心臓形

ようやく買いました(遅!) いや!違うの!違わないけど!発売日のちょっとあとにタワレコで探したんだよ。でもなかったの!じゃあ通販で買えよってか!そうだな!←素直 まあでもなんだ、ショップでふらっとさがして棚から抜いて買う、ってこと自体にお金を出しているところもあるからさ。そしてひとり暮らしの通販は意外とめんどくさいのよ、そのために会社を早くあがるのもなんだかなって感じだしね。 あれだね、エマのあの自由奔放、縦横無尽という感じのギタープレイからはなかなか直結しにくいけれど、エマって人はどこかコンセプチュアルな、提示された世界観のなかで自分を表現するのがすきなひとなんだなあということ、それはバンドの頃から変わらないんだなあということを改めて思いました。こうして自身のプロジェクトでアルバムとして作品を出す以上、どういった世界観の元に作品を並べるのか、というのはきっと重要なことだったんだろうなあと。 でも人間、好きなことが得意なこととは限らないわけで、だからといって、あなたは得意なことだけしてればいいのよ~、なんにも考えずにギターだけ弾いてればいいのよ~んってのも創作者菊地英昭というひとに対して失礼な話であるし、というか「あのエマ」が骨絡みで染みついているものとしてはそんな風に思いがちな自分への自戒でもあるのだけれど、ただこの年になってね、それが自分にとって自家薬籠中のものではないとしても、その世界に挑んだエマの姿勢はすごいと思うし、そのたどたどしさも含めて、彼を愛する人にとって愛しいアルバムなんじゃないだろうかと思う。 ほわほわの天然さん、みたいな立ち位置に見られがちだけれど、その実ダークでねっとりとした世界が得意なエマだけのことはあって、問答無用に盛り上がれるアッパーチューンは影を潜めて、不穏なトーンが全体に基調としてあるのが面白いなあと。一番印象にのこったのは「手の平」という曲でした。 何曲かはエマがボーカルをとっているのだけど、あれだ、これは完全に好みの話だけれど、ブレスがなあ、すごく気になってしまった。歌の巧拙じゃなくて(だって超弩級に歌がうまい代表選手のような平井堅さんであっても気になるんだものブレスが)好みの話だし、ブレス音を「セクシーで好き」というひともたくさんいるし、それに音源の修正するのなんて簡単なのにしていないってことは「あえて」ってことだとも思うんだけども。低音で強く歌うエマも新鮮だけれど、高音が非常にきれいで驚きました。 以下、あまりアルバムには関係ない(ないこともないが)話なので畳みます。

9曲目の「END ROLL」という作詞の提供者が「Ghost Lighter」という表記になっていて、吉井ではないのか?という話が出ている・・・というのはいろんなところで目にしていたんですけれども。 うーん、これ、吉井かなあ? あまり、吉井の詞っぽくはない・・・ような気がする。そのー、Ghost Lighterという表記はね、いかにも吉井が考えそう!な気もするんだけど、歌詞の中の英語詞の使い方とか、「容(かたち)」とか、抽象的なセンテンスの積み重ねで構成されているところとかがね、うむむむむ、この詞の好き嫌いはおいといて、吉井っぽさは薄いかなあと。 もうひとつ、これはもうはっきり妄想の類といって差し支えないので読み飛ばしていただいてかまわないのだけど、ロックジェットでエマがこの詞について 「いるんですよ、Ghost Lighterという作詞家が。Lighterは「光」ですけどね。いつでも作詞をしてくれる、そして言えばすぐに歌詞をもってきてくれる」 と言っていて、それに対しインタビュアが「私たちの知っているひとでしょうか?なんとなく想像がつきましたけど」。エマは「さあ、どうでしょうねえ」と答えている。この「よく知ってる人でしょうか」ってあたりはそりゃー吉井じゃないのかって思うんですよねえ、だってエマの知り合いで私たちがよく知ってるつったらそりゃバンドのメンバーじゃん、みたいなね。 でもさ。 いつでも、すぐに、ってエマがそんなこと言うかなあ、ってどうしても思えちゃうっつーか。 吉井がバンドのメンバーに詞を書く、というと、どうしても「ならず者アイムソーリー」が出て来てしまうわけで、あのときのね、二人のやりとり、つまり家にケーキを持って家に遊びにいって、お互いの作曲の話をして盛り上がって、そういえば詞がなかなかかけないんだ、おまえすごいよなあって今更過ぎるけれど照れくさい賞賛の言葉があって、でもその場ではなにも言えなくて、帰ったあとで携帯に「1曲詞を書いてあげるよ、どれでもヒーセが困ってるのに書いてあげるよ、でも印税とかめんどくさいのはいやだから500円、税抜きで500円ってことにしよう」って、それでヒーセはあの曲を、HEESEY WITH DUDESのアルバムの中でももっともセンチメンタルなあの曲を吉井に渡した、そうしてあの曲ができあがったわけです。面と向かって書いてあげるよいくらでも書いてあげるよ、なんて言えなかった、500円というその値段の決め方も、そしてあの曲を渡したヒーセも、その曲を聴いてあんなドストレートな詞を書いた吉井も、そのとき決して言葉に出してしまうことがゆるされなかった寂しさを、あの曲と詞と500円に託した。 もちろん、それはあの時期だったからこそという見方もあるだろうし、吉井ももしかしたらヒーセやエマやアニーに頼まれればいつでもどこでも出張作詞サービスいたしますよ!という風に今やなっているのかもしれないけれど、たとえそうでも、エマはいつでも、すぐに、なんて言わないような気がするんだよなあ。まあそれは、そういうことを吉井に対して言うエマであって欲しくない、という私の勝手な妄想の押しつけにすぎないということはよくわかっているつもりではあるんだけど。 でもねえ、ヒーセが渾身の曲を渡し、それに対して吉井が渾身の詞を書いたように(金では買えない世界一の500円の曲、と吉井は言っている)、もしエマに詞を書いてと言われたなら、吉井はやっぱり渾身の詞を書くとおもうんだよ。でもって、このEND ROLLという曲の詞が、吉井の渾身のものには思えないんだよ。もちろんこれも勝手な妄想の押しつけなんだけどさ。 なーんつってさ、普通に、やっぱり吉井ちゃんでした!お前の妄想乙!みたいなことになるような気もするけれど、でも真実はどうあれ、いつか遠くない未来に、エマが渾身の曲を渡し、それに吉井が渾身の詞をつけるときがこれから起こる、ということを期待するためにも、このGhost Lighterが吉井和哉でないことを個人的には願いたい、という感じです。