She’s got a ticket to ride

8月暑い盛り、年末の運命に右往左往させられる日々、みなさまいかがお過ごしでしょうか。暑いですね!(わかりきった事実)。

おかげさまで今年も12月28日に大きな玉ねぎの下に行けそうです。DHMT全敗の借りを返しました。江戸の敵を長崎で討ちました。大阪のほうはいろいろあって今年は無理そうなのですが、そう言いながらこの間のロックロックのように強行突入しているかもしれません。自分で自分がなにをやるかわかりません。

 

さて、ここでチケットに纏わる古い話をいっぱつ。

 

3年前のAT THE WHITE ROOMツアーのときのFC先行電話。ありゃーほんとに大変だった。何時間かけ続けたのか、正直もう覚えていないけど、少なくとも夜中になってもまだかからなかったことだけは確かだ。しかも確か先着順というありえないスタイルだったので、かけるのをやめるわけにもいかない。複数公演申し込もうか、と当初考えていた自分は、大阪の2日目のチケットが取れた時点ですべてのやる気を失い、そのまま寝た。今の抽選のシステムにも問題ある部分は大いにあるだろうが、それでもあのときのようなしんどさは二度とごめんだ、というのが正直なところ。

 

ところが、そんな思いをして取った大阪二日目が、急遽シフト交代で夜勤にあたり、行くことができなくなってしまった。手持ちのチケットを譲る相手はすぐに見つかったのだけど、そうなると自分のチケットがない。狙うのは大阪一日目、ところが、このツアーでなぜか大阪だけが、ばっちり土日に絡んでしまったこともあって、ZEPPOSAKAのチケットはおそらくこのツアー最大の激戦区になっていたのだった。もともと大阪にはバンド時代からのファンも多かったというのも多分にあるだろうが、整理番号問わずにオークションを張っていてもなかなか落とせない。最終的に意地になった私は、4桁の整理番号を3倍近い額で落としたと思う。

 

しかし、出品者から届いたメールはなんだか様子が違っていた。そこには、自分は妹の代わりにこのオークションを行っている、自分の妹は吉井和哉の長年のファンで、もちろんこのツアーにも参加する予定だったが、急な病に倒れ参加することが不可能になってしまった。妹の落ち込みようを見るにしのびなく、チケットは手放すことにしたものの、落札者であるあなたにひとつお願いしたいことがある。それは妹からの手紙を、当日会場のスタッフに直接手渡してほしいということだ。もちろん強制はできないが、もしその頼みを聞いてもらえるのであれば、入金額は定価でかまわない。

 

私の妹はながいこと、吉井和哉だけを心に生きてきた、とそのメールにはあって、たとえその言葉はなくても、解散後彼が始めて行うライブを、どんなにか目撃したかったであろう、それが果たせなくなってしまった無念の気持ちは、ファンの端くれである私にも容易に想像ができた。私は誠心誠意返事を書き、約束は必ず実行する、ほかになにか頼みたいことがあれば遠慮なく申し付けてほしい、そう書いた。程なくして送られてきたチケットと、封緘された「吉井和哉様」と書かれたうつくしい模様の封筒を、ライブ当日まで私は大事にしまっておいた。

 

当日、私は開場の2時間前にはZEPPに着き、その時点で長蛇の列となっていた物販に並んで、お姉さんにあらかじめ聞いておいたサイズの、大阪限定Tシャツを買った。私の五人ほどあとで開演前の物販は打ち切られていたから、ついていたと思う。入場後、そのTシャツをロッカーに入れ、わたしは場内のスタッフに、手紙などを受けつけてもらえる場所はどこかと聞いた。入り口近くのスタッフに案内され、そこで事情を説明し、その手紙を手渡した。くれぐれもよろしくお願いします、と私は言ったが、そのスタッフに私の思いがどれだけ伝わったのかはわからない。

 

ライブ後、私はライブでの様子を簡単に書いた手紙と、そのTシャツを彼女に送った。それ以来、その人と交流はない。Tシャツを送ったのは、以前私が、まったく同じことをしてもらったことがあって、そのときの恩返しのようなつもりも心のどこかにあったのだと思う。解散したバンドの、昔のメンバーの集まるライブ、プレミアのついたチケット、オクに出せば必ず10倍近い値段がつく、だけど私はそのチケットで金儲けすることができなかった。チェッカーズという名のそのバンドを、私は一時期本当に本気で好きだった、その純情がその金儲けを許さなかった。私はファンサイトの掲示板でチケットを探している人に、適当にあたりをつけて、見も知らぬ相手にそのチケットを定価で譲った。相手はとても感激してくれ、お礼をしますとまで言ってくれた。でも私はその言葉を鵜呑みにしていなかった。ライブの様子だけよかったら教えてください、そう書いて、私は彼女の言葉を忘れていた。でも、その人は、そんなうがった見方しかしない私に、その日会場でしか販売されなかったTシャツを買って、わざわざ送ってくれたのだった。次に機会があったら、そのときは一緒に行きましょう、と書かれた手紙とともに。ファンの純情、というものの本当の意味を、私はそのTシャツ1枚で知ったと思う。

 

半分に折れば、手のひらに隠れてしまうほどの、小さな紙切れ。この小さな紙切れに、ファンはみな、必死になる。時には純情をかなぐり捨てて、醜さをさらけ出してしまうこともある。でも、それを責めることは、私にはできない。この小さな紙切れは、わたしたちにとっての夢の片道切符だからだ。こんな小さな紙切れに、どれだけの人の思いが、夢が、愛が、希望がのっかっているのだろう。手に入れたい、どうしても。その欲望に疲れてしまうこともある。純情を信じられなくなることもある。でもきっと、それだけじゃない「何か」があるはずだ。

 

私たちのロックスターに会いに行くための、私たちの夢の片道切符。それがどんな形であっても、ここを見てくれているあなたのもとにも、きっと届きますように。