今までのこと、ありがとう

あーおーげーばー とーおーとーしー

私がはじめてTHE YELLOW MONKEYというものに触れたとき、当然の事ながら私は彼らの所属する事務所の名前も知らなかったし、ファンクラブの名前も知らなかった。このバンド、気になる、と思い出してからはじめてライブに足を運ぶまでのスパンが割と短かったのは、舞台を始めとするLIVE、生ものに対してのハードルが低いからだっただろうと思われるが、その初ライブでもらったフライヤーやパンフに印字されている妙なマークの模様のことを、私は大して気にとめてもいなかった。

わーがーしーのー おんー

その後、加速度的にTHE YELLOW MONKEYにはまり、もう戻れない蟻地獄に喉元まで浸かっていても、実は私はその頃まだファンクラブにさえ入っていなかった。入る機会はいくらでもあったのに、私はあえて入会することを拒否していたのだ。私はそれ以前にも、バンドというものに入れあげたことがあり、当然そのバンドにもファンクラブなるものは存在したが、結果的に私がFCに入会することはなかった。それがどういうこだわりだったのか、うまく言葉にはしづらいのだが、それは何かに熱狂し周りが見えなくなることを良しとせず、冷静に客観的にどこか距離を置きながら対象をみつめることこそを「かっこいい」と信じていた、私の馬鹿な思い込みによるものだったのかもしれない。

おーしーえーのー にーわーにーもー

パンチドランカーのツアー日程が発表され、113本ものライブがスタートしても、私はまだFCに入会していなかった。113本のうち、1本でも行ければいいじゃないか、私は当時そう考えていたし、実際にBBSで加熱するチケット競争に対してそういう言葉を投げかけもした。当時親しかった友人が、私のために自分のFC枠を使って長崎公会堂でのライブのチケットを取ってくれたのだが、その時もまだ私は「それほど彼らに熱中していない自分」におそらくは酔っていたのだろうと思う。

はーやー いーくー とーせー

だが、その思い上がりともいえる私の幼い感情は、長崎でのライブの前に完膚無きまでに粉砕されることになった。この圧倒的なライブの前では私のその「こだわり」など塵にも等しいものだったのだと気付かされた。日曜日に行われたライブのあと、私はその夜ホテルでフライヤーの中に差し挟まれたFCの入会申し込みの振替用紙を記入し、翌朝長崎駅前の郵便局が開局するのを並んで待って届出をした。こうして私のファンクラブバージンは、人前で口にすることが微妙に躊躇われる、妙な名前と妙なマークを持つ事務所に捧げられることになった。

おーもーえーばー いーとーとーしー

彼らとの出会いからもう10年が経とうとしているけれど、ということはつまりその妙な名前の事務所との出会いからも、10年が経とうとしているということになる。 実情がどうだとか、内情はどうだとか、私はそういった話をできるだけ自分から遠ざけておきたい方だから、BOWINMAN MUSICというその事務所について、私の知っていることなど3行にも満たないほどだろう。でも今でも、私はそれで充分だと思っているし、なによりBOWINMAN MUSICという場所が、私の好きになったバンドを愛し育ててくれた場所であるということ以外に大事なことなんて何もないと私は思う。

こーのー とーしーつーきー

何か贈る言葉を書きたいと思ったけれど、でも結局ひとつしか思い浮かばなかった。ありがとう、THE YELLOW MONKEYに出会わせてくれてありがとう、ANNIEに出会わせてくれてありがとう、HEESEYに出会わせてくれてありがとう、EMMAに出会わせてくれてありがとう、LOVINに出会わせてくれてありがとう。今までのこと、本当にどうもありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう。

いーまーこーそー わーかーれーめー

自信家なのに臆病で、野心家なのに繊細で、才能があるのにいつも不安で、一人でいたい癖に構われたくて、そんないろいろと面倒くさい男からようやく解放されるわけですね。一か八かやってみるというその男の背中を見送りながら、どうぞしばらくはゆっくり休んで下さい。そしてまた、今度はその男が嫉妬せずにはおられないような、私達がTHE YELLOW MONKEYに出会ったときのような興奮をもたらしてくれる、素晴らしいミュージシャンを見つけて育ててあげてください。

いーざー さーらーばー

 

卒業おめでとう。