野音・外

会場に着いたのは、5時すこし前だったとおもう。すでに日比谷野外音楽堂のまわりにはたくさんのひとがいて、静かに時間を待っていた。私は植え込みのアスファルトに腰をかけて開演の時間を待った。5時だな、と、時計を確認した途端、わあっと大きな歓声が壁の向こうから聞こえてきて、宮本が登場したのだとわかった。

最初は「序曲・夢のちまた」。開演してからも、流れ込んでくる人の足は絶えず、座り込んで聞いているひと、壁の向こうをじっと見つめているひと、さまざまだったが、皆一様に押し黙って壁の向こうから聞こえてくる音に集中していた。アコースティックでも、耳をそばだてないと聞こえない、というほどではないのだが、全員がおそろしいほどに沈黙を守り通していた。宮本の声はすこし緊張しているように聞こえ、高音にいつもの伸びが欠けるような気はしたが、当たり前だけれど宮本の声そのものだったので、何よりもそのことに言葉に言い表せない安堵の気持ちが過ぎったことを思い出す。

そのあとに今回の経緯について語っていたMCは、聞こえたり聞こえなかったり、という状況ではあったが、おそらくいつもの宮本節で身振り手振りで話しているのであろう、病気がわかったときや入院のドタバタを、時には笑い声も起こっていて、相応しい言葉なのかどうかわからないがどことなく和やかな空気も感じられたのだった。マラソンを始め、タバコをやめた、と宮本は言っていた。46才だからね、とも。

続く「悲しみの果て」のCメロに移る前のギターのコードを、宮本は4回弾き直した。私が今回のある種特殊な状況を思ってどきっとしたのはこの時が最初で、そして最後だった。サビを歌う宮本の声は相変わらず美しく、艶やかな天鵞絨のような声だった。

会場の周りでは、どことなく拍手ですらも控えめに、ただただ壁の向こうに全神経を集中させているような雰囲気があった。会場前で待ち合わせしたのか、友人を見つけて駆け寄るときも、お互い手をあげるだけで声を出さずにいる二人組がいた。結婚式帰りなのだろう、どことなくこの場にそぐわない礼服を着た男性が、子供をあやして身体を揺らしながら聴いていたり、ベビーカーを押した女性が何度も何度も同じ処をぐるぐるとまわっていたりしていた。腕を組んだままじっと見えない壁の向こうを一心に見ているひともいた。それは不思議な静けさだった。もちろん野外で、すぐ外には大きな道路が通り、車の音や時にはサイレンの音が聞こえてきたりもしたが、終始驚くような静けさがあの場所を包んでいた。私は普段劇場にでかけていき、おしゃべりや携帯電話の着信音を禁じられる場にいるが、その劇場の客席よりもここは静かなのではないかとおもうほどだった。なによりも、あれだけ多くの人があのかすかな音に必死に食らいつく姿というのを、私は初めて見たと思う。

「月の夜」の前にパタパタと大粒の雨が落ちてきたが、その時もほとんど声はあがらず、ポンポンと傘の花が開く音が連鎖していくだけだった。私は傘を持っていなかったが、ちょうど樹の下にいたこともあってほとんど濡れずにすんだ。宮本の「もうすこし歌ってもいいかな」という声に大きな歓声と拍手が湧き起こっていた。

最初に見えた緊張は、歌い重ねていくうちにすっかりその色を消していて、それはあの最初の報道の「無期限休止」という言葉のセンセーショナルさとは月ほどの距離があるように感じられた。誤解を恐れずにいえば私は宮本の歌をこの時にはもはや楽しんでいたし、悲壮感みたいなものはどこにも感じていなかった。そしてそれは私にとってはとても大事なことだったのだ。

「うつら うつら」「見果てぬ夢」「涙を流す男」と立て続けてに歌った後、宮本がひと言「心して」と言って始まった「花男」。アコースティックで宮本が歌う花男、心して、という言葉のとおり本当に素晴らしかった。思い込みかもしれないが、歌ってる間にもどんどん力が漲っていくのが感じられた。終わった後の大きな拍手と歓声は忘れられない。

蔦谷さんとヒラマさんが2曲、サポートで参加してくださっていたが、それでも最後にバンドのメンバーが出て来たとおぼしき歓声が聞こえてきた時にはやはりほっとしたし、嬉しかった。全員で23回目の野音に立ってほしいとどこかで思っていたのもあった。バンドセットが組まれているか外からはわからなかったのだが、新曲の演奏はバンドスタイルで行われ、エレカシで一曲、が聴けたことは嬉しかった。まだ爆音がこわい、という宮本が最後にバンドでやってくれたことには感謝の言葉しかない。

終演後の拍手は、皆アンコールを求めていたのではなく、ただただ拍手を贈りたかった気持ちが続いていたのではないかとおもう。予定よりも沢山の曲をやってくれた、というのはなんとなく雰囲気でも感じていたが、宮本が歌ってると元気になる、と言っていたように、それはまさに姿は見えずともあの野音の周りの観客にも伝わっていたのではないだろうか。

続けること、というのはこういうことなんだなあと野音からの帰り道、何度も思った。続けること、続けていくというのはこういうことなのだ。そしてそれが出来たものだけが見ることの出来る景色を、あの4人はきっと見ているのだ。

そういえば「笑顔の未来へ」の「どんな悲しみからも」のあと「すぐに」を歌わなかったのは意図的だったのだろうか。

必ず戻ってくるので、と宮本は言った。私は、数多あるエレファントカシマシの楽曲のなかで、ファイティングマンのこのフレーズをもっとも愛すると言っても過言ではない。かつて宮本は「自信をすべて失っても誰かがおまえを待ってる」と歌った後に「すくなくとも俺は待ってる」と呟いてくれたことがあったが、あの場所にいるすべてのひとが、きっと同じ思いだったのだろう。たとえ「すぐに」でなくとも、おまえを待ってる。何度も勇気づけられたこの歌を、今こそ宮本浩次エレファントカシマシに捧げたい。