ジンルイサイゴノヒ

26日のことというよりは、なんだか結局ひとり上手な話でとっても申し訳ない。

もともと12月から1月の末までやっている「走れメルス」をいつ見に行っても良かった。別に他に観たい芝居もその時は思い浮かばなかったし、ただ自分の仕事の休みがそのあたりに入るんじゃないかという漠然とした予測で12月26日と28日のチケットを押さえただけだった。ところがその休みの予測が外れる。しかも同じ12月にロードオブザリングの音楽を担当したショアのコンサートがあるということがあとでわかる。そのどちらの時にも、一度押さえたメルスの日程を変えることも考えたんだ。でも手元にまだチケットが来ていなかったし、人に譲るにも譲りようがない(日程も日程だし)と思い、休みの調整は粘ることにして、ショアは諦めた。その3日後に来たんだ、今回の東京ドームの案内が。12月26日東京ドーム。16時からフィルム上映。上映後メンバー挨拶。メルスは14時開演、16時終演予定。

結局こうなってるんだな。行けってことなんだなこれは。ライブではないものに必死になるのがなんだか不思議な気もしつつ、ちゃんと律儀に申し込みをした。大阪の分も申し込んだ。充分必死じゃないか俺。

演奏することを、まったく期待しなかったと言ったらそれは嘘です。やっぱり最後は行っておこうと思った気持ちの何分の一かは、1曲ぐらい、やるかも、そういう下心があったからだと思う。でも、地方に住んでいる身としては、「ライブじゃないから」来ない、という決断をしたファンのことを思うと演らないほうがいいのかなと思ったのも偽らざる気持ちだ。愛だけじゃなく時間と財力も試されるのに、確定要素がないとつらい。

本当に、大丈夫だと思ったんだ。大阪でEXIBITIONの展示を見てはしゃいでも、昔のライブの映像を見てときめいても、もうちゃんと吉井のソロの曲も聴けるし昔のCDも聴ける。もうすでに「良い思い出」になりつつあるんじゃないかと思ったんだ。でもドームの前日あたりからどんどんおかしくなってきた。ずーっと考えるんだイエローモンキーの事ばかり。フィルム見て、挨拶して、でもってまた吉井の愛情が溢れすぎてひねりの利きすぎた挨拶に「何を考えて居るんだあいつは」とかいって終わりだ、それで全部。そう思っていても頭の中を、ぐるぐると黄色い猿が回る回る。

フィルムが終わって、暗くなって、遠いステージに4人の姿が出てきても、ぶっちゃけ遠すぎてモニター越しでないと顔もわからないし、うわーーエマ髪切ったら弟とそっくりだな!とか、そんなことを考えて居られた。全然泣いてなかった。でも4人がそのまま前方に作られたステージに進み、エマがギターに手をかけたその瞬間にぐらぐらきた。やっぱりやるんだ、やっぱりやるんだ。何を?そしてあの音が聞こえてきた。繰り返し繰り返し、何度も聞いたあの「JAM」の。

泣いた泣いたと自分の行動を告白するのなんて馬鹿らしい事かもしれないけれど、吉井の声が聞こえてきた瞬間に、私は泣いた。8月2日にあの手紙が着いてから、ため込んでいたものを押し流すようにめちゃめちゃに泣いた。これが最後だから4人を見なきゃいけない、でも涙がどうやっても止まらない。最後だから、最後だから、最後なのに。

どうしてJAMなんだろう、ということは、やはり考える。東京ドームのラストが犬小屋、わたしはそれも美しい最後だと思ってはいたので、なぜ、最後にJAMなんだろう?単純に代表曲だから、知名度があるから、吉井のお気に入りだから?本当のことはわからない。ただ、個人的な話になるけども、最後のJAMを聴きながら私にとってのイエローモンキーはJAMで始まり、JAMで終わることになるんだな、とも考えた。結局ここに帰ってくるんだなと。

JAMという曲は疑いなく素晴らしい曲だけど、あまりに一人歩きが過ぎてしまっている感が強い。その短いながらも非常に挑発的な「乗客に日本人はいませんでした」という部分だけがクローズアップされすぎて、ある意味手垢の付いてしまった曲になった感じもある。だけど私は、JAMという曲は一見パブリックな顔をしているけれどこれ以上ないぐらいパーソナルな歌だと思う。自分の、世の中のどうしようもなさの中でひとつだけ、ただ君に会いたいと叫ぶ。それは私にとってとてつもなくリアルだった。それは奇しくも吉井が言ったように「君たちと俺達のロックンロール」そのものだった。

そのままJAMの最後を観客のコーラスに託して、4人は手を振って消えた。言葉はなかった。あの演奏が言葉の代わりなんだろうと思う。

僕は何を思えばいいんだろう 僕はなんて言えばいいんだろう 

だからJAMなのかな。でも、本当の理由なんてどうでもいいのかもしれない。

彼らの最後はカッコイイものでは決してなかったと思う。鮮やかな幕切れというには到底程遠かった。まったくどこまでも不器用な連中だなあとも思う。でも、大阪の時も思ったが、最初に聞いたときは微妙だと思ったこのイベントも、彼らなりの一生懸命の表れなんだろうなと感じた。あの誰もいないステージをずっと照らし続ける照明や、どうやったって懐かしさを感じてしまう展示の数々、復刻されたグッズ、もちろん私達は金蔓ではあるけれど、それ以上の誠意も感じたのだった。東京ドームなんて、このためだけに借り切ってクレーンまで用意して、誰もいないステージなのに。24日のクリスマスイブに必着で届けられたFCからの冊子も、すごく凝った作りの本で、活動していない期間のFC会費は別途払い戻すのに、これだけのことをしてくれたのは正直嬉しかった。彼らはいろいろ考えて、それは間違っていたりうまく伝わらなかったりしたけれど、でも誠実ではあったと思う。一生懸命であったと思う。それは嬉しかったし、有り難かったし、救いだった。

私にとってこのドームは、やっとちゃんと泣くことができたという意味で大きかった。ああやって本当はずっと泣きたかったんだな。勝手な思い込みかもしれないけど、イエローモンキーのファンはなかなか素直でない人が多いので(勿論私も含めて)、結構頑張って自分を律していたひとも多いんじゃないだろうかと思う。でもあのライブの前ではそんなものは役に立たなかった。やっぱり彼らはライブの人だった。ライブのバンドだった。その最後が言葉ではなくライブであって、やっぱり良かったのかもしれない。

昔のライブの映像を見る。やっぱり彼らはカッコイイ。解散を聞かされた当初の、ライブの映像を思い返したあとに来る「もうこれが二度とない」という重たい喪失感から、すこしは自由になった気がする。彼らは最高に格好良かった。どれだけ言葉を尽くしても、結局はそれが全部なのかもしれないな。

これだけ色んな思いをさせられても、もう一回人生やり直せるといわれたら、また同じことをしたい。もう一度イエローモンキーと出会って、余計なものも一緒に最高に素敵なものをもらいたい。

そう思えるロックバンドと出会えて、幸福でした。

どうもありがとう。

2004.12.26