぶりの全国ツアー決定吉井和哉 Kazuya Yoshii 15th Anniversary Tour 2018 -Let’s Go Oh! Honey-」 6月12日(火)福岡サンパレスホテル&ホール 6月14日(木)大阪フェスティバルホール 6月19日(火)仙台サンプラザホール 6月23日(土)東京国際フォーラム ホールA 6月30日(土)名古屋・日本特殊陶業市民会館

 

2月1日突然に降って沸いたこの知らせ!昼過ぎに携帯に来ていたメールを見て「マジか!」と声に出た。予想していなかったので、文字通り不意打ちでもあったし、その不意打ちがなんというか、電撃的に嬉しく、ああ~、吉井、やっぱりおまえはうれしい男だよ、と思えて、なんだかぐっと胸がつまったようになってしまった。

 

今から自分が何を書こうとしているのか、正直書き始めてもよくわかりません。いろんなひとがいろんなことを言うので、自分も言いたくなっただけなのか、それとも…よくわからない。ただ今回の知らせが本当にうれしかった。助かる、と思えた。助かる、というのは私が今個人的に置かれている環境がけっこうキツくて、それだけなら過去にも経験のあったことなんだけど、自分を日常から飛び立たせてくれるものの存在がいまひとつ見えないまま時間を過ごしていたからかもしれない。この2~3年、THE YELLOW MONKEYの再結成は言うに及ばず、私としては一種「祭り」のようなお楽しみが断続的に訪れていたので、それがふっつりと昨年暮れのメカラで途切れてしまったような気がしていたからかもしれない。

 

ツアーが発表になって、わっと心が沸き立つような気持になって、この気持ちはどこからくるのかなと思ったら、結局のところ、吉井さんに会える!という喜びなんだなーと思った。会えるって言葉そのものの意味というより、ライヴという私と吉井さんの場がある、という喜びとでも言おうか。そして、改めて今更言うのもなんだけれど、私は吉井さんのことが芯からすきなんだなあ、と思ったりした。

 

THE YELLOW MONKEYが2001年に休止して、2004年に解散して、私の愛するバンドはいなくなった。バンドはいなくなり、THE YELLOW MONKEYはこの世から姿を消した。語弊のある言い方かもしれないが、わたしはバンドは個の集合体というよりも、ひとつの生命体だと思っているので、解散はその生命体の死としかとらえることができない。私はその面影を求めて、ずいぶんとみっともなくあがいたと思う。吉井に対してだけでなく、どこかにバンドの縁を探そうとしていたし、そういう行為そのものが吉井や、エマや、ヒーセや、アニーに対して失礼極まりないことなのではないかと思ったこともあった。よく「恋に落ちる」というが、私にとってTHE YELLOW MONKEYというバンドは、まさに「恋に落ちた」バンドだった。かんぺきな、どこも嫌いなところのない、運命の恋人。

 

バンドが解散したあとの、吉井和哉の最初のソロのツアーを、私はZEPP OSAKAで見た。まだ南港の川べりにあったころのZEPP。マイクスタンドがセンターにおかれ、ライヴの間中、吉井和哉はほとんどそこを動かなかった。最初のアルバムのときはツアーをやらず、媒体にも出ず、インタビューも受けなかった。彼も傷ついていたんだろうし、観客もそれはきっと同じだったろう。THE YELLOW MONKEY再結成直前に行われた吉井和哉のツアータイトルは「Beginning & The End」と名付けられていたが、その時の感想で私はこんなことを書いている。

 

あのツアー、私はZEPPOSAKAでライブを見ていて、今でもはっきり覚えているのだが、突然アンコールの前にいたたまれなくなって一旦外に出てしまったのだ。ライブが楽しめなかったわけではなく、本当に突然、いいや、出よう、と思ってそのまま出てしまった。アンコールの1曲目を閉じられた扉の前でぼんやり聴き、ふと我にかえって最後の曲は会場のいちばんうしろで聞いた。あの時私は吉井和哉というアーティストとの距離の取り方がわからなくなっていたんだと思う。バンドを離れたことで、もういい、と切り捨てられるわけでもなく、かといって自分の中のバンドの残像を否定できるわけでもなかった。

 

だが結局のところ、私はその「吉井和哉というアーティスト」との距離を探りながら、この先も彼のことを追いかけ続けることになった。それはなによりも、文字通り吉井和哉が私を安心させたり、飽きさせたりしない、猫の目のようにかわる魅力をたたえたアーティストであり続けたからにほかならない。いろんなことがあった15年だった。自分の好きなバンドのことを、否定されたこともあったし、「もう自分の中にTHE YELLOW MONKEYはない」と言われたこともあったし、「降りた電車に誰が乗ってたかなんて気にするな もう彼らは遠くへ行った」という歌詞の美しさに心を寄せながら、「降りた電車」が何かを考えてうっすらと傷ついていたこともあった。バンドの曲をライヴで演奏してくれることを願いながら、ある曲だけは4人にとっておいてほしいと自分勝手な感傷を抱いていたりもした。モバイルサイトでのファンに甘えたようなやりとりに腹が立つこともあったし、いつまでも引きずるようなバンドの残像に振り回される自分がいやになったこともあった。でもそういうことのひとつ、ひとつを、私はいつも結局はライヴという場所で、私と吉井和哉が出会う場で、その得難い佇まい、しびれるようなかっこよさ、ひび割れた心に沁み込むような歌詞と歌によって乗り越えてきたんだと思う。へんな話だが、THE YELLOW MONKEYのことで私を一番傷つけたのは吉井和哉だが、私をそこから救ってくれたのもまた、吉井和哉なのだった。THE YELLOW MONKEYは私にとって運命の恋人だったが、吉井和哉への気持ちには時間をかけて育ててきた、一種の愛情めいたものがどうやってもうまれてしまっているのだとおもう。

 

2016年にTHE YELLOW MONKEYが帰ってきて、私はもはやそのことだけで、一生返しきれないぐらいの恩があの4人にはある。もちろん彼ら自身も望んだことだろうが、それでもありがたい、ありがとうとしか言えない。もういちど私の運命の恋人に会わせてくれたこと。これ以上のことを願ったことはなかった。こんなにも、生きていることの肯定と興奮をわたしに味わわせてくれるバンドはいないし、これからも現れないだろう。

 

でもそれとは別に、15年の間に育てた愛情の向かう場所もやっぱりあって、その場所で彼がやりたいと願うなら、私はそこに行くだけだなと思う。そしてそこで出会ったものとまた再会できることを嬉しくおもう。それもきっと、これからずっと変わらないんだろう。

 

なんとなくだけれど、きっといいツアーになるような気がしている。最初は、吉井さんも、緊張したりするだろうな。そういうモードの吉井和哉を見るのが、わたしはきらいじゃない。だってかならず、その緊張を乗り越えて、ライヴモンスターの顔を見せてくれるって、わかってるからね。あとはチケットを当てるだけだ(そこが大問題)。

 

結局のところ何が言いたかったのか、よくわからないままだけれど、でもやっぱり書いてみるとなんとなく自分の気持ちが見えてきたような気がするな。こうして(ライヴのレポとか以外で)吉井さんのことを、ああでもないこうでもないとテキストを書き連ねるのも久しぶりで懐かしい。そういう気持ちにさせるひとだよなーと、しみじみとおもう。また折に触れて、こうしていつまでもああでもないこうでもないと言い続けたい。そうしてまた、ライヴという場所で出会って、確認して、どんどん好きになりたいなと思います。いつまでもそれが続きますように。