病重い想い

先にお断りしておきますが、このエントリは大変長いです。

1996年の年末だったと思う。私は一人でテレビを見ていた。落ち着きなくチャンネルをザッピングしながら、何が見たいわけでもないのにテレビから漏れてくる映像を垂れ流していた。その中に、当時バラドルと言われて人気のあった女性タレントが司会をしている番組があった。彼女の口が「この番組からひとつの名曲が生まれました」「THE YELLOW MONKEYで『JAM』。」と言った。番組はもうエンディングらしかった。録画と思しき映像で、やけに日本人離れした顔をした男性が、異常に熱のある曲を歌っていた。私は縫いつけられたようにその場から動けなくなり、曲が終わったあとも一体今のはなんだったのか、と茫然としながら思った。立ち寄った近所のCDショップで、平積みにされて売られていたアルバムの収録曲の中に「JAM」を見つけ、私はそのCDを買った。店に熱心なファンでもいたのだろうか、丁寧なPOPがつけられ、12曲目はライブでの定番だと書かれていた。12曲目を見るとSUCK OF LIFEという言葉が書かれていた。その店内でも、BGMでJAMを歌っている人の声が私の知らない歌を歌っていた。CDを買いながらこれはなんの曲ですかと私は店員さんに尋ねた。空の青と本当の気持ちです、とその人は言った。

翌年の春、後に姉の夫となるひとが、使っていないMacを1台譲ってくれるという話になった。私が寝起きしていたロフトにそのMacは置かれることになり、私はしばらくその新しいおもちゃに夢中になった。その年の5月、THE YELLOW MONKEYの初ライブを経験した直後、精神的にかなり落ちてしまう出来事があり、逃避したい気分だったことも手伝ってか、インターネットに繋げるようになったその箱に日がな一日向き合っていた。「THE YELLOW MONKEY」という単語を検索サイトに放り込んだのは、ネットに繋いでそれほど時間の経っていないころだったと思う。たくさんのサイトがヒットし、なにがなにやらわからぬまま色んな所をクリックしていたら、突然電子音の音楽が流れ出してきた。それはあのJAMの旋律だった。流れてくる電子音を聴いているうちに、私の両目から涙が溢れだした。どうしようもない自分の気持ちに、その旋律は突き刺さった。箱から流れてくる電子音がすっかり止まってしまっても、涙は流れ続けた。

私のTHE YELLOW MONKEYというバンドへの傾倒と、インターネットへの傾倒は、こうしてまったく同時期に始まった。その頃すでに存在した大手のファンサイトと言われるところを、私は毎日のように探して回った。そして、antinomy syndromeというサイトに出会うことになった。そのサイトは私が訪れるようになった当初、真っ黒な背景をしていて、それがTHE YELLOW MONKEYとすごく通じ合うものがあった。そのサイトの居心地の良さに私は夢中になった。そのサイトには「ラジオウィルス」というコンテンツがあり、ミッドナイトロックシティーの大量のラジオ起こしが存在していた。私は貪るようにそれを読んだ。BBSに頻繁に書き込むようになり、新設されたチャットにも毎日のように顔を出した。そこで知り合った友人と、一日3往復するぐらいの勢いでメールのやりとりをしていた。彼ら彼女らと実際に顔を合わす機会が少しずつ増えた。オフ会の幹事みたいなこともやった。そのサイトは確実に私の居場所になっていた。

どんなジャンルであれ、ファンサイトというものの運営はとても難しい。同じものが好きでも、人間はそれだけで他のすべてを許せるわけではないし、同じものを好きだからこそ揉めなくてもいいことで揉めたりするものだ。ネット人口が増えていくに従って、ファンサイトを訪れる人の数は爆発的に増えていき、BBSに書き込むだけでも、かなりの数の人間が存在した。それを見ているひとは、もっと多かったということだろう。お定まりの波のように、いつも同じ議論が繰り返された。プライベートに関する話題、略称、ライブでのお約束の振り。よしいさんて、けっこんしてるんですか?どうしてもきになるんです!といったような書き込みに、そういう話題は控えろと正面から注意する人、無視を通す人、その話題に便乗する人、それが許せない常連、「こうやって大手サイトのBBSというものは疲弊し閉鎖されていくのです」という見本のような展開が何度か起こった。antinomyのwebマスターであったひとは、そういったときにも殆ど表立って何かをしようとはしなかった。その態度に不満を表明する人もいた。webマスターが責任を持って指針を示すべきだというのだ。私は、サイトというのはそういうものなのだろうか、よくわからない、と思いながら、でもその場を愛していたひとりとしてその場がなくなるのだけは勘弁してほしいなあと勝手なことを思っていた。そんな騒動が繰り返されたとある日、サイトにそのwebマスターからの長い文章がUPされた。

