真に受けちゃダメ

東野圭吾さんのことを「生きてるひと?」と聞くほどに本を読まない(と当人が仰ってます)吉井和哉さん、雑誌「ダ・ヴィンチ」に登場。もちろんネタはJIDENです。 これも語り下ろし、って感じなんで「自伝について今思うこと」みたいな、そんなスタンスのインタビュー、見開き4ページぐらいでしたか。一応ちゃんと立ち読みしたんだけど(それ「ちゃんと」じゃない)、自伝に書いていることは事実の10分の1ぐらい、書いていないこともあるし忘れていることもあるし、みたいな発言があったと記憶してござる。10分の1つか、今からあのときを振り返ってみて、のものだものね、それはそうなんだろうなあ~~と、思ったりもし。

ご家族の反応とかもね、けっこう書いてたかな。お母さんから物言いがついたとか(笑)や、そんな真剣な感じじゃなくて、それをネタにして話しているという雰囲気だったですけど。 本人的にはやっぱり「気を済ませた」部分もあったみたいで、よかったんじゃないかなーとおもう。だって、出した本人はせめてスッキリした気持ちになって貰いたいじゃないか、せっかく出したんだし。 なかなかに興味ぶかいインタビューでした。

ところで、ダ・ヴィンチといえばちょっと思い出があって、私がTHE YELLOW MONKEYというバンドにずっぱり蟻地獄に連れて行かれるその入り口にたっていたときに、その頃毎月買っていたこのダヴィンチのコラムだったか、投稿だったかで、かれらのJAMという曲について 素敵なものがほしいけど あんまり売ってないから 好きな歌を歌う という一節を紹介し、これはもうこれだけで一編のすぐれた詩である、というようなことが書かれていて、わたしはそうだ、ほんとうにそうだって思って、それにしてもこんなに彼らの名前が次から次へと目に飛び込んでくるなんて、なにかきっと呼ばれているに違いないのだわ!とか思ったんだ。それはすごくよく覚えている。 ダヴィンチももう、息の長い雑誌になりましたねえ。 でも、わたしはやっぱり本の雑誌派です(笑)いや、べつにないけど派閥なんて!

もう夜中だし、あとは寝るだけなので、このままどうでもいいことを書くけれど、吉井さんは最近「ファンにしあわせになってほしい」みたいなこと、良く言いますよね。ファンの幸せがぼくの幸せだ、ってそこまでは言ってないか?でももう僕にはそれだけだから、みたいなこと、言ってたような気がする。 ありがとうありがとう、そんな気持ちが嬉しいよ、だけどさああ吉井さん、じゃあ吉井さんの幸せが私の幸せなのかっつったら、たぶん違うと思うんだよ。だって吉井さんが必ずしも幸せじゃなかったとき、わたしは最高に幸せだったことがあるんだもの。

ファンってほんとに自分勝手でいい加減なもんだよ、少なくとも私はそうなんだと思うよ、自分勝手じゃ吉井さんも負けないかもだけど、多分イイ勝負だと思うよ。だってわからないもの、愛があるっていうけれど、この私の感情は愛情なの?愛情と欲望はどうちがうの?欲望と執着はどうちがうの?執着と見栄はどうちがうの? 勝手なわたし(たち)のことなんか、振り返らなくてもいいんだよって思うよ。すきにすればいーんだよ。こっちも好きにやってるからさ。吉井和哉と目を合わせて語りあいたいっておもうんじゃなくて、吉井和哉が行く先を見たいっておもうよ、ただそれだけ。 ほんとにただそれだけだよ。