JAM/2

JAMという曲の中には非常に印象的なフレーズが多く散りばめられているが、その中でももっとも強烈なものがこの部分だろう。

外国で飛行機が落ちました ニュースキャスターは嬉しそうに 「乗客に日本人はいませんでした」 「いませんでした」「いませんでした」

イエローモンキーにハマリ、ネットにハマって最初にできた親しい友人は、実はこのJAMという曲が嫌いだった。 父親が海外で多く仕事をしていたという彼女は、そういったニュースに喜ぶひとたちを揶揄しているようなこの歌詞を好きになれないと言っていた。 なるほどなあ、と思うと同時に、それはちょっと違うんじゃないかなあ、と思ったことをすごく覚えている。

私にとってこの歌詞は「日本人に被害がなきゃそれでいいのか!」という正義感を打ち出したものではないし、そういった報道をするマスコミを揶揄したものでもない。「乗客に日本人はいませんでした」という言葉に安堵感を覚えるのは誰でも同じだ。それは吉井だって同じだろう。しかし、その一瞬あとにうしろめたさを感じるのも、皆同じなのではないだろうか?どこか遠い国の、遠い戦争の、飢えた子供達をテレビで見ながら、自分の目の前にある豪華な食事を食べるときの違和感、関わり合いになりたくないからと駅のホームで倒れている酔っぱらいを見て見ぬふりをするときのちくりとした感情、そういうものを感じたことがない人などいるだろうか?

そういった日常の中の割り切れない思いを、このたった3行にも満たない歌詞で表現し、それを「僕はなんて言えばいいんだろう」につなげていくところが、この曲の素晴らしいところだと私は思う。 吉井和哉はこの歌を他人事として歌っていない。彼は決して、自分の言葉を他人事としては歌わない。それが私が吉井和哉という人を信用する最も根っこの部分だといってもいい。だから、社会的なことが歌われていたとしても、それが批判的なものに聞こえたとしても、彼は自分を蚊帳の外には決して置いていない。この歌はきわめてパーソナルなものだし、だからこそ私達の心に深く投げかけ、そしてなかなか消費されない強い楽曲たり得ているのじゃないだろうか。

こんな夜は 逢いたくて 逢いたくて 逢いたくて 君に逢いたくて 君に逢いたくて また明日を待ってる