いつだって周回遅れ

突然ですが、

このblogのログがふっ飛んで消えてしまいました。

全部。

と、もし突然JUGEMから申し渡されたらどうしよう。

バックアップ?取ってません。

そーとーショックだろうししばらく立ち直れないしもちろん足掻くだろうけどでももしそれでもダメだったらどうするのかな、私ゃパブに飲みには行けないけど、でも落ち込む、それは相当に、と思う。なんなら泣くかもしんまい。

こんな、どうでもいい素人のどうでもいい掃きだめのようなログですらそうなのである、いわんや吉井ちゃんのデータをや。そんなことを考える前にバックアップを取れ。そうですね。その意見は正しい。でもいつだって正しいことを選択できるのが人間とは限らないのである。たかがblogのログとかでなにを大袈裟なケッと鼻で笑われてもしょうがなかろうもん、でも私は未来と過去を愛するしこれからもそうありたいと思っているので、そして全曲感想やそれぞれのライブのレポやその時々に書いた文章ってのはもう絶対に二度と書くことができないので、そしてああやって書くことで私にとって大事なことをきちんと戸棚にしまうことができたので、だからそれがもう二度と手に目に触れることのできないところに行ってしまったといわれたらきっと涙だって流してたWOH OH OHそんな風に心はシャッフル張りつめてくメロディーのハードビバップ(小沢病が消えない)。

もちろんあれだよ、いったいどれだけ手を尽くしたうえでの「消えた」宣言だったのかわかんないし、それでいきなりパブで酒かい!っておもうし、結局大山鳴動鼠一匹ってことになるんじゃねえのYOUそこんとこどうなのYOっておもうし、ハイハイみんなに慰めてもらってよかったでちゅねーとか思うよ、思うけど、でも「なくした痛さ」ってそれは吉井さんにしかわかんないもんだもんね、と最後にはそこに行き着いてしまうし、そうすると何も言えなくなってしまう。

でも例えばですよ、私がね、blogのログが消えた!といって大騒ぎした挙げ句

「みんなにも読んでもらいたかったのに」

とか言ったらどうだろう。 ( ゚д゚)、ペッ とかなりませんか。知らねーし。みたいな。私はなる。わたし(たち)のことなんか範疇に入れなくていいんですよ、自分のために、自分のためだけの悲しみを、自分だけの「やりきれない気持ちを堪能」してくだぱいっていう、それが私の吉井さんに対する願望の押しつけなんですよね。

・・・というようなことを、先日吉井さんがモバイルで「データ消失」を報告したときに、twitterに書こうか、書くまいかと散々書いては消し書いては消しした挙げ句、結局それをうまいことまとめられずに終わってしまったわけだけど、それはまあ私に文才と何よりも潔さが足りないということにすぎない。もちろん、自分にとって甘い答えしか返ってこないことを予測したうえでの問いかけは鬱陶しいことこのうえないと私も思います。今までも、何度携帯を逆向きに折りたくなったかわかったもんじゃないぜ、実際。でも「優しい心の贈り物である憐れみを軽んじてはいけない」とファラミア御大将は仰っておられる(指輪物語)。さらには「人の善意を無視する奴は、一生苦しむぞ」なのである(今度はZガンダム)(ガノタ乙)。同情するなら金をくれ、それもまた真なり、だが、同情くれるなら、もらっとけ。それもまた人生の真実と思う今日この頃。