シュレッダー

脈絡もなく藪から棒になんですけど、「楽しかったあの日は背中のシュレッダーにかけ」っていって、人は誰にも背中にシュレッダーがあるという見てきたような話をする吉井さんですが、私自身はシュレッダーがあるタイプなのかないタイプなのか、オプションでつくのかシュレッダーなんぞいらん私がこの手で引き裂いてやる!というタイプなのか判然としないんですけども、でもあるとしたらせなかじゃなくて右腕だと思う。書くって行為は実は結構シュレッダーにかける行為に似てる、わたしの場合。まるで真逆のようだけど、「気を済ませる」という行為であることを思えば等しいものを感じるなとおもう。もちろん書くことでなにかを生み出す仕事、それを生業にしているひとは違うと思うけど、でもこうして誰のためでもなく延々何かを見てそして書く、というのはそうやってどんどんシュレッダーにかけていっているのとあんまり変わりないんじゃないかな。シュレッダーにかけるってものを消滅させる行為じゃないものね。見えなくして気を済ます行為だものね。私は形にすることで気を済ましているんじゃないかなあともおもう。そんで別に何が言いたいわけでもないんだけど、自伝とかいうものをこの秋出す吉井さんも、もしかしたら形にして気を済ませたいのかな、それがシュレッダーなのかなとふと妄想してみただけです、なんの脈絡もなく藪から棒になんですけど。