だからもっと照らして

鼻水がなぜか止まらない。大丈夫か、明後日夜勤明けのまま吉井のライブなのに。汗とかが飛び散るのならともかく鼻から出る汁を飛び散らせるのはまずかろう。

薬を飲んだので頭がぼーっとしてます。

吉井の新曲は発売日前日にフラゲしてきました。ただいまiPodで文字通りハードリピート中(BEAUTIFULの3曲だけが延々流れ続けるという鬼設定にしているため)。24日は残業で、帰り着いたらいつも行ってるお店がもう閉まっていたんだが、逡巡した挙げ句自転車で20分ほど走ったところにある国道沿いのTSUTAYAまで行って買ってきた自分と凍りそうになった耳朶に吉井への愛をひしひしと感じた次第。はっ、もしかしてそれが原因で風邪を・・・?(タイムラグありすぎ)

話が飛ぶようだがというか実際飛んでいるのだが、昨年の暮れにグリングの「海賊」という芝居を観た。その時は、あまりにパーソナルなことなので感想には書かなかったのだけど、劇中で主人公である男が実家の理髪店の椅子に暗闇の中一人座り、突然に慟哭してしまうシーンがある。彼の置かれている状況はあまりにも絶望的なもので、そしてどこにも彼の行き場所はないように思える。そのシーンを観たときに私はああ、さっきの自分だ、と思ってしまったのだった。彼の場合は実家の理髪店だったけど、私の場合はそれは阪和線の快速の中だった。

人に話せばそれは大したことではないこと、と言われるだろうと思うけれども、私は昨年の暮れ、いろんなことに行き詰まってかなり参っていた。さらに参るのは、それが今、一時的な状況じゃなくてこれからもずっと自分につきまとう問題なんだろうなあということが私をさらに暗くさせた。その日、私は昼過ぎに病院の予約をしていたのだけど、仕事が長引いてしまい結局予約はキャンセルせざるをえなくなった。その仕事が長引かせてしまったのは他ならぬ自分の至らなさ、はっきり言えば「ダメさ」であるということはその仕事を片づけている間中(そしてそれに同僚が付き合ってくれている間中)痛いほど感じていたことで、だからどうにかこうにかケリをつけて、病院にはもう間に合わないからとりあえずグリングのために京橋まで出よう、と乗った電車の中で、本当に突然、私は泣き始めてしまったのだった。自分でも驚くほど、それは突然襲ってきた涙だった。人が居なければ、声をあげて泣いてしまいそうな勢いだった。

そういう瞬間を抱えているのはきっと誰も同じなんだろう、と私は思う。

吉井さんが(照れますね、なんかこの呼び方)新曲に関するインタビューで、テーマを「日常の小さな祈り」と何度も繰り返し言っていたが、私はこの言葉を聞くとあの時の自分の姿を思い出す。そしてその日の夜、舞台の上で観た主人公の姿も。彼はそのシーンのあと、みずからの命を絶とうとするが、不意に訪れた来客のためにそれは実行に移されない。ケーキを持ってきたその小さな女の子と彼は何気ない会話を交わし、舞台は彼らの痛みに溢れながらも優しさに満ちた笑顔で終わる。「小さな祈り」というのはあの女の子のような存在なんだろうな、と思う。それは言葉にすれば「神さま、どうか生きていけますように」という言葉なんじゃないだろうか。

吉井和哉という人のもつ独特の妖しさ、毒と艶に溢れた言葉と音。イエローモンキーの時にあったそれらのものは今、彼にみることが出来ない。今の吉井和哉を観ていても、私は後ろにひっくり返るほど「かっこいい」と思うこともないし痺れるような興奮を味わうこともない。

ただ、今の私には、毒と艶に代わりに彼が歌にこめた優しさが沁みるのです。

癒されるわけではない。元気になるわけではない。日常を忘れさせてくれるわけでもないし、楽しい、わけですらないのかもしれない。ただ、彼が今歌う言葉は、私に沁みる。鴻上さんの言葉を借りるのならば、それはまるで「涙を拭くハンカチのような音楽」なのかもしれない。絶望の原因そのものには無力だけれども。

公園の噴水は何時までか?

ぼくたちがそれを知ったって意味ないか

人類の愛情は元気かとか

結局人間は一人かとか

わからないほうがBEAUTIFUL

今回のツアーは、都合3回参加する予定。求めるものは昔と違っていても、やっぱり私はまだ彼に夢中ってことなんでしょうね。くやしくもあり、嬉しくもあり。

2006.01.30