あわい おもい

昨年再結成したユニコーンが最初に出したシングル「WAO!」にはDVDがついていて、それには5人が顔を合わせた新年会の様子が映っている。再結成、という話を前にいろんな言葉が飛び交うなか、奥田民生は幾分酔っぱらった口調でこう言った。

でも楽しかったときは絶対あったわけでね。それをみんな覚えてるはず。

CDを買って、いつものように好きな喫茶店に行って封を開けて、CDやブックレットをすべて出して、ひっくり返してみたり、中を覗いてみたり、そうしてまた元通りにしまって、もう一度手にとって、そしてなんだか泣きそうになってしまったのだった。そのパッケージの手触り、ジャケットに選ばれた写真の1枚1枚、ブックレットの色合いやフォント、そういうものがすべて「これしかない」というような意思を持って選ばれているというのがよくわかる。うつくしいな、とおもった。うつくしい、SICKSの世界そのものに手で触れているような感覚があった。吉井さんはきっと、これを本当に世に出したかったんだろうなとおもった。

 

そういえば、レジで予約していたものを受け取るとき、ポスターがついていますが、おつけして大丈夫ですか、と聞かれて、いつもの癖で、いりません、と答えるところだったのだけど、慌てて思い返して、いります、持って帰ります、と言った。筒状に丸められたそれがどんな写真を使用しているかは見ることが出来なかったけれど、このパッケージやブックレットの流れをくめば、このポスターはきっとあのメリーゴーランドの写真だろう、と私はなぜか確信した。それも含めて、すべてが「あるべきところにある」と思わせるものだったんだろうと思う。

 

SICKSレコーディング時の映像が1時間強、現在のインタビューがこれもほぼ1時間ある。とても見応えのある映像です。レコーディングエンジニアを担当されたRICHARD DIGBY SMITHさんの言葉で、とても印象的なものがあった。このコントロール卓にはたくさんのスイッチやボタンがある。だけどどれだけラインを繋げて音を調整しても、ここにないスイッチがあるんだ。それは感情のスイッチ、魂のボタンだ。それはアーティストが出すしかない。ロビンが感情を解き放って歌ったとき、私にはその意味がわからないはずなのに、それがわかったと思えた。それはとても嬉しい経験だったよ。

山口州治さんは、3枚目まで一緒につくったあと一度離れた、それなのに、2枚のアルバムを経てもう一度やろうといってくれたこと、それはぼくのエンジニア人生のなかでもっとも嬉しい出来事だったと言ってくれていた。

昨年秋のロンドンで行われた吉井へのインタビューは、13年後の今から、あのときを振り返るやさしいインタビューだった。吉井も、そして同じようにインタビューに答えた有賀さんも(あのHEAVENにも収録されている鉄棒のところでインタビューしていた、そういうところにもひとつひとつ愛情があふれていた)、何度もきれいな、とか、ピュアな、という言葉を使った。それはもちろん感覚的なものでしかないが、でもそれはよくわかる気がする。例えば「淡い心だって言ってたよ」の、あの音が鳴っていない瞬間の澄んだ感じ、そういうものがSICKSというアルバムを取り巻いているんだろう。

 

13年前の彼らは、吉井の言葉を借りれば恐れを知らず、冴えまくって、大きな予感と興奮にみちあふれていたというのが、そのレコーディング風景でも端々に感じられる。まさか紫の空の影の功労者が岸さんだったなんてね、もうこれから耳を澄ましてイントロを聴かなければならないよ。っていうか、紫の空の詞は評価されてないなんてことないと思うよ(真顔)。あのタンバリン、ギターを逆に持って遊ぶエマ、どんな曲でもすかさずビートを刻むアニー、いつでもどんなときでも優しく笑ってるヒーセ。ブックレットの吉井の言葉、その通りの風景が淡々と繰り返される、美しくて、淡くて、そしてどこか切ない、13年前の彼ら。

 