ここから先の文章を、引用するか、しないか、正直今もまだ迷っています。迷う時はやめろ、というのが鉄則ではあると思いますが、それでもやはり、私はこの文章をどこかに残したい。その思いに、今はまかせてみることにします。あとで、後悔して、消すかもしれないけれど。これを書いたひとは、今更これを持ち出されることを喜びはしないだろうと思う。会ったこともない、声を聴いたこともない彼女。それでも私が忘れられない彼女。自分の信条を声高に表明することのほとんどなかった彼女がたった一度だけ書いた、それは長文でした。

THE YELLOW MONKEYに対して何を感じるのも、何を求めるのも、

それは人の数だけあって、だからそれぞれがそれぞれの愛し方で、

THE YELLOW MONKEYと向き合っている。

私が初めて、THE YELLOW MONKEYのライヴに足を運んだのは、95年の春のこと。

そこで私が目にしたのは、どこか気高くて、プライドの高そうな、

自分の「匂い」を醸し出している、素敵なファンのひとたち。

その分、ライヴ会場にはすごい緊張感があって、ちょっとコワイくらいだった。

ファンはみんなそれぞれの愛し方=向き合い方を持っていて、

そこは誰も踏み込めない、踏み込まない神聖な領域。

そんなものを暗黙の内に感じさせるのに十分な空気が流れていた。

THE YELLOW MONKEYが登場したとき、ファン一人一人が、

THE YELLOW MONKEYと、一対一の関係を結んでいると思った。

THE YELLOW MONKEY対ファン、ではなく。

そして、精一杯の真剣さで、THE YELLOW MONKEYと向き合っているように感じた。

そこでは、ただ自分とTHE YELLOW MONKEYだけが浮かび上がっていたのだと思う。

でも、なのにそこはとても居心地がよかった。

こんなにも、自分勝手な関係を、みんなが結んでいたはずなのに。

それは、それぞれの人が、それぞれの侵されたくない領域を持っているからこそ、

他人のそれに踏み込むようなまねはしなかった、そういうことだったのだと思う。

そしてそれは、マナーなどという言葉以前に、むしろ無意識的に行われていたように思う。

そして、そんな中で、会場は得も言われぬ一体感を持った。

ファンという集合体の一員であることを意識していたひとが、

どれだけあそこにいただろうか、という状況の中で。

ファンの中の一員であろうとする、そういう関係性の結び方ではなく、

純粋にTHE YELLOW MONKEYというバンド、音楽だけを介して、

会場はひとつになれたのだ。少なくとも私は、振り返ってそう思う。

手拍子とか、振りとか、介在させる必要はなかった。

ライヴ終了後、ファンのTHE YELLOW MONKEYとの関係の結び方、

互いを尊重し合うファン同士の繋がり方は、あまりにも素敵だと思った。

ロックだな、と思った。

私はここを運営していくにあたって、

マナーだとか、エチケットだとか、ルールだとか、

そういうものはできるだけ持ち出したくない。

それよりも、誇りとか、尊敬とか、信頼とか、感銘とか、

共感とか、感動とか、そういうものに支えていって欲しい。

甘いと言われそうだけど。

いつだって、議論の行き着く先は、「個人の自由」ということ。

けど、考えれば、自由って、

他人の自由を奪わないという大前提のもとに、成立するもの。

他人の自由を奪わない....それがどういうことなのか?ということは、

いつまでも私の中で、答えを出しかねているテーマだった。

例えば、個人的なことで言うと、私はイエモンという呼び方が好きではない。

だから自分では使わない。

それって自由でしょ?

けどね、私、ファンのひとが使ってるのを耳にするのも、実はあんまりいい気がしないの。

だけどさ、それを使ってるひとにとっては、それは自由なことな訳じゃない?

