君が見た夢を

昨年の暮れ、大阪城ホール日本武道館で行われた恒例のライヴで、吉井和哉THE YELLOW MONKEY時代の名曲「天国旅行」を演奏した。そのときサポートとしてドラムに入った城戸紘志さんが、そのことについてご自身のblogに書かれていた文章をお読みになった方はたくさんいると思う。私はその頃、このblogを休止していたが、城戸さんが書かれた文章に胸打たれ、その思いの丈をぶつけるところがない!と思い、普段はアーティストのblogや公式のBBSにコメントを書いたりすることはしないのだが、そのときは居ても立ってもいられず城戸さんのblogにコメントを残した。残さないではいられなかった。

そのときの天国旅行で、エマが涙した、ということももちろん私には胸に響いたが、ただそれよりも、今まで吉井のサポートを勤めていた城戸さんが、そんな話をしたことはなかったのに、ご自身が生まれて初めて行ったライブが、FIX THE SICKSの大阪城ホールのツアーだったこと、そしてTHE YELLOW MONKEYの大ファンであったことを明かしていること、そして、その生まれて初めて見たライブで演奏していた「天国旅行」を、自分が今演奏する立場になっていることについての思いに、私はひたすらに胸を打たれたのだ。なぜなら、私が初めて見たTHE YELLOW MONKEYのライブもまた、城戸さんと同じFIXの大阪城ホールだったからだ。

城戸さんは、イエローモンキーを好きだったひとはどんな気持ちで見ていたのだろう、僕も同じだから気持ちはわかるけど、でもアニーさんとは同じようには出来ないし、同じ声は出ないし、とご自身の思いを綴っていらっしゃった。それでも、プラスに気持ちが行くような何かが伝わればいい、と。

アニーと同じようには出来ない、そのあとに、同じ声は出ない、と城戸さんは書いた。アニーが歌っていたわけではないのに、なぜ「声」と書いたのか。これは私のもしかしたら思い込みというやつなのかもしれないけれど、でもこの文章を読んで、私は一つのことしか思い浮かばなかった。そして、城戸さんはほんとうにあのバンドに憧れていたんだなと思った。

天国旅行という曲には、曲中で二度、カウントが入る。1度目は吉井の、そして2度目はアニーのカウントが。そのカウントを境に、楽曲は一層ドラマチックに展開していく。どちらもオフマイクで叫ばれるこのカウントは、集中して聴いていないと楽器の音にのまれてしまいそうだったが、私はいつもこのカウントを聴くことを楽しみにしていた。だから年末の武道館でも、もう習慣と言っていいだろう、私は同じように耳を澄ませた。そしてその瞬間、ああ、と思った。城戸さんの声は高いんだな。だからなんだ、というわけではない。ただそう思ったというだけだ。楽曲の流れからすれば、本当に些末な、どうでもいいことにすぎない。でも城戸さんは「声」と書いた。城戸さんには誰よりもわかっていたのかもしれない、自分がいつも聴いていた声と違うことが。

あの年末の天国旅行は素晴らしかった。私は本当に心底から、この楽曲をものしたというだけで、吉井和哉は歴史に名を残していい、と半ば本気で思ったけれど、それと同時に、これはあの天国旅行という名曲を、吉井和哉が歌っている、ということでしかないんだなとも思ったのだった。そこにTHE YELLOW MONKEYはいなかった。思えば、吉井和哉は最初にソロでバンドの曲をやるときに、すでにこういっていたのだった。「カバーをやります」と。

そのとき、城戸さんのblogのコメントに書いたことは、相当に思い入れの暴走した、恥ずかしいものだったと思う。コメントというには少々長すぎたかもしれない。私は勿論、あれは結局のところカバーにすぎませんね、なんてことを言ったわけじゃない。私が伝えたかったのは本当にたったひとつのこと、言葉に代えれば「感謝」というだけですんでしまうような気持だった。かつてのファンにこころを寄せてくださったことへの感謝、そしてなによりも、新しくプラスに気持ちがいくような音を創ってくださったことへの感謝だった。

私と城戸さんのスタート地点は同じだった。あのときのあの大阪城ホール。同じ会場で、学生服の城戸さんと私は同じものを見た。同じでないのは、その瞬間から、城戸さんはバトンを受け取って走り出したということなのだ。走り出し、そして到達した。いや、到達というのは違うのかもしれない。けれど、あの「天国旅行」という曲を、吉井和哉の後ろで叩いた人間は、この世界中にたったふたりだけだ。

THE YELLOW MONKEYの20周年を記念してリリースされるトリビュートアルバムについて、人それぞれ、いろいろな意見があるだろう。そもそも、トリビュートというものそのものに魅力を感じない、という人もいるだろう。楽曲に対して、圧倒的な正解がすでに提示されているにも関わらず、あえて他のアーティストが挑戦することに意味を見いだせない人もいるだろう。それはそれでいいと思う。嫌なら聴かなければいい、というような乱暴さでそれを断罪することはしたくない。好きであればあるほど、こういう企画は気になりもし、気になるがゆえに、傷つくことだってあるだろうと思うからだ。

先日、矢野顕子さんがNHK教育の「ソングライターズ」という番組でこんな話をしていた。会場に集まった学生との質疑応答で、「自分がある思いをこめて創った楽曲に対し、受け手が違う解釈をしたとしたら、その楽曲は失敗だったと思いますか」。いい質問、と矢野さんはいい、それに答えた。「むしろ成功なんじゃないですか。あのね、いい例があるの。私のね、『ラーメン食べたい』って曲があるのよ。それをね、奥田民生くんがカバーすると、それは私の食べたいラーメンじゃないの。でも、すごくいいのよ。美味しそうなの。湯気がぶわあってあがってね、みんな美味しそうだって顔をしてる。それってすごくうれしいものなのよ」。

もちろん、実際に楽曲を聴いて、どう思うかはわからない。思いの外傷つくことになるかもしれない。これは私の食べたいラーメンじゃない、と失望するかもしれない。でももしかしたら、ああ、これは今まで食べていたのとは違うけれど、ほんとうに美味しそうだなあと思えるものに出会うかもしれない。こんな味があったのかって、驚くことができるかもしれない。たとえ私が出来なくても、誰かがそういう風に感じるかもしれない。それはとても素敵なことのように、私には思える。そしてなによりも、今回名を連ねたアーティストの多くは、おそらく過去のどこかの時点で、THE YELLOW MONKEYに、今はもういないバンドにどこかで触れて、そして今、新しく何かを生み出しているひとたちなのだ。あのときの大阪城ホールから走り出した城戸さんのように。それは私には決してできないこと、できなかったことだ。彼らの音楽から何かを受け取り、そして違う新しい何かを作り出していくこと。THE YELLOW MONKEYというバンドはもういない。もちろん、私の中では彼らは心の最前列に座り続けていて、今なお彼らの楽曲は新鮮に生き続けている。でもそれだけじゃなく、私ではないだれかにも、このトリビュートはそういう新しいチャンスを生み出すかもしれない。そしてそれはやはりとてもうれしいことのように、私には思えるのだ。