「小さな生き物」

案の定というか、140文字では言いたいことがおさまらなかった。  
いやー、これはすごいアルバムじゃないでしょうか。
特急列車に揺られながらのんびりと旅のお供にするはずだったのが、しょっぱなから寝ぼけた私の精神に張り手をくらわすような楽曲ばかりで、結局片道4時間あまり、ずーっとこのアルバムをエンドレスで聴いていた。  
何に心を揺さぶられたかって、いきなりわけのわからない喩えをするとソーントン・ワイルダーの「わが町」という戯曲と似たような手触りを感じられたことにやっぱりしてやられてしまったんだろうなあと思う。
草野マサムネという人が書く「歌詞」の魅力はあげればキリがないと思うけれど、ものすごくミニマムなところでもピタッとピントを合わせてくるところ、それでいて魚眼レンズで覗いたかのように周囲が奇妙に歪んで見えたりするところ、そういう魅力って確かにあったと思うんですよね。
でもこの「小さな生き物」ではそれだけじゃない。アルバムタイトルの「小さな生き物」とは、言うまでもなく私たち自身のことであって、じゃあ何と対して「小さな」か、というとそれはやっぱり「この星」「この世界」ってことになるんだろうと思う。
震災というできごとを経てできあがった作品だから、というような読み解きはきっと数多のライターの方達がされていらっしゃると思うので私が何を言うこともありませんが、でもえてしてそういった出来事に影響を受ければ受けるほど、その後の作品は「大きな」ことをとらえがちだよなあとおもいます。愛とか、希望とか、絆とか。それが悪いというわけではないし、だからこその力強さを楽曲に与える歌詞だってもちろんあるだろうとおもう。  
しかしこの「小さな生き物」がすごいのは、その途轍もなく大きなものと、途轍もなく小さなものを、同時に手のひらに乗せているところ、草野マサムネという人に見えていた魚眼レンズの視点が喪われないままにこれらの楽曲を成立させているところです。私の好きな劇作家の言葉を借りればこうです。「とても大きなものととても小さなものを同時に扱うと、そこに「詩」が生まれます。刹那と永遠を一度に手の上に乗せようとすれば、そこに切なさが立ち上がります」。  
それにしても、結成して25年以上、デビューからでも20年を優に超えるキャリアでありながら、こんなにも新鮮にすべてを研ぎ澄ませていられるものなのかと思わないではいられません。
行ったり来たりできるよこれから
忘れないでね 大人に戻っても/「未来コオロギ」
「大人に戻っても」、この歌詞があることで「行ったり来たり」が距離のことではなく時間のことをさしているとわかる。それにしても「忘れないでね 大人に戻っても」この歌詞のすごさときたらどうなんだ。まさに刹那と永遠。
エンドロールには早すぎる 潮の匂いがこんなにも
寒く切ないものだったなんて/「エンドロールには早すぎる」
これも「潮の匂いがこんなにも○く切ない」って切り取られたら、まあ大抵のひとが「甘く切ない」って書いちゃうんじゃないでしょうか。だいたい、匂いが、っていってるのに「寒い」で受けることがまず普通じゃない。でもわかりますよね、人の気配のない海の「寒く切ない」潮の匂いって。
ただ信じてたんだ無邪気にランプの下で
人は皆もっと自由でいられるものだと/「ランプ」
ときどきこういうドストレートな直球を、ここぞというところで投げてくるから参る。
偉大な何かがいるのなら
ひとまず放っといて下さいませんか?
自力で古ぼけた船を沖に出してみたいんです/「潮騒ちゃん」
かわいくふざけたタイトルの連呼のなかにこういう歌詞が滑り込ませてあるところがニクイ。かみさま、とか、がんばる、とか、そういう表現をぐんと突き放す強さ。潮騒ちゃんは歌詞のリズムもすばらしいし、その中にマサムネくんの「ばってんもうやめたったいこげなとこから」と博多弁が飛び込んでくるところも素敵。
ずっと気にしていたいんだ 永遠なんてないから
少しでも楽しくなって
遠く知らない街から手紙が届くような
ときめきを作れたらなあ/「さらさら」
「さらさら」から「野生のポルカ」、scatを挟んで「エンドロールには早すぎる」、この中盤は特にもう聴いてて酔いそうになるほどすばらしい。野生のポルカはその2拍子の速さと歌詞の内容も相俟って、野生の獣が疾走していくような、その姿がだんだんと人間に変わっていくような絵が思い浮かんできます。「エンドロールには早すぎる」の懐かしさを感じさせるメロディもいい。
「りありてぃ」や「潮騒ちゃん」はスピッツ鬼のリズム隊のライブでの鬼っぷりを今から想像して顔がにやけますねこれは。  
リリースされたときにたくさん(もしくはスピッツらしく、それなりに)出たであろう雑誌のインタビュー記事などは読んでいないので、すんげえ頓珍漢なことを言っているかもとは思うのですが、しかし聴き手は聴き手の文法でしか聴けないものなのだからしょうがない。とにかく揺さぶられたアルバムでした。この最高潮に高まったテンションでライブを観に行くことができるのは怪我の功名!かもしれない!