Are you believer?

去年の暮れ、大阪城ホールでのライブの翌日、私は同時期に大阪森ノ宮ピロティホールで上演されていた、第三舞台という劇団の解散公演「深呼吸する惑星」を観に行っていました。第三舞台に関するわたしの右往左往というか阿鼻叫喚というか、ともかくそういったテンパりぶりははてな自分のサイトのほうでああでもないこうでもないと書き殴っているので、ここであえてもう一度書くことはしません。

 

第三舞台という劇団にはいくつかの「恒例」がありますが、その中のひとつが折り込みチラシやアンケートと共に配られる見開きB4サイズいっぱいに書かれた、主宰の鴻上尚史さんによる「ごあいさつ」というテキストです。そもそもは劇場入りしてリハが終わって開演を待つという間、急に手持ちぶさたになった演出家がそのときの心情を書いたものがはじまりで、第三舞台の公演には必ずこの「ごあいさつ」がつきものなのです。 私は「深呼吸する惑星」を紀伊國屋劇場の初日で見たのですが、この「ごあいさつ」は初日には間に合わず(これも恒例)、やっとそのテキストを読むことができたのは、その大阪公演での開演前だったのです。

 

そこに書かれていたのは、亡くなった友人や知人との「対話」のことでした。 今から27年前、1981年に第三舞台を旗揚げし、文字通り飛ぶ鳥を落とす勢いだった鴻上尚史さんは、しかし1984年に旗揚げメンバーでもあり、劇団の中心人物であった役者を、突然の交通事故で喪うという悲劇に見舞われることになります。「モダンホラー」という戯曲のあとがきで書かれたその時の鴻上さんの言葉を、私は今でも忘れることができません。「衝立の向こうにちらりと見える足の裏が、頬ずりするほど愛おしい、見慣れたものであっても、私はまだいっさいを信じてはいませんでした」。

 

「ごあいさつ」の中で鴻上さんはこう書いています。数年に1回しか会わない人の死の知らせは、自分の中に不思議な感情を巻き起こす、そのひとのことをどれだけ思うかは実際に会った回数ではない、そのひとが僕自身に与えてくれた影響や情報や感情がそのひとの重さを決めるのだ、それはつまり直接には会っていなくても、心の中で頻繁に会っているのと同じだ、と。だから、あのひととリアルに会えなくなったとしても、心の中で何度も会話していたんだから、それはたとえばそのひとが、ただ長い旅に出ているようなものだと考えてもいいんじゃないか、と。

 

生きている人間同士の対話であっても、実はなにも話していないということがあるように、亡くなった友人との対話を続けることも、珍しいことではない。それは教祖や偉人の言葉のように強烈な信仰を伴うものではなく、生きている人間の力強く生臭い言葉でもなく、淡く、遠く、ささやかな言葉だ。やがては時間と共に消えていく言葉、会話しようと決意しないと現れない、かげろうのような言葉だ。 私がこのテキストを読んだのは、城ホールでのライブの翌日、つまり12月24日でした。ちょうど2年前のこの日に逝ってしまった、志村正彦というひとりのアーティストのことを、どうやっても思い出さずにはいられなかったのですが、けれど私がこのテキストに揺さぶられたのは、それだけが原因だったのではないとおもうのです。「ごあいさつ」はこう続きます。

「けれどそんな弱く、淡く、小さな言葉が、自分を支えているのだと自覚すること、そして、自分を支えるものの弱さや儚さに気付くことは、なかなか素敵なことなんじゃないかと思うのです。 国家や民族、大会社のような強大で強力なものに支えられる人生もあるでしょうが、弱く、小さくささいなもので自分を支える人生も悪くないと思うのです。 自分の支えるものの弱さを自覚し、そしてその弱さを認めながら人生の可能性を探る試みは、ひょっとしたら強大な支えを求める人生より楽しいんじゃないかとさえ思います。」

わたしを支えているものはなんなのか。この不条理で、つめたく、伸ばした手の先も見えないような世界の中で、わたしはどうしてここに立っていられるのか。その支えは、きっと、弱く、淡く、ささやかなもの、自分が信じていなければ消えてしまうようなもの、手垢がつくまで読み返した試験には出ない本、心の底から愛した劇団の風景、実際に会ったことは一度もないロックスターの音楽、めったに会うことのできない友人たちと交わした「本当の会話」。 その弱さを認めながら人生の可能性を探ること。 それは決してわるいことではないのだ。 この一年が、わたしにとっても、ここを訪れて下さっているすべての方にとっても、自分を支えているかすかなものの存在と、それに支えられる喜びを感じられる年でありますように。