forever

 

SO ALIVE

SO ALIVE

 

 

SO ALIVEのCDを聴くときの楽しみの一つは、真珠色の革命時代の長いリフレインと、そのあとに聞こえる観客の歓声と、そしてしばしの空白のあとに吉井のかき鳴らす12弦のアコギの音が聞こえてくる瞬間だ。いつものようにこのWELCOME TO MY DOGHOUSEを堪能していたとき、ふと気がついた。吉井和哉はこのとき、最後にこう言っている。 THANK YOU 群馬! また会いに来いよ! なぜ、群馬のテイクを採ったのだろう。WELCOMEはパンチのホールツアーでアンコールのラストに必ず演奏されていた曲だから、ほかにも録音していたところはあっただろうし(インタビューでは5月のホールはすべて録音していたと言っている)、聞いていただければわかるがこのWELCOMEは決して録音状態がいいわけではない。最初はあえてそういう「ライブ隠し録り感」みたいなのを狙ったのかなと思っていた。しかし、それにしてもなぜ群馬なのか?もちろん、このテイクが一番気に入ったからという理由なのだろうが、それでも心のどこかに引っかかるものがあった。そして、ある文章のことを思い出した。  

 

ロッキングオン社から発行されたCOMPLETE BURNには、当初発行されていたBURNに収録されていた内容に加えて、解散時のEXBITIONの様子も収められており、その中に、吉井和哉が書いた中原繁さんに捧げる文章とともに、加藤俊一郎さんの書いた小松昌博さんに捧げる文章が掲載されている。 3.10のパンチドランカーファイナルのMCで、吉井和哉は「ツアー中に亡くなったスタッフがいた」ということに軽く触れた。私はもちろんそんなことはまるで知らなくて、その日に聴いた「人生の終わり」の「僕は死神に気に入られた旅人」という言葉の重さを改めて感じたが、だが実際に事の詳細を知ったのは、この加藤さんの文章を読んだときが初めてだった。 小松昌博さんはレコーディングエンジニアだった。実際にこのSO ALIVEに収められている数々のテイクは、小松さんたちの手によって形となりこうして今も生き続けている。彼がライブ後の撤収作業中に落下した事故が起こったという日に、私は参加していた。年始1発目の会場、競輪場として普段使われるというそこは横長の変わった形をしていた。割と前方の吉井正面の席で見たという記憶がある。高いステージだった。それが群馬の前橋グリーンドームだった。

だが、この日にWELCOMEをやっているわけではなくて、アルバムに収められているのは、だからおそらく5月18日の、群馬県民会館でのものだ。群馬のWELCOMEのテイクを採ったこととこのことを、関連づけて考えるのは、やっぱりちょっと行き過ぎた深読みなのかもしれないな、とCOMPLETE BURNを読みながら思い、そういえばSO ALIVEのブックレットにはなんて書いてあるのだろう、と気になった私は実家に帰った際にラックからSO ALIVEのCDを久しぶりに引っ張り出した。

私はこのブックレットを、ちゃんと読んでいたのかな。読んでいたのに、忘れていただけなのかな。群馬でのWELCOMEを残したのが、どんな経緯だったのかなんてことは、どうやっても私の深読みと妄想に過ぎないわけだけれど、でもこのブックレットに、THE YELLOW MONKEYの、吉井の、エマの、ヒーセの、アニーの、そしてあのツアーとこのアルバムに携わったスタッフのひとつの答えは、最初から提示されていたのだった。私は忘れていただけかもしれないけれど、彼らは決して忘れていないということなのだった。

 

This album is dedicated to Masahiro Komatsu,who gave his life to the things he loved most-creating great music. Our memories of him will live in our hearts forever.

なによりもライブが最高だったTHE YELLOW MONKEYというバンドの、唯一のライブ盤。この音を実際に聞いた人にも、そうでない人にも、8年近く時間を経た今もなお最高のロックバンドのライブを追体験させてくれるアルバム。それを彼は私たちに遺していってくれた。 どうもありがとう。 永遠に。