bridge 2006年11月号

bridge (ブリッジ) 2006年 11月号 [雑誌]

bridge (ブリッジ) 2006年 11月号 [雑誌]

記念すべき50号。50号のうち実に18回と3分の1強この雑誌に顔を出している吉井和哉さんである。どんな偏り方だよ。いや、本当にお世話になっております(深々)。

さて、雑誌のインタビューの内容や写真はソレはソレで今更書くこともなかろうもん、というわけでどうでもいい話をします。

bridgeといえば、一時期「季刊・吉井和哉」の名を恣にするほど、年間4号しかでないのにうち3号吉井表紙(うち1つはイエローモンキー)という、渋谷陽一趣味炸裂の雑誌であり、最近は吉井のほうも「(RIJFで)渋谷さんに喜んでもらえて嬉しかった」とかいう相思相愛ぶりなわけですけども、別に当初からこんな熱い関係が築かれていたわけじゃーなかった。

渋谷さんの吉井並びにイエローモンキーへのイレコミようは97年から急速にはじまっており、初めてインタビューを録っているのもその年である。どんなイレコミようかって、JAPANの編集長でもないのに巻頭インタ録ってるあたり当時の山崎編集長の立場は、って感じである。

その後も渋谷社長を筆頭に暑苦しいまでのロキノンイエローモンキー好き好き光線は多大に発射されてきたわけだけれども、しかし吉井のほうはまだ渋谷さんに一線画しているような空気もあったわけで。

で、じゃあ吉井側の一線はいつなくなったのか?つったらそれは私が思うにat the black holeの時なんじゃないのかと。

あのリリース当時、本当に何を考えているのかあのオバカさんは「一切パブリシティを放棄する」みたいな姿勢であって、テレビはおろか雑誌の取材すらオファーを蹴り続けていたのである。出たのはたしかレコ屋のフリーペーパーぐらいだった。あとラジオ。当時のJAPANに「オファーを蹴られているけど勝手にラブコール送るもんね」的な記事も出ていた。

で、オファーを蹴られた渋谷社長はどうしたか、っつったら御丁寧にそのアルバムの感想(レビュー?)をファックスで吉井に送ったわけなのである。

多分ね、わたしのくだらないことにばかりはたらく頭をはたらかせると、これがやっこさんすげえ嬉しかったんじゃないかと思うわけですよ。でもって(JAPANには出なかったのに)その後夏前に出たbridgeに出たのも、多分それがあったからだと思うんですよ。

いますよね、よく「飲み会に誘ったら絶対に断るんだけど、誘われないのもいや」みたいな困ったちゃん。飲み会と一緒にすんなよって感じですね。すいません。

しかしまあ、なんてったって「それで飯を食っている」ひとが「損得抜きで」「個人的に」「自分の作品に対する感想を送ってくれた」というのはたしかに心つかまれるエピソードではある。

わたしがなんでこんなことを思うのかというと、次のWHITE ROOMのインタの時、吉井がこんな事を言っているからです。

「今度はファックス、くれないんですね」

それに対して渋谷さんは「今度は話を聞ける機会があるってわかってたから」と言ってますが、吉井・・・お前、そりゃプロの技だっつーの。なんだよまったく、かわいーじゃねーか(笑)

で、まあそれ以来bridgeでの渋谷インタビューは息子への期待を熱く語るお父さんと期待かけられて嬉しい息子、みたいなある種気持ち悪いっちゃ気持ち悪いものになってるというわけなんじゃないかと思うわけですたい。

誤解を受けないようにというか受けてもいいけどわたしは渋谷インタビュー好きです。読んでて単純に楽しいし、わたしもばかだから吉井が渋谷さんに褒められると嬉しいし。自分関係ないのに、おまえが一番気持ち悪いよっていうことなんですかね、結局のところ(笑)