ピートと名付けられるはずだった猫の話

アンケートで頂いた回答、毎日舐めるように堪能しております。ありがとうございます、ありがとうございます。おすすめサイト情報とかマジ役立ててます。それでアンケ実施するまえにちょこっと考えはしたんだけどメアドもお聞きすればよかったなーそしたらお返事書けたのになと思いました。そう思うんじゃないかなと思ってでもメアドとか聞いたら引かれちゃうかも!と思って聞けなかったんだけどやっぱりきけばよかったね(エンドレス)。

 

ところでその中にハンドルネームについて聞かれていた方がいらしたのですがそういえばその話こっちでしたことなかったか?というわけで以前日記に書いた文章を転載なんてことをやってみるの巻。

 

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猫と暮らす、というのは本当にいいもんです。

 

ネットを通じてお知り合いになった方の中には、ご自身で猫を飼ってらっしゃる方も多く、知り合いじゃなくても自分の家の猫の写真などをblogでアップしていらっしゃる方はたくさん居て、そのどれもこれもが本当にかわいい。一瞬にして顔が「ふにゃあ~」となるのが自分でもよくわかる。ふにゃあ、となった次の瞬間にはしかし、「あーこのにゃんこ、さわりたい」というエロ親父のような欲求が沸いてくるのを自分でも止められません。

 

私は今までに2度、猫と暮らしたことがある。1度目は名古屋にいたとき、2度目は大阪の家でだった。最初の子が来たのはまだ私が小学校に入ってすぐぐらいの頃だった。動物と暮らしたことがなかった私は、学校から帰ってきたら突然現れた居間でミルクをぴちゃぴちゃやってる生き物を見て心底おったまげ、猫が足下に興味津々で寄ってくるのがこわくて机の上に逃げたほどだ(いうまでもなく奴も机の上まで追いかけてきた)。猫はうちの父によってミーコと名付けられた。父は猫ならなんでもミーコと名付けるのだ。ちなみに鳥ならピーチローだという。犬はジョン。なんでそこだけ洋風?私はこのミーコに冬の寒い夜、猫が音もなく自分のベッドに近づいてきて自分の布団の上でころん、とまるくなる時の何とも言えない幸福な気持ちや、親に怒られてメソメソ泣いているときとかに、普段は寄ってこないくせに「元気だしなよ~」とでも言いたげに近づいてきて、ぺろりと顔を舐めてくれたりする猫特有の優しさを教わったのだった。大阪に引っ越す前にこの猫は逝ってしまい、うちの家族全員が目が溶けるかと思うほど泣いて、お葬式もして見送った。初めてのことだったから、本当にもう2度と猫は飼わない、とその時は真剣に思った。

 

2番目の子が、どんなきっかけでうちに来たのかは覚えてない。ミーコと同じ茶トラの白猫だった。この猫が家に来る前に、ハインラインの「夏への扉」を読んで大感動していた私は、絶対に名前をピートにする!と意気込んでいた。が、私は学校と部活で家に殆どおらず、そしてうちの父は猫ならすべからく「ミーコ」と呼ぶひとであり、母はもちろん父に従い、そして私が不在の間どうやっても猫はミーコと呼ばれるわけで・・・結果、「ピートってナニそれ美味しいの」的な扱いになってしまった。やんちゃな子で、私が当時芝居のパンフレットを入れていた衣装ケースのなかに突入して中を引っかき回したり、壺の中に入って出られなくなったりといろいろしでかしてくれていた。それでもよっこらせと腰を落ち着けたコタツの中で、足先が猫の柔らかい身体に触れたりする幸福感といったらなかった。

 

最初の猫も2番目の猫も、うちは猫が外に出ていくのを許していた。出ていって、帰ってきて、にゃあと鳴いたらドアを開けてやる。最初の子はマンションで飼っていたので、牛乳瓶を入れるちいさなドアを猫ドアのかわりにしてそこから出入りしたりしていた。だからなのか、私は外で聞こえる猫の鳴き声に異様に敏感だった。

 

いつものように出ていった2代目のミーコが、帰ってこなくなったのは確か夏だった。今日の昼、外に出ていったわよという母の言葉を最後に、彼は姿を見せなくなった。3日待っても、1週間待っても、帰ってこなかった。さすがに、これはもう帰ってこないだろうねという雰囲気が家族中に漂い始めたのはいなくなってひと月ほどたったころだったと思う。事故にでも遭ったのか、どこかへ行ってしまったのか、それもわからないまま。私は当時受験生で、かなり深夜まで勉強していたのだが、三月経っても、半年経っても、季節がすっかり変わって凍えるような寒さが訪れても、私は自分の部屋で勉強しているときに、カタンという物音や、にゃあという鳴き声が聞こえるたびに、玄関に走っていっていた。何度でも何度でも、玄関へ行き、ドアを開け、うちの子じゃないことを確認する。それはつらい作業だった。しかしつらくても、私はそれをやめることができなかった。

 

その作業を何年ぐらい続けていたのか、正確にはわからない。ふと気がつくと、外の物音に鈍感になっている自分がいた。私はそうやって、もしかしたら、という希望を持ちながらいつのまにかこのことを思い出にするのに成功していた。それ以来、猫は飼っていない。

 

ときどき、思うことがある。本当にあの子は、あの時どこへ行ってしまったんだろう?どこかで元気に暮らしていたのだろうか?私が彼につけたかった名前、ハインラインの「夏への扉」に出てくるピートは、どんなときでも、家にある12のドアのうち必ずひとつは夏に通じていると信じていたけれど、もしかしたら彼は私に「最後のドア」を託していってくれたのかもしれないなあと、今はそう思う。

 

猫と暮らす生活は楽しい。たとえ、別れがいつかは来ても、その楽しさ、美しさはいつまで経っても消えない。鈴木勝秀さんも書いていたが、本当に最後に残るのは感謝だけだ。楽しい時間、美しい時間をありがとう。感謝、感謝、感謝。

 

猫と暮らす、というのは本当にいいもんです。

 

2006.11.12

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ハインラインの「夏への扉」はたいへんに有名な作品なので既読の方も多いかと思いますが、その中に出てくる護民官ペトロニウス、通称ピートくんが、私のハンドルネームの由来です。ジンジャーエールの大好きな彼は、上の日記で引用したように、部屋にある12のドアのうち、一つは必ず夏に通じていると信じているタフなやつで、そしてこの小説の主人公がそうだったように、私も彼の肩を持ちたいと思っているのです。

 

だからわたしはハンドルネームを変えられないし、変える気もないんだよ、ということ。

 

夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))

夏への扉 (ハヤカワ文庫 SF (345))