空気を読まない男たち

やっと出た、bridge65号。RO69の更新情報見るたびにおっとなんだか好きな人ばっかしの予感だゾ☆とは思っていた。最初はマサムネくん表紙、という情報があって次に民生の単独インタ載るよってあって、そのあとに66年組のトータス&スガ&せっちゃんの鼎談も載ると知ってもう満願全席やーん!とか思っていたのだ、いたのに、そこにまさかの吉井のインタビューが載るとなってキャーすげえこれで宮本きたらストレートフラッシュだなとか言ってたら次号予告にちゃっかり載ってますやんかみやもとせんせえー!っていうね。やーあまりに楽しみすぎて電車の中で開けなかったね・・・例によって外食しながら(楽しみにしている雑誌を読むときのもっとも幸福なスタイル)ためつすがめつしてみたんだけど、ほんと、マジでめくってもめくっても好きな人、しかもマサムネ民生吉井宮本、すべてインタビュアーは渋谷御大、どうなのこれ、ちょっと永ちゃん呼んできてって思った、何かっていうと時間よ止まれって思った。というわけでもうこれはblogをUPせずにはいられない!

 

さてどこからいきますか、やっぱり吉井からですか。というわけでなんのリリースタイミングでもないのに\デモ聞いてー/\聞いたーインタビューしていいー?/\いいよー/みたいな完全に社長の個人的な思惑だけで誌面が決まっている、その意気や良し。このblogを書いている時点で私はまだ吉井善哉に行っていないのでそこで披露されている楽曲を耳にしてはいないわけですが、モバイルの感じからもね、吉井ちゃん絶好調なう!みたいな空気はもちろん感じており、だからこのインタビューに散りばめられた「グラム」「日本の音」「アメリカの音」「バンド」「ソロ」等々のキーワードひとつひとつにもふむふむと感じるところはあったわけなのですが、それよりもなによりも最初に私の胸に去来したこと、それは、ああ、吉井和哉とつきあう(つきあってないじゃんとかいうツッコミ不要)ってこういうことなんだよなああ!っていうことでした。いつでも「その時」の気持ちに正直すぎる人、後出し番長とか言ったら怒られそうだけど、べつにイヤミでもなんでもなくそうだよ吉井和哉ってこういうひと、破壊と創造を繰り返して太くなっていくひとだったよと改めて感じ入ったのでありました。

ハイハットを自分で叩いてうるっときた、という話はモバイルでもしてましたよね。ボーカルというのはすべからくドラムを叩きたがるものだ、と言ってたのはスガちゃんだったかトータスだったか。それだけドラムとボーカルの関係性というのは大事なわけですよね。吉井も「支配」って言葉を使ってるけど、まさしくそうなんだろうな。しかし、インタビューを読んでて、なんとなく宮本がgood morningを作っていたころのテンションとかぶったりしたんですけど気のせいですかそれは(笑)

渋谷さんのインタビューって好き嫌いもあるだろうし向き不向きもあるだろうけど、吉井は絶対向いてるよなって思います。向いてるっつーと語弊があるか、なんつーのかな、私は渋谷さんのインタビューは正直あまりインタビューと思ってないんですね。何かと思ってるかと言ったら対談にちかいと思ってるんです。渋谷陽一対談集。吉井はそれに乗っかるのがうまい。しかしあれだな、写真はミッチさんのを使うあたり策士だな吉井よ、そりゃ渋谷さんの写真も悪かないこともないこともないかもしれないけどミッチさんと比べちゃそりゃあ! THE YELLOW MONKEYという単語も何度か出て来ていて、成仏、という言葉も使われているんだけど、成仏という単語が似つかわしいかどうかはさておいても、私もそれと同じ感覚を抱いているのかもしれないとおもう。THE YELLOW MONKEYは死んでしまった、と私はときおり独りごちることがあるからだ。あのバンドはもういない、もう死んでしまった、と。でも、と言葉が続く。それでも私は愛してるんだよなあ。死んでしまったのにまだ愛していることが、ひたすらつらかったこともあったけど、でも今はそれをうれしいことだと思える、私にとっての「成仏」はそういう感覚だ。

どこか「開眼」というような言葉をつかいたくなるような吉井の今のモード、七つのチャクラが目覚めましたかとうとう?もちろん新しいアルバムを心待ちにしているし、目の前に迫った限定ライブは楽しみすぎて失禁しそうだし、12月28日に九段下の駅を降りて武道館に行かなきゃ年は越せないよね~と思ってます(チケットは?)。でもそれは吉井ちゃんが開眼モードだからじゃないよ。それもあるけど、でもなんで楽しみなのかつったら吉井ちゃんが吉井ちゃんだからだよ。そんで私が吉井ちゃんのことを好きだからだよ。これは世に言う盲目の愛ってやつなのかもしれんね、でもいいんじゃね、と思ってるよ私は。盲目の愛を否定してヲタ道成るべからず。今、私が勝手にそう決めました。

