思い出がいっぱい

海ぶどうを肴にビールを飲んでいます。ぷはー。海ぶどうが口の中でぷちぷち言うよー!(←アホの子)

あまりお酒を嗜まないひとなので家で晩酌、なんてことはしないんですがなんとなく海ぶどうにはビールがいいような気がして買ってみた。うみゃーだよ!

というわけで頭のネジがゆるんだままお届けしております。以下本当にヲタヲタしい+酔っぱらいの繰り言なので畳んでみます。えいっ

今日は会社帰りにCDでーたを買ってきた。ものによったら立ち読みですませようと思ったのに買ってしまった。はー。基本的に写真にこだわる方ではないので、イエローモンキーが各雑誌に出まくっていたときも全ての雑誌を買っていたわけじゃとうぜんなかった。というか、CDでーたなんて買ったの多分、初めてじゃないか。なんなんだろうなあこの勢いは、と思うにつけ、やっぱり反動っつーか飢えてた部分もあったんだなあ自分、と思った。よくよく考えれば5年近くも心底放置プレイにさらされていたわけで、この第十八次(超適当)吉井和哉ブームみたいな波はそのせいもあるんだろうきっと。

毎年12月になったらなぜか心身ともにどん底に陥り「こんなになるのも冬に奴らに会えないせいだ」とか勝手に自分で思っていたわけだけども、今年は久々にその中のひとり(ふたり?)に会える12月になるんだね。

CDでーたの108の質問のなかの「カバーをたくさんやりたい」ってどういうことなのかなああ、と思ったりしないわけじゃないけどさ。

でもたとえばもう一度、あの4人が帰ってくるっていうことがこの先万が一にも有り得たとして、もしそうなったら、あたしはどう思うのかってリアルに想像しようとしても、実はよくわからないんだよね。嬉しくないはずはないんだろうけど、それよりも怒りが先に立つのかなとか、本当によくわからない。

だけどはっきり思うのは、もう一回「今度はいつ失うのかな」という心配をしなきゃいけないというのはきびしいなあ、ということだ。すいません真性ネガ野郎で。よく再婚したひとが、結婚はいいけど離婚は二度と御免だ、というのと似たようなものなのかな。全然違いますね、すいません。

CDでーたのインタビューの方で、20代から30代への日々ついて「修学旅行のようだった」と言っているのがなんだかすごく納得だった。彼自身も、あの日々に酔っていたところがあったんだよね。私も酔ってた。吉井くんがとっくにその夢から覚めてもがいていたであろう頃も、私はまだシャンパンの泡のような夢に酔いまくっていた。その夢から覚めることをゆるさない、というほどに、彼の出している信号を無視し続けていた。その事を、申し訳なかったと思わないわけじゃないんだ。ほんとうに。

インタビューのトーンは終始あかるくて、新しいアルバムを出す事への喜びが行間からもあふれでてくるようだった。よかった、よかったね。39108までもうすぐだ。さんきゅーひゃくはち、THANK YOU YOSHII KAZUYA。サンキューサンキュー、ありがとうありがとう、吉井くん、生きててくれてありがとう、俺も生きててありがとう。おめでとう、ありがとう、おめでとう、ありがとう。頭のネジがゆるいまま唐突に終わります。39108まで、あと18日。