THE YELLOW MONKEY@RIJF2016に行ってきたのよ

ひたちなかよ、私は帰ってきた。

 

1月8日の再集結発表と同時に公開されたツアースケジュールでは8月がぽっかりと空いていたので、8月はきっといくつかのフェスに出るのだろうと思っていた。そしてそのうちの1本はまちがいなくRIJFだろうと思っていた(再集結の蛹の広告を発表前に掲載しているロッキンオンがこれに乗っからないわけはない)。最終日のトリではないかと予想していたのだが、前日の13日に出演することになった。奇しくも16年前に彼らが第1回RIJFに出演したのも8月13日だった。

ゆっくりめに会場に入り、サンフジンズを見たり過去のサインフラッグを見たり、名物ハム焼きを食べたりして時間をのんびり過ごした。サンフジンズでは民生が「今日はモンキーまであるからね…」と、あの4文字の略称ではなく、吉井が普段言う呼称で呼んでいるのがなんだかほほえましく、うれしかった。THE YELLOW MONKEYの出演の一つ前のグラスステージのアクトは[Alexandros]だった。ボーカルの子が途中で「今日はこのあとに大好きなバンドの出演があって…すごく楽しみにしている」と語ってくれていた。

 

PAテントの少し前あたりでTHE YELLOW MONKEYの登場を待っていた。日が落ちて肌につめたい風があたるようになって、空模様も心なしか急に雲がかってきたように感じられたけど、さすがに今日は大丈夫だろうと思った。もっと緊張するかと思ったけど、そうでもなかった。それはさすがに今日は「雨は」大丈夫だろうと思っていたからでもあるし、さすがにもう、考えすぎたり考えすぎなかったりしてあさっての方向に暴走するようなことはないだろうと思っていたからだ。再集結後最初のJAPAN誌上のインタビューで吉井もそう言っていた。16年前の出演のとき、これぞTHE YELLOW MONKEYというものを見せていなかったから、大きなリベンジのひとつだと。

 

定刻に開始。最初にアニーとエマとヒーセが出てきて、エマとヒーセがドラムに近寄り3人が向き合う形になった。1曲目はSPARKあたりの、吸引力と爆発力を兼ね備えた楽曲でくるのではないかというのが私の勝手な予想だった。しかし吉井が出てくる前にエマのギターが鳴った。SUCK OF LIFEのオリジナルバージョン。吉井はお得意のスタイルのハンドクラップをしながら登場した。マイクスタンドは回さなかった。横アリの2日目で着ていたキラキラのジャケット、シャツはシルバーのキラキラ、いやギラギラしたゴージャスなものだった。モニタで抜かれる吉井の顔はすごく緊張しているように見えたけど、でもこういう緊張と決意のある顔をしているときのこの人は間違いないんだよな、とも思った。それほど緊張しているようなのに、サングラスはしていなかった。そういう意味での内心を防御するためのサングラスをこの人はもう必要としていないのかもしれなかった。

 

SUCKはいろいろなメニューを乗せるとあっという間に長尺になってしまう曲だが、さすがにフェスの1曲目だけあって、考えられるかぎりもっともシンプルなSUCK OF LIFEだったと思う。続いて楽園。おお、知ってる、という空気が周りに流れるのがわかる。私の予想よりもかなりたくさんの「あまりよく知らないけどせっかく出るんならちょっと見ていこう」というタイプのオーディエンスがいたように思った。3曲目にROCK STAR。割と攻めるなあ、と私はおもった。私はもちろん最高に楽しいけれど、これはどういうふうに捉えられているのだろうか?と余計なことがちらりと頭をかすめた。エマとヒーセがいつものようにステージ中央でニコニコしながらすれ違い、それぞれ上手下手の客にアピールしている姿はいつ見てもいいものだが、それでもまだ吉井の顔には緊張が残っているように感じられた。

 

帰ってきたぜひたちなかー!と吉井は第一声で吼え、大きな拍手で迎えられた。雨のないひたちなかに来られてうれしいです、今日は代表曲をたくさんやりたいと思っているので、最後まで楽しんでいってください。

 

球根をやったあと、ALRIGHTのリフ。吉井はおれたちの再集結の曲だといって紹介し、ツアーではお馴染みの準備ALRIGHTのコール&レスポンスにはそれほど固執しなかった。リリースされたわけではないから、それこそ初聴きというひとも多かっただろうと思うのに、ALRIGHTにはそれこそ楽園や球根よりも場の空気を持ち上げる力があるように感じられた。はっきりとバンドエンジンが回り出したと思ったし、この空気に持っていければもう、あとは何も心配ない、というような爆発一歩手前の高揚感が客席にもステージにもあった。それをもたらしたのが他のどれでもなくALRIGHTだったのは意外で、そしてすごく嬉しいことだった。

 

