47/47 宮城・グランディ・21 県総合体育館 「SO YOUNG」

ラストはやはりSO YOUNGでしたね。

SO YOUNGは年末のメカラで初披露だったので、アリーナでも年明けからの会場でしかやってないんですよね。それまではASIANがアンコールのラストでした。ASIANが47本に入らなかったのは個人的にとってもざんねん。

「俺たちはしぬまで青春でいられます」、言ってたなあ。SO YOUNGはなんだかどうしてもライブが終わってしまう寂しさと、それからもっと大きなものがおわっていくような予感に満ちていて、いつまでも気軽には聴けない1曲になってしまいました。

さて、47本以上で終了です。お付き合い下さったかたありがとうございました!このあとだらだらとまさに蛇の尻尾のようなことを書きますがどうかお気になさらず。別のエントリにすればいいのかもしれないですが、なんかこのカテゴリはぴったり47で終わらせたい気持ちなので。もしコメントなどのこしてやってもいーよ、という方がいましたらぜひご自身のお好きな1本を教えて下さったりするとたいへんうれしいです。


このDVD発売企画が始まった時はなんだかピンときてませんでしたが、最初の1本が長野ビッグハットだったこと、個人的にライブの前も、あとも、あまりにも思い出のある長野がきたことで文字通りパンドラの箱が開いた、開いてしまったという感じがありました。

最初の5~6本は、途中で挫折したらカコワルイ(こういうとこ、ほんと私の人間の小ささ!)とおもってひっそりやっていましたが、8本めくらいで「あっこれ、いけるな」と唐突に確信し、実際47本、ただの一日も苦じゃありませんでした。毎日今日はどこの、なにが、とyoutubeの更新を確かめるのが楽しみでしたし、ほんとうに映像を見たままの、ひとことふたことを書いて残す作業は、わたしにとって純粋に楽しさだけでできた時間でした。

こうして47本を平らに並べてみることで、自分の中でも改めて気がつかされることもたくさんありました。吉井和哉さんはかつて自伝でこのツアーを「目をつぶって打たれていた」と評したことがありますが、だからこそ感じていた「打ちすえていたのは自分たちなのではないか」というような薄暗い気持ちを今後はもう感じなくてもよさそうです。名は一番短い呪だといいますが、パンチドランカー、その名の通り打たれていたのは私たちも同じだったのだなと改めて思いました。

自分の日記には一度矢も楯もたまらず書き殴りましたが、私はこの頃の彼らが本当に好きでした。今はそれを胸を張って言えます。目の前に広がっているのは決して平穏な海ではないことに気がつき始めた彼らの、自分の人生に「負け」を取り込んで、それでも生きていかなければいけないことに気がつき始めた彼らの、それでも、だからこそ必死な姿こそが、わたしを今までつかまえ続けてきた魔法の一端だったんだろうと思います。

自分ではじめたことが終わるというだけなのに、寂しさを感じてしまうのは、やっぱりどこかあのツアーの終焉を思い出してしまうからかもしれません。ともあれ、ツアーもバンドもいつかは終わる。星だって宇宙だってイエローモンキーだって永遠じゃない。

おつかれさまでした。15年後にもう一度この言葉を言います。おつかれさまでした。あなたも、わたしも、THE YELLOW MONKEYも。