タイムマシーン

昨年の10月、いよいよ明日から研修のために家を空けるという日曜日、普段はいろんなものが散乱している部屋だけれどやはりそれなりに片付けて、普段はテーブルの上に出しっぱなしになっているノートパソコンもケースの中に入れて片付けて、寝っ転がって携帯でmixiを覗いていたら、友人が日記を更新していた。その日記を読み終わった私は文字通り跳び起きて、ついさっき片付けたばかりのパソコンを光の速さで立ち上げた。

アメリカのGoogleが創立10周年を記念して、2008年9月29日から10月31日までの1ヶ月間、2001年1月時点でのインデックスに基づいた検索が行える「2001 Google Search」を公開していたことをご存知だろうか。友人の日記はその「2001 Google Search」で検索したところ、私たちにとって忘れがたいホームページをいくつも見られることが出来たことを伝えるものだった。

ノートパソコンを起動させた私は、そのGoogle2001のトップページを開き、その検索ボックスになんの迷いもなく「THE YELLOW MONKEY」と入力した。

そこには、かつて私自身があきれるほど通い詰めた、いくつものTHE YELLOW MONKEYのファンサイトの名前がヒットしていて、私はその中からいくつかのリンクをたどって(本当にあれはどういう仕組みになっていたのだろう、ダイレクトにヒットしたページのキャッシュだけではなくて、リンク先までもがその当時のままなのだ)目指すホームページをひらいた。

antinomy syndorome、という不揃いな赤い文字。そしてトップページの「マズハジメニハナヲクリック」の言葉。そうだった。画像へのリンクはさすがに消えていたけれど、真っ赤な芥子の花がトップページを飾っていたのだ。祈るような想いでそのリンクをクリックすると、まさに10年前と寸分違わないindexページにたどり着いた。そこには「まず始めに読んでください」と書かれたあの睡蓮の文章もあった。BBSやチャットなどのcgiのログを見ることはさすがに出来なかったが、彼女が残してくれていた大量のミッドナイトロックシティーのラジオ起こしはそのまま見ることが出来た。わたしはとりつかれたようにそれを片っ端から保存した。明日には研修に出てしまう、自分のPCをさわれるのは今日しかない。私は必死だった。その作業が終わると、さらにそこからリンクをたどって、私はまるで10年前にしていたのと同じように、10年前のネットの海に漕ぎ出した。

自分にとって思い出深いいくつものページを回りながら、これはなんなんだ、と私の頭は混乱していた。これはいったいなんなんだ。タイムカプセル、いやこれこそタイムマシーンじゃないのか。だってこの時は、この中の彼らは、この中の私たちは、まだ解散しておらず、その事実を知りもしないのだ。この中では色鮮やかに過ぎるほどにTHE YELLOW MONKEYがまだ生きていて、私たちはまったく無邪気にその存在を受け止めているのだった。ツアーの中の日替わり曲、メカラのセットリスト、今日の衣装、明日の席、はじける泡のようにころころと変わる話題を、当たり前のように受け止めているのだ。

その当時私の親しい友人の多くが自分のホームページを持っていて、その中には私が初めてライブレポを投稿した友人のサイトもあった。そのレポは友人にメールで送ったきり、自分の手元に保存しておらず、そしてそのサイトが消えてしまったあとは、どこにもそのテキストが残っていなかったのだ。けれど、この2001年のネットの海にはまだそのページがあって、私は10数年ぶりに自分の書いた長崎公会堂のライブレポートを読むことになった。覚えていることもあれば、まったく覚えていないこともあった。そうか、FOXYはこの日がツアー初出しだったのか。あのFOXYはほんとうによかった。Dメロに展開する前の一瞬の空白、あのとき心の底から、時間が止まるなら、今止まってくれと願ったことを思い出す。

当たり前のことだが、この当時はブログなどというものはまだ普及しておらず、あたりまえにいくつもの「ホームページ」が存在していた。そしてこれも当たり前のことだが、サイトはその書き手の力によって、その充実度に圧倒的な差が出るもので、当事者の思惑はともかく、結果的にいくつもの「大手」と言われるファンサイトが存在することになる。その中のひとつ、「蟻地獄でヤりましょう」。

あの当時少しでも熱心にTHE YELLOW MONKEYを好きで、そしてインターネットツールを持っていた人なら、この名前を知らないひとはいないだろうと思う。私はこのサイトの常連と呼ばれるような中にはいなかったが、しかし客観的に見ても、これ以上の「THE YELLOW MONKEYファンサイト」は今に至るまで存在していないと思っている。なによりもつきのさんにはTHE YELLOW MONKEYに対する信念があった。自分のすきなTHE YELLOW MONKEYはこれだ、という確かな芯があって、それに裏打ちされたいくつもの豊かで、どこか毒々しさのあるコンテンツは、バンドのカラーとも相まって、とても蠱惑的に輝いていたものだった。

蟻地獄のキャッシュをいくつか見ているうちに、つきのさんが自身のサイトを縮小していく、と宣言したときの文章を見つけた。読んでいるうちに、私はなぜだか、かなしくてたまらなくなり、PCのこちら側で、10年前の文章に、さめざめと涙を流した。9月の末に、自分が今までやっていたblogを閉じたとき、私はいろんなことを考えた。いったんすべてを閉じてしまうことは最初から決めていた。それで研修から帰って来て、もういちどやる気にならなかったのなら、そのときはそれまでだ、と私は思っていた。それはどこかなげやりな気持ちといってもよかった。でも、10年前のつきのさんは、もっと大勢の人が集まる場所で、もっと大変な思いをしながらも、そしていろんなことに辟易しながらも、なにかを捨てずに「サイトはやめない」と語っていたのだった。もし、もしも今、蟻地獄か、antinomyか、スパスパか、8000粒か、なんでもいい、もしもその人たちがいてくれていたら、そういうサイトがあったなら、自分はblogをやめようなんて思わなかっただろうと唐突に思った。なんの根拠もないし、どんな理由でそう思うのかもわからないけれど、でもそう思ったのだ。おーい、みんな。どこへ行ってしまったんだ。私を残して、どこへ行ってしまったんだ。

パンチドランカーツアーの頃、私たちファンがライブがあるたびに訪れていたホームページがあった。それはPAを担当されていた宗元祐さんのサイトだった。ライブが終わるたびごとに、その日のPAで気を遣ったことや、スタッフならではの裏話を書いてくださっていた。今はもう消えてしまって存在しないそのサイトの、10年前のトップページには、パンチドランカーツアーで吉井和哉がセレクトした開演前のSEのリストが残っていた。

ROD STEWART/Da Ya Think I'm Sexy

BEE GEES/Stayin'Alive

OLIVIA NEWTON-JOHN/Xanadu

BUGGLES/Video Killed The Radio Star

The Human League/Don't You Want Me

EARTH WIND & FIRE/Fantasy

BLONDIE/Atomic

JIGSAW/Sky High

ABBA/Dancing Queen

THE ROLLING STONES/Miss You

この曲のどれもが、耳にした瞬間に私の中にある種のノスタルジーを巻き起こす。これ以上ない興奮と、それが失われた寂しさ。けれど時間は容赦なく過ぎる。1ヶ月の間だけ、魔法の扉を開いていた2001 Google search のページを今訪れても、期間限定で2001年のサーチエンジンを公開していたことが書いてあるだけだ。そしてそこにはこう書き添えられている。過去は過ぎ去った。さあ今の検索を楽しみなさい、と。人間の心のキャッシュも、そんな風に書き換えることができたら楽なのかもしれないけれど。