 

あっでも私ね、最近スカパラのライブ映像見ててハタと、私が吉井ちゃんの最近のライブ映像(ライブじゃないよ、映像ね)にいまいち執着しきれないのってこれが原因なんじゃね!?みたいなことに気づいたんだよ(盲目の愛よいずこ)。しかしそれはまた、別の話。←王様のレストラン

 

さて、続いて表紙巻頭の草野マサムネ単独インタビューである。えっまだ続くんですか?続くんです。これまた吉井と別の意味で面白い。何が面白いかというと、そうそう渋谷陽一作のスピッツ(マサムネ)物語に乗っかりませんおれは、というような部分が見え隠れするからです、ってのは考えすぎですか?いや別に渋谷さんがどう、というんじゃなくて、マサムネくんて「こうでしょ?」ってことに「そうそう!」っていかないタイプに思える。「そうなのかな?」っていうワンクッション、これがインタビューのそこかしこで表れるので非常にスリリングかつ面白く読みました。そして吉井のと比べるととてもわかりやすいんだけど、マサムネくんは渋谷さんの発言に関して「それはなぜ?」という問いかけを結構してるんですよ。立証責任を相手側に負わせるという、さすが一筋縄ではいかない男(笑)

インタビューの中で印象的だったのは、冒頭の「1曲1曲単品でダウンロードしてもらっていい、そういう聴かれ方もあると思って作った」という発言。その背景には「自分もそういう聴き方をするから」というリスナーとしてのマサムネくんの感覚があるわけですが、CDが売れなくなったという昨今、アルバムは作品である、作品として聴いて欲しい、ばら売りは悲しい、という発言はアーティスト側からもリスナー側からもよく聞くけれど、そうではない音楽の単位、切り取り方についてここまであっさりと認識していることを言っている、しかもそれがまさしくCDセールス黄金時代にミリオン、ダブルミリオンのアルバムセールスを叩きだしたことのあるアーティストであるってことにちょっと感動すら覚えたというか。

あと歌詞の話のなかで出た、「気がしたよ」ではもうダメなんだ、言い切らないとリアルじゃない、という発言。やっぱりマサムネくんて凄く自分の使う言葉に対して自覚的だよなあっていうか、聴いていると感覚優先でつくっているようでありながら、その実ものすごく緻密なものがあるんだよなっていうのを改めて思ったり。あーやっぱり佐野元春さんのソングライターズ、マサムネくんに出てみてほしかった! それにしても「ロックって、空気読んじゃダメだと思うんですよ」は名言!!

 

さてどんどん行く!次はその名も「ロック伊達男」鼎談!キエーーーー!とりあえず一回奇声を発しておきました。66年組!丙午!66年組!丙午!無駄にコール&レスポンスしてみました。ヤベエ私もうこれ一冊全部この鼎談でもよかった、うそ、全部はあれだけど少なくともこのページ数は倍でもよかった!112ページの3人横並び爆笑ショットがすんげえええええツボですちょっと編集部さんここカラーでお願い!(無茶ぶり)でもって何が嬉しかったかって せっちゃんが 吉井の名前を 二度も出してくれてる ことだこの野郎!きゃーほんとに仲良しさんになりつつあるんかしら…(ぽわぽわ)ああ、二人の会話を聞いてみたい。立ち会いたいとか贅沢は言わない。盗み聞きでもいい、たくましく育ってほしい。もう何言ってるかわかんなくなってきました。

3人それぞれの知り合ったきっかけなどから話してるんですけど、もともと交流のあるお三方なので誌面からも楽しそうな会話が聞こえてきそうなほどっす。スガさんがトータスのラジオにゲストできてくれたときめっちゃ面白かったな~!あとトータスがblogでせっちゃんから送られてきた面白顔のぬこ写真とかUPしてくれたり。話の中でも何度も言われてるけどこのせっちゃんの「ゆるふわ愛され男子」感と、その真逆を突くような「エロ男子オーラ」が共存してるのがスゲエっすパねえっす。この鼎談の中でもいろいろすげえ発言かましてますが、スガさんのいうとおり「普通の人なら死刑だけど、和義くんはゆるされる」。