けど、何故イエモンという表現を、あえて使わない人がいるのかというところに、

ほんの少しだけでいい、立ち止まってみて欲しい。

そして、それを通過した上で、使いたい人は使って欲しい。

自分のこだわりをもって、行動してるひとは、いつでも素敵。

だから、イエモンという呼び方が好きじゃなくても、

本当に愛着をもって、その表現を用いてるひとのことは素敵と思う。

同時にだからこそ、私はそういうひとたちをひとくくりにして否定したくないし、

そうしている人を見ると、いい気分ではない。

ライヴで、「紫の空」の時に、会場がシーンとなって、

私の中で、心臓がきゅーっとなって、そこにある会場の空気が一瞬止まって、

ゾクゾクッとして、もうそれこそ心臓が止まりそうになって、

体温が瞬時にして下がったような、ものすごい緊張感を堪能していたとき、

何故か、大声でメンバーの名前を叫んだひとがいて、会場に笑いが起こった。

私は一気に現実世界に戻され、二度とステージに、音に、吸い込まれることはなかった。

はっきり言って、台無しだった。

でもそれでも、ライヴにはそれぞれの楽しみ方があって、

叫びたかったから叫んだひとは、そのひとの自由を行使しただけなんだよね。

けど、そのひとには、

私ひとりかもしれないけど、

他人のライヴを楽しむ自由を奪ったのだということを、知って欲しい。

同じように、メンバーのプライベートについて、知りたいと思うのも自由。

それが自分にとって、すごく重要なことなのも自由。

THE YELLOW MONKEYに求めるものは、それぞれ違うから。

けど、そういうことを知りたくないと思っているひとがいることも知って欲しい。

敢えて話題にしようとしない、公での発言は控えているひとがいることも知って欲しい。

それをわかっている上で、それでもというのなら、

それがそこまでの情熱と意味を持った行動であるならば、私は何も言いたくない。

同じように、メンバーのプライベートについて、知りたくないと思うのも自由。

それが無意味なことだと思うのも自由。

THE YELLOW MONKEYの捉え方は、それぞれ違うから。

だけど、自分とは異なった考えを持ったひとを否定することばかりが、

自分の主張になっているひとを、不愉快に見ているひとがいるのも知って欲しい。

私が言いたいのは、みんなが自分の言いたいことを、

率直に表現できる場にしたいということ。

決して、ひとの目を気にして、当たり障りのない言葉で、

この場を満たしたいのではなく。

それが仮にたとえTHE YELLOW MONKEYに対するネガティヴな表現だったとしても、

それさえも、言える場にしたい。

「率直に」と言うのは、無責任にという意味ではなく、「純粋に」ということ。

そして、それは自分の心の奥底から滲み出てきたものであると願いたい。

それだけの責任を持てる、自分の分身であって欲しい。

ここを「生きた」言葉で満たしたい。

ここに、禁止事項は作りたくない。

それは私の自由でもあるし、勝手でもある。

それを作らなかったがために、不愉快な気持ちになる人がいるかもしれないことを思う。

でもそれでも、私は作りたくないの。

私が初めてTHE YELLOW MONKEYに直に触れた時のように、

ここにいる人みんなが、自由を謳歌できたらいいね。

しかも、ルールを尊守するとか、他を尊重するとかよりも、もっと自然な形で。

この想いに了解してくれる全ての方へ、

この場を捧げます。」

antinomy syndorome

私はこの時BBSに「了解しました。ありがとう。」とだけ書いた。それから何度も、この文章を私は読んできた。あの状況の中で、これを書いた彼女の勇気というようなものは私が決して持ち得る類のものではなく、だからこそ、私はいつもここに立ち返ってきた。その後私は自分のサイトを立ち上げることになった。理想は遠く、当たり障りのない言葉に埋もれがちではあっても、もうあかん、もうやめよう、そう思うときがあっても、でも私にはまだなにかやれることがあるのじゃないか、と見えない彼女の勇気に力をもらってきた。ありがとう、としか言えない。それしか言葉はない。10年前に、ネットで書くということについて自覚を促してくれたひとがいたこと、自分の言葉は自分の分身であるべきだと言ってくれたひとがいたこと、そのサイトに出会えたこと、それは私の限りない幸運のひとつだった。

その後しばらくして、彼女は自身のサイトからふっつりと姿を消した。サイトのスペースは残っており、BBSもチャットも稼動してはいたが、彼女の声はどこからも聞こえなくなった。閉鎖宣言のようなものもなにもなく、そのサイトは次第に消滅していった。私は自分のサイトを作った。長い年月が経った。THE YELLOW MONKEYは解散した。いろんな出会いと別れがあった。私はまだサイトを続けている。たくさんのものが変わったが、私は今はもうどこにも繋がらないそのサイトへのブックマークを、いまだに消すことができないでいる。