30周年が来たりて笛を吹く #14「TVのシンガー」1997.07.26 富士天神山スキー場

解散前(後?)の東京ドームのアレが出ちゃっていやーさすがに打ち止めっしょ!と思っていたらこ…この手があったかー!いやーこりゃ一本取られましたな!っていうアレ(ドレ)。1997.07.26、第1回(第1回だったんですよぉ)フジロックフェスティバルから、TVのシンガー。クレジットにも出ているように、当時WOWOWで一部が放送されました。RED TAPE NAKEDの初回限定盤のボーナスディスクにも収録されてますね。そして第1回フジロックは2日間予定されていたところ、2日目の7月27日は台風の影響をもろに受けた初日の惨状を経て中止となっています。

 

フジロックについては吉井さんが自伝で触れていたり(あのときの挫折感で解散云々)、良くも悪くも伝説化した部分が多分にあります。私も過去にかなり長文のエントリを書いていますので、この話についてはもうすでに箱にしまって棚の上にあげたなあ…という感じですが興味のある方はぜひそちらで。

 

動画を見ても、4人ともギラッギラにかっこよくて、そりゃ名盤SICKSを完成させて、それを引っ提げての初のアリーナツアーを成功させて、このあとにはスタジアムクラスのライヴが待ってるっていう、文字通り「飛ぶ鳥を落とす勢い」の絶頂のころの彼らですもんね、そりゃかっこよくないなんてことがあろうはずもない(二重否定)。しかし、実際このライヴは彼らの(というか、吉井さんの)大きな転換点のひとつであったこと、実際にその現場にいたひとにも、そのあとの、今でいうなら「炎上」の余波をくらった外野にも、文字通りの爪痕を残したことは間違いない。

 

もし台風じゃなかったら、もしレッチリの前じゃなかったら、もし違うセットリストだったら、もし、もし…とあの頃考えなかったといったら嘘になるけれど、しかし今はなんというか、それがこのバンドに与えられた運命だったんだなあと思うし、経験しなくてもいい学びだったかもしれないけれど、私はこのフジロックの余波で多くのことを学んだことは確かだ。あれから20年近く経った今、あの日のオーディエンスの多くにとって、おそらくこの第1回フジロックに参加したことは、一種の武勇伝のひとつですらあるのじゃないかとおもう。願わくば、THE YELLOW MONKEY吉井和哉にとっても、「フジロックの思い出」が上書きされる日が来るといいのだけれど。