すべてが惑星直列のようにぴったりとはまった、と吉井は言った。でも時間は流れるから、どうしてもそのままでいることはできない。でも今はもう、そのことを恐れることはしなくなった、恐れることをしなくなったらひどいこともおきないんだよね、と。 どんなバンドにもそういうときがある。なにもかもがうまくいって、すべてがぴったりと符合するときが。THE YELLOW MONKEYにもそれがあった、そしてその瞬間にこのアルバムを残すことができた。こういうアルバムを残せるか、そうでないかは、その後のミュージシャンとしての自分に大きく影響を与えた、と彼は言った。

もちろん、THE YELLOW MONKEYを愛するひとの多くは、SICKSのほかにも彼らの生み出した楽曲に深い思いを寄せているんだろうと思うし、私もそのひとりだから、なぜそんなにもこのアルバムだけが、他の子だって、他の子だって、というような母心が湧いてこないわけではないけれど、でもその点で言うなら、この私の母心もどきのようなものなど、吉井和哉がそれぞれの楽曲に抱いている思いからすれば塵のようなものにすぎない。寂しい思いはあるかもしれないけれど、でも創り手の思いをよそに、受け手は受け手なりの文法で愛を注げばいいし、それが表現というものの自由さだとおもう。 なによりも、こうして13年前の彼らを見ていると、吉井が「あのとき」に、「みんなそれを覚えている、楽しかったとき」に思いを馳せている姿を見ると、わたしにはもう何も言うことはできない、と思ってしまうのだ。

 

なにもかもが当たり前に美しく、当たり前に淡く切なく輝いていたときの結晶を、こうして残すことが、吉井さんなりの「ケリのつけ方」だったのかもしれない。やっと終わった、とリマスタリングを終えたときに思ったと言っていた。だとしたら、これは必要な作業だったんだろうとおもう。だってもう、本当はずっと前に終わっていたはずのものだったのだから。

終わるべきものが終わらないと、始まりは来ない。それがどんな始まりであっても。 とりとめもなくこの文章を書きながら、ずっとSICKSを聴いている。デモ版はまさにSICKSという大きな巨岩のような感じだ。そこからあのアルバムの形を彫りだし、細部を磨いて磨いて、そしてようやく到達したのがあのアルバムだったのだなと思うと、感慨深いものがある。 リマスタリングされたアルバムの音を分析することなど私には到底できないが、例えばTVのシンガーでの間奏の音の洪水、その洪水の中が見えるような喜びもあれば、人生の終わりのイントロのように、何回も何十回も、いや何百回も聴いた曲なのにあらためてその音の透明感に驚く、という楽しみもある。それにしても・・・なんていいアルバムなんだろうか。何度聴いても色褪せることがない。

吉井には吉井の思い出があるように、私には私のSICKSにまつわる思い出があって、そういうものが何度も頭をめぐった。はじめてTHE YELLOW MONKEYのCDを買いに行ったときのこと、FIXの大阪城ホールから出たときに見た大阪のOBPのビルのあかり、はじめてインターネットで知り合ったファンの子に挨拶した西宮球場、天国旅行のときにぽつぽつと雨が降り出したこと、道の真ん中で、イヤホンから流れてきた花吹雪に立ちすくむほど感動したこと、淡い心に流れる「日曜の午後」の空気を感じながらのひなたぼっこ、3.10で演奏された人生の終わりのイントロを聴いたときの震えるような気持ち。

きっと一生忘れない。

ブライトンピアで、遊園地に向かう彼らのスローモーション。バックには「淡い心だって言ってたよ」のオケがながれている。後ろをあるく吉井が、カメラに向かってなにか話しかけている。とても幸せそうに。 突然、曲のコーラスだけが浮かび上がってきこえてくる。ああ、これが今の吉井の気持ちそのものなんだろうな。そう思った。

今この時間はぼくたちのとても大切な瞬間だよ

でもどうして大切という字は大きく切ないのかな

 

大切な瞬間を分かちあってくれてありがとう。 大きくて切ない、宝物にします。