ツアーの流れ通り、ここでSPARK。吉井はジャケットをここで文字通り脱ぎ捨てていた。永遠なんて1秒もいらねええ、と吉井は歌詞を替えて叫んでいた。文句のつけようのない、120点のSPARKだったとおもう。バンドの格好良さが右でも左でも真ん中でも、どこを見ても溢れてくるようだった。こういうステージだったんだよなあ、と私はおもった。16年前に私が予想して、期待していたのは、きっとこういうステージだったのだ。

 

バラ色の前のMCで、吉井は16年前のことに触れた。あの時はね、すごい雨で…。おれも空気よめないから、青いジャージなんかで来ちゃって。もうあんなことは…と真顔で語っていた吉井はすこし照れたのか、しないぜ、と少しの苦笑を交えながら語った。

 

16年前も私はたしか、このPAテントの近くで見ていたんだった。THE YELLOW MONKEYの開始前にひどく降り出した雨。前のスピッツが終わったあと、転換の際に当時JAPANの編集長だった鹿野さんがステージに出てきた。前にひとが押し寄せて危険だから、みんなすこし下がって、というアナウンスがあった。飛ぶなら上に飛んでください、今のTHE YELLOW MONKEYの曲は縦に乗れる曲だ、とも言っていた。当時はモッシュゾーンが前方に設けられていたが、そこに突入する気はまったくなかった。近づきもしなかった。3年前のフジロックフェスティバルでこてんぱんに叩かれたことはまだいやになるほど新鮮な記憶だった。吉井はジャージで、エマもものすごいカジュアルな格好で、アニーはバッサリ髪の毛を切っていた。アルバム「8」の楽曲を、ほぼ上から順になぞりましたというようなセットリストだった。発売前だった1曲を除いてすべてが「8」の中から演奏された。

 

たとえジャージでも、「8」の楽曲を上から順になぞったとしても、それが彼らの信念と、これで見に来た観客に何かを手渡せると信じてやっていたのなら、同じ条件でももっと違ったのかもしれない。でもそうではなかったんだろう。それは「やらなきゃならないリベンジ」という吉井の言葉からもそうだったんだろうとおもう。もちろん、あの雨の中のひたちなかは私の中で大事な、消えない思い出だし、あのドラマを共有できたことを代え難いと思いと共に抱いているけれど、だがこれぞTHE YELLOW MONKEYというセットリストで、世界一かっこいいと私が信じているバンドはこれです、これで好きになってもらえないのならもうしょうがない、というようなものを見せてほしいという願いは、16年前には叶わなかったことは事実だ。

 

ここにいる皆さんにも言っておかなきゃとおもうけど、もうTHE YELLOW MONKEYは生涯解散しません、と吉井は言った。THE YELLOW MONKEYにはやり残したことがたくさんある、せめてそれをやって死んでいこうじゃないか。また一緒にバラ色の日々を追いかけてくれませんか、と。

 

RIJFの出演が決まった時に、バラ色からのパール、これはぜったいやるに違いない、やってほしい、と思っていた。雨でずぶぬれになりながら聴いた「雨の中を傘をささずに」「雨は降るのに花はなかなか」。ことさら刻み込まれた記憶だった。吉井は観客のシンガロングを「素晴らしい」と讃えて聴き入っていた。続いてパール。あの疾走感のあるイントロ。吉井は「雨は降ったのに」と過去形に歌詞を替えていた。

 

THE YELLOW MONKEYの楽曲は、どちらかというと内に内にエネルギーがこめられていって爆発をする、というようなイメージの楽曲が多いが、パールは外に、外にとエネルギーが解放されていくような曲だ。「君にまた言えなかった」の「君」はあの中原繁さんのことだと吉井はかつて語ったことがあるが、だからこそあんなに、外に、天に伸びていくような力のある楽曲になったのだろうか。すっかり暮れた夜の空にどんどん音が放たれていくのが最高に気持ちよかった。空を見上げているとなんだか泣けてきてどうしようもなかった。間奏のところで皆の拳があがるのを見るのが好きだったが、この日は手拍子が湧き起こっていて、それもはじめてこのバンドに触れる人の多さを表しているように思えた。美しい夜で、美しい曲だった。わたしが今までに聴いた「パール」のなかで、おそらくもっともわすれがたいものになるだろう。君にまた言えなかった 夜がまた逃げていった…

 

しかし、感傷に浸る間もなく、パールのアウトロからそのままLOVE LOVE SHOWになだれ込む。最初の「おねえさん」を吉井は観客に歌わせていた。ステージに出てきた時の緊張の影はもうなかった。ステージで自由に息を吸い、生き生きとしているメンバーがそこにいた。アニーの前にエマが寄って、ヒーセが寄って、吉井が観客に背中を向けてアニーと向かい合って、みんな笑っていて、7月7日に吉井が「もういちどぼくとバンドをやってくれませんか」と投げかけた、その、こうありたかった「バンド」の光景を見ているような気がした。

 