マサムネくんもこの世代と一つ違いで、そのインタビューの中で何度も「40を越えた今」について話をしているわけですが、この3人の鼎談でも後半はそういった話に移行していて、やっぱり共通したものを感じるところが多々ありました。吉井も然り。40代になったからこそ愛せるようになったもの、でトータスが答えた「自分のキャリア」っていうのはまさにそうなんじゃないでしょうか。たとえ古民家買って田舎に引きこもったとしても「ガッツだぜ!」と言われる、それを面白おかしく話してくださってはいるけれど、スガさんのいうようにそれはもう「業」とでもいえるようなものなんだとおもう。でも「自分が生み出したものに踊らされたわけだから、そこは認めた方がラク」という境地に到達したんだものなあ。前にさ、ウルフルズが休止してすぐぐらいの時にさ、吉井がトータスと飲みに行ったみたいなこと書いてたけど、あの頃のトータスを真の意味でわかってやれるのは吉井だけなんじゃないかって思うほど、ふたりは同じ処をくぐり抜けているんだと思う。でもって、そのトータスに「曲に責任はないから歌って欲しいんじゃないの?」と言えるせっちゃんのすばらしさだよね。

しかしこのロッキンオン恒例の対談や鼎談でのアンケート、はじめて、この字はひょっとして吉井並み・・・いや、それ以上!?という字を見たと思いましたよ、トータスさん!く、車の中で書きはったんですか(笑)

 

さて66年組鼎談の次はこの人を忘れちゃいけない、エレカシ宮本どーんと来い!あの、このインタビュー、宮本やエレカシに興味ないっすって人にもぜひ読んで欲しい、もう、なにがってかわいい、宮本のかわいさがここまでストレートに出てるって珍しい、私このインタビュー読みながらめちゃめちゃにやけてたんでしょうなあ、隣のテーブルに座ったお子様から 「あのおねえちゃんずっとわらってるー!」 と母親に申告されてしまいました。ことほどさようにいとしさとおもしろさとこころづよさにあふれたインタビューでしたマジで。

渋谷さんは「話が混乱しているところもある」って書いてるけど、いや、これめちゃめちゃわかるよ、ちっとも混乱してないよと思いましたわたしは。あの、待ち合わせに早く来ちゃって(宮本は絶対遅刻しないことで有名)ルノアールに行ったら店員さんに握手を求められた、という話とコンビニで冷たい態度をとられるだけでも傷つく、という話。暗黒面は誰にでもあり、それを宮本に託すようなファンの心情を感じると彼は言っていて、そのたとえ話はそのあとに続く、ユニバーサル移籍以降のポジティブ感あふれた楽曲と、ソニー時代に代表される陰鬱でどこか文学的な匂いの漂う楽曲の、その両方が自分の中に共存しているんだというところに繋がってくるわけです。

そして宮本が言った「片方がちゃんと売れていると、その反面のものもちゃんと聴いてもらえる。反面だけだと誰も聴いてくれない」という言葉。深い、深いよこれは。 あとねえ、渋谷さん、宮本に押し強いじゃん、キレるじゃんって言ってるけど、それで宮本は自分が押しが弱い、キレないって反論してるじゃないですか。これみんなやっぱり渋谷さんのほうに同意するんですかね。そりゃ過去のいろんなエピソードからしたらそんな風に思われるかもしれないけど、あのーちょっと前に宮本が銀杏の峯田くんと対談したことがあって、その時に宮本が銀杏の楽曲の魅力を「なんにも悪いことしてないのに職務質問を受けている青年」にたとえたことがあって、それはもう見事な比喩だったんだけど、それはエレカシにもある部分だとおもう。さっきのコンビニのたとえ話じゃないけど、ほんの些細なことで人間って傷つくじゃないですか、その些細な躓きで空気の色が変わって見えたりするじゃないですか、そういう日常の鬱屈、今やtwitterにもあふれているけれど、そういう鬱屈があるから宮本のあのソリッドな部分が楽曲やパフォーマンスとなって現れるんじゃないのかなあ。宮本があちこちにぶつかりまくってキレて発散しまくっているような人だったらあんな歌生まれない。もし渋谷さんや私たちファンが、宮本を「キレやすい」と認識しているとすれば、それは音楽を通じて宮本というひとを見ているから、でもって、音楽というフィールドにおいては彼は自分の感情を押し殺したり誤魔化したりしない、できないからこそなんじゃないかと私はおもいます。

しかし、だからこそその「内弁慶」を自称する宮本をぐっと黙って引き受けているメンバーの偉大さよ・・・!とも思う訳ですけれどもね(笑)「ファンが15人ぐらい減りましたかね、今ので?」という言葉に思わず雑誌を閉じて息を整えたほど燃え萌えになりましたが(しかもあのページの笑ってる宮本の可愛さどう!?なんでこんなに可愛いのかよ)、しかし「生きていくことのうしろめたさ」という言葉がするっと出てくるあたり、ほんと宮本の詩人っぷりには唸らされるばかりです。

