物分かりのいい「私」をやるには、私は彼らのことが好きすぎた

と、2年前の日記に私は書いている。

2年前の七夕の日に、私が好きすぎたバンドTHE YELLOW MONKEYは解散した。

この世から消えた。

あの時、もう二度とつらくて見れないのではないかと思ったライブビデオを私は今では毎日のように見ているし、友人達とわーわーきゃーきゃー彼らの映像を見ながら騒ぐことも出来るようになった。「捨ててしまったもの戻ってこないけれど/なくしてしまったものなら急に帰ってくることあるんだぜ」と、彼の言葉をこんな時に借りるのもどうかと思うが、それは本当にそうなんだなと実感したりもする。2年て、長すぎる時間ではけっしてないと思うけど、人間の心はたくましい。


[再録]遠くの景色 20041002

先日発売になったロッキンオン社発行の「bridge」に、イエローモンキーの解散について、メンバー4人全員のインタビューが掲載されている。私はこの記事のことを全く知らなかった。8月2日以降、私はイエローモンキーと吉井和哉に関する全てを意識的に遠ざけていたからだ。買ったばかりの吉井のシングルは結局封も開けずにいた。それは買ってきたその日の午後にあの手紙が届いたからだ。公式サイトなどで取材を受けたと吉井が言及していたそうだがそれも知らなかったし、ロッキンオンのサイトでこのインタビューのことが告知されていることも知らなかった。

だから本屋でそれを見かけたときは思わず動きが止まった。表紙の4人の写真は、同じ時に撮影されたものが今月のJAPANにも載っていたので、JAPANの記事の中身が見えているのかと一瞬思ったぐらいだ。bridge、4人のインタビュー。どうしよう、と思い、困ったな、と別に困ってもいないのになぜだかそう思った。手に取ったが、結局店先では表紙をめくることもできなかった。

私のサイトを訪れてくれている人の中にはイエローモンキーのファンも少なからず居ると思うので、具体的なインタビューの内容には極力触れたくない。読むという選択をするなら、まず実際に読んで貰いたいし、今更そんなもの読みたくないという人だっているだろうと思うからだ。

思ったことは、色々あり、考えたことも、色々ある。でもひとつだけどうしても、たとえどんなに前向きな解散だったとしても、解散という事実は絶対的にネガティブなものだ。結果としてポジティブなものが生まれたとしても、解散という事実の重さはそれによって精算されるものじゃない。インタビューを読んだ今でも「解散して良かったんだよ」なんてことは私は絶対に言いたくない。解散はひどいことだった。あれはまったくひどいことだった。私は深く傷ついたし、今でも傷ついてる。ただ、ひどいことだったけれども「それしかなかった」という彼らの選択は、しょうがないものなのかもしれないと思う。

インタビューの中で渋谷さんも言っていたが、覚悟をしていたはずなのに、いざ解散と言われるとうろたえた、それは私も同じだった。以下の文章は私がほぼ4年前、日記で書いたことだ。

私はこの休止を自分の中でほとんど解散だと思っている。

今までの4人には、1月8日でいったんサヨナラだと私は思っている。

だって、吉井はもう一度4人でやることを願っていると思えるが、信じているとは思えないんだもん。

だから、もう一度4人が、心の底から一緒にやりたいと願っている4人が

私の目の前に現れたら、それは奇跡だと思うことにする。

で、奇跡が起こることを、願っている。

同じじゃん。つか、よけい、たちが悪いな。あたす。

ああ、全く今読むと、昔の自分の方が覚悟決めていたんだな、と思う。なのに、あの日、4人からの手紙に私はうろたえまくった。こんなに激しく人を罵ったことはないというぐらい彼を罵った。分かっていたはずなのにな。それは渋谷さんのいうように「依存」なのかもしれない。でもそれがファンだけではなく、覚悟を決めていたはずなのに、喪失感に耐えられなかったと他の誰でもないメンバー4人がそれぞれに語るのを見て、だからこそ「解散」に至ったのかもしれないなと、私もぼんやり思うようになった。イエローモンキーの存在の重さが、それをさせてしまったのかもしれないと。

インタビューの中身に、それぞれ思うことは違うだろう。解散そのものの是非も、人によって思うことは違うだろう。だけどこのインタビューを聞けたことは、私には良かった。少なくとも、棚にしまったままの「トブヨウニ」の封を開ける気にはなった。結局、イエローモンキーとの関係で得た傷は、イエローモンキーにしかふさげないということなんだろう。解散したことの傷は、だから一生埋まらない。埋まらなくていい、と私は思う。そんな簡単なものじゃなかったからな。彼らがもし、万が一、戻ってきたら、私は「そんな格好悪いことすんなよな~」と言いながら、それを絶対受け入れるだろう。罵りながら、ライブに行くだろう。帰ってなんて来なくて良いよ、と言えるほど私は彼らを嫌いになれない。いや、違う。嫌いにはなれる。でも無関心にはなれない。絶対に。

最後にひとつ、今回のインタビューで吉井は(他の3人も)ほとんど「ファンの皆様に申し訳ない」とか「ファンの子のために」とかいう台詞を言っていない。それはとても嬉しかった。前JAPAN編集長の兵庫さんは今月号の寄稿で、休止したままほったらかしていてもいいのに「ファンのために」それはしなかった、というようなことを書いていたがそれは違う。もしイエローモンキーがそんなエセヒューマニズムに溢れた物言いをするようなバンドだったらそれこそ解散よりそっちががっかりだ。彼らは目に見えない、形のない、だけど確かにある「イエローモンキーのため」そして何よりも「自分のため」と何度も語った。それは私にはとても嬉しいことに思えた。

吉井さん(と、呼ぶのも久しぶりだが)、あなたは私達に謝ったり気を使ったりしないでいい。いや、するべきじゃない。私達も勝手にあなたを愛したり、憎んだり、入れあげたり、罵ったりするだけだ。あなたはそれを受け止めたり聞き流したりしながらただ前を向いて進んで欲しいと思う。こうなったからには、それが吉井さんにできるたったひとつのことだろう。

かくてボートは燃やされた。

燃やされたボートを惜しむ気持ちが、正直私にはまだある。でも、しょうがない。燃えかすではボートは作れない。犬小屋に繋がれていた首輪の枷は外された。私は見ている。ただずっと、見ている。


実はというのもなんだが、私はこのbridgeでのインタビューを、その後も何度も読んでいる。彼らは正直すぎるほどに正直にこのインタビューに答えてくれているように思え、だから解散という事実はつらいものにせよ、このインタビューを読むことに苦痛がないのだと思う。だけど、ファンの人の中にはいまだにこのインタビューを読めないという人もいる。人はそれぞれだ。私はといえば、パンチドランカーツアー終了時以降のインタビューを読むのがいまだにつらい。結果を知ってしまった今、未来に希望を語る(そして語る本人はその未来を信じていない)のを読むのは何ともいえない気持ちになる。

おそろしいのは、私がこんなにもまだTHE YELLOW MONKEYのことを好きで好きでしょうがない、ということだ。

bridgeの編集後記で渋谷陽一の書いた一文がずっと頭に残っている。

そうして彼らは理想のバンドを生き・・・・

好きで好きでしょうがなかったものがいなくなってしまったやるせなさと共に、その理想のバンドと一時同じ空気を吸えたことに今は感謝したい、そんな七夕の夜です。