ラブショーが終わった時点で時計を見ると、終演予定まであと10分ほどだった。ここでいったん捌けて、アンコールでJAMで終わりかな…とぼんやり思ったが、メンバーはステージにそのまま残っていた。観客からは手拍子。そのまま照明が点き、吉井は観客にほんとうにありがとう、最高の夜でした、と語りかけた。

 

今からやる曲は90年代の初めに書いた曲で、これから売れていこうぜってバンドがやるには重いし、長いし、いろいろと物議を醸したけど、このフェスを主催しているロッキンオンにすごく可愛がってもらって…2000年の、第1回のときには、雨でできなくて、だから今日はここでどうしてもやらなきゃいけない曲だと思っているので。もし知っているひとがいたら、英語のところだけでもいいからね、一緒に歌って下さい。

 

アニーのハイハット、そして湧き上がる歓声。MCでJAMだとわかる層ももちろんいるだろうが、吉井はおそらくそうではない観客のことも考えていただろうし、あのハイハットのあとに湧き上がる歓声を聞きたくて、曲名を明かさなかったのだろうと思う。英語のところだけでもいいからね、と言っていたのは、GOOD NIGHT数えきれぬ、のサビの英語のことを言っているのだった。そして吉井は律儀に数えきれぬ、夜を越えて、罪を越えて、僕らは強く、美しく…と観客のシンガロングをサポートしていた。涙化粧の女の子、と歌いながらアイメイクが流れたような仕草のあとにわらった顔がとてもいい笑顔だった。16年前に大勢のひとに手渡されるべきだった楽曲が、それをようやく果たすところを見られて、大袈裟でなくわたしの中の凝った思いが解けていくような気がした。

 

ここで終わりだろう、JAMのあとに続ける曲というのはなかなかに想像しにくかった。それぐらいあの曲は積んでいるエンジンがちがうと思っていた。しかしこれもアウトロから(JAMのアウトロから!新鮮が過ぎる)そのまま「あかつきにーーー!!!」と畳みかけていく。まさかの悲しきASIAN BOY。もうなんだか、どうしようもなく笑えてきた。たしかに、たしかにこれは、これぞTHE YELLOW MONKEYというセットリストに違いない!

 

見よう見まねのバラッバラのワイパー、不思議なタイミングで起こる手拍子、全部が楽しくてしょうがなかった。吉井は「牙を立てる」ところで律儀にシャツのボタンを外してから牙を立てていた。湧き起こる歓声。楽しい。みんなが好き勝手やっていて、でもこれ以上ないほど一体感があった。

 

最後の最後にステージを去るときまで、手を振って、メンバー同士じゃれあって、彼らもとっても楽しそうだった。そして終演と同時に花火。トリなので、アンコールがあるのが恒例ではあるけれど、それはなかった。でも、これは推測だけど、アンコールをさせる時間も惜しんで1曲多くやってくれたのではないか。もしラブショーのあとに捌けていたら、たぶんASIANをやる時間は残っていなかったのではないだろうかと思う。JAMはもちろん大好きだけど、最後の最後は明るく終わりたい、という気持ちもずっとあって、それすらも叶えてくれるとは、本当に今夜のTHE YELLOW MONKEYは魔法使いのようだった。

 

帰りのバスの中で、外に雨が降っていることに気がついた。海浜公園の方まで降っていたかどうかはわからないが、もちこたえてくださってありがとう、と心の底から天気の神様に感謝した(もしかしたら、民生がひたちなかに残っていてくれたのかもしれない)。雨のないひたちなかに来られたことがうれしいと吉井は二度も言葉にしていた。雨が降らなくてほんとうによかったと思う。でも、もし降っても、もうあの時とはぜんぜん違うんだよって言いたい。雨なんて気にしなくていいんだよって、何よりもそう言いたい。

 

フジロックではTHE YELLOW MONKEYのあとのレッチリが40分で中断しそのまま中止、RIJFTHE YELLOW MONKEYのあとテントが風で飛んで中止、そのあとに予定されていたRSRはエマの自然気胸でキャンセル。呪われているようなフェス歴だと思ってもしょうがないと思う。でもそうじゃないし、THE YELLOW MONKEYが出ても、雨が降っても、音楽もフェスも続いていく。

 

あとから思えば、SUCK OF LIFEで幕を開け、悲しきASIAN BOYで幕を閉じるのは、第1回フジロックのセットリストと同じだった。偶然なのか、そこにこだわったのか、それは私にはわからないけれど、でも16年前に観たいとおもっていたもの、その願いを叶えてくれたことは間違いなかった。数々のヒットチューンと、それを何倍にも大きくしてみせるパフォーマンス、あざやかなかっこよさ。多くのひとと共有したいと思っていたものを共有できた、すばらしい時間でした。おかえりなさい、心からそう言いたい。吉井や、エマや、ヒーセや、アニーにだけではなく、なによりもTHE YELLOW MONKEYと、その楽曲に。16年前より大きな力が私を動かしてくれるのを、私はずっと待っていました。本当にどうもありがとう。