 

さて呼吸を整えてふたたび誌面を開くとそこは雪国じゃない奥田民生御大のご登場である。もうほんとこの雑誌すごい。盆と正月どころじゃない、盆と正月とクリスマスと灌仏会と誕生日が一緒にキターーー!と言っても過言ではないてんこもりさ加減。

民生は民生でひとりカンタビレ自体は一連のリリースも落ち着いてさあ次はツアー、という狭間の時期ではあるんですが、吉井ちゃんと同じく俺が話を聞きたいつってんだからいいんだよ的な、社長の天上天下唯我独尊ktkr。いやしかし、さすがは社長というかただ者じゃないというか、だてにCOCCOちゃんに「占い師」とか言われてないなというか(それ関係無)、ひとりカンタビレ、というものへの分析の鋭さは舌を巻いた。具体的に言うと、ひとりカンタビレは過去最多人数で録音したアルバムだ、というところ。つまり「客前でやることによって「ひとり」を対象化する」というところです。 ひとりカンタビレについて、民生は何度か「これはそうそう他の奴にはできないだろう、という自負もあった」みたいな話をしていたけど、それは全部の楽器を演奏できるとか、あの神業としか思えないコーラスの見事さとか、そういうテクニカルな部分のことだけじゃなくて、完全でないとしても「良し」とジャッジ出来るその決断力も大いにあるよなあと(当たり前ですがそれはそういうものであってもちゃんと自分の「歌」になっているはずという自信の表れでもある)と私は思っていて、それがひいてはひとりカンタビレというもののカラーだろうというふうに考えていたんですね。

しかし、渋谷さんがいうように、「客前でやる」ということは「ひとりでデモをつくる」というのとはまったく違うグルーヴを生み出すものです。自分が気に入るまでやる、じゃなく、目の前の客を意識し、時には諦め、時には満足して「次」にいくということはとりもなおさず、そのテイクは「他者」の介在するものになる。これは唸りました。でもって、それを言葉にはしないまでも感覚として認識していた民生のクレバーさにも唸りました。たとえばこれ、同じ過程を客を入れずに、そしてたとえば時間制限を設けて「ひとり」でやったとしたら、こんなふうに開かれたものにはならなかったんじゃないかと思う。これが実験者効果ってやつでしょうか。すいませんてけとうなこと言いました。

「楽しい!」「気楽だ!」ってとこと「つまんねえ!」ってとこが紙一重でくる、という話、面白かったなあ。でもって、民生があのカンタビレツアーでよかったこととしてあげた、客席の安堵感というやつ、うんうんわかるわかると首を縦にぶんぶんふってしまいいそうになりました。ほんと「見守ってる」って感じになるんだよね。一緒に走ってはいないかもしれないけど、沿道で小旗振り続けてるぐらいの気持ちにはやっぱりなるわけで。 そしてやっぱりこの人も、CDセールス黄金期のまっただ中にいたひとだけど、もう「次のスタイル」を敏感に感じとっていて、ほんとにいろんな意味でこの世代のフロンティアのパイオニア、それを地で行くカックイイ男だよおまえさん!と思った次第でございます。 ひえええ雑誌の感想なのにすでに7000字書いているとかどうなのこれ。これどうなの。つか誰が読んでるの。いや、誰も読んでなくてもいい、読んでなくてもこれは書かずにはいられない、とひさびさにボウボウメラメラと「なんでもなにか言いたい欲」に火が点きました。だいたい背表紙の並びからして「スピッツ奥田民生吉井和哉」だもん。まさに嵐のRIJF第1回目の並び、あのときの特大号で表紙を飾ったお三方じゃないですか、ヒー! 鼎談の3人が66年組というのは誌面でもふれられているけれど、吉井も宮本も66年生まれ、民生がひとつ上の65年、マサムネくんがひとつ下の67年、ほんとにこの丙午近似値の男たちがツボに入ること山の如し。ちなみにスカパラも沖さん谷中さんが66年、メンバーの年齢平均するとほぼこの年代になるっていう!ね!丙午だから愛したんじゃないんです、愛した男が丙午だったんです、って無駄にドラマチックにしてみました反省はしていない。とにかく久しぶりに1冊の雑誌を舐めるように読みました。堪能。しかしほんとにこのエネルギーをもっとなにか有効活用できないものか、発電とか、とじっと我が手を見る土曜日の昼下がり。ほんとに無駄に長くてすいません、最後まで読んで下さった方に幸多かれ!