30周年が来たりて笛を吹く #9「パール」2000.08.13国営ひたち海浜公園

長くなったらごめんよ。

 

2000年、第1回ROCK IN JAPAN FESTIVALでのアクトから「パール」。映像自体は過去に放送されたことがあるので、見たことがある人も多いかもしれません。ご覧いただければおわかりの通り、豪雨の中でのパフォーマンス。このあと強風によってステージの一部が破損し、THE YELLOW MONKEYのあとに予定されていたAJICOと中村和義のアクトは中止となりました。この年のTHE YELLOW MONKEYRIJFの前に石川POP HILLに出演、このあとはRISING SUN ROCK FESTIVALへの出演が決まっていましたが、エマの肺気胸によりRSRの出演はキャンセル。この夏フェスのしばらくあとに活動休止のアナウンスがあり、年明けの大阪ドームと東京ドームでのライヴをもってバンドは休止へ、そしてそのまま解散となったわけですから、このパールは解散前のTHE YELLOW MONKEYを第1期とすれば、その最終盤のパフォーマンスということになります。

 

THE YELLOW MONKEYとフェスというのを語り始めると、正直この30yearsの企画の枠に収まりきらないぐらい来し方行く末に想いを馳せてしまうし、馳せた分だけ書きなぐってしまいそうになりますが、ともかく、いまや誰もが夏フェスと聞いて思い浮かべる「ハッピー」なありさまは、このバンドにおいては無縁のもの「だった」わけです。吉井和哉はあの日、途中でこの荒天をさして「まるで今の自分の状態のようだ」というようなことを言った記憶があります。「ひどい仕打ちだぜ」とも。

 

けれど、それこそこのバンドが解散していなくなった後にも、私は何度もこの映像を見返していました。それはこの豪雨という状況の中、分解しそうになっているバンドに、いや豪雨だったからこそなのかもしれないけれど、起死回生の一発を思わせるようなきらめきを感じることができたからにほかなりません。今でもこの「パール」を聴くとき、あの雨の中、間奏で次々と高く掲げられていったオーディエンスの拳の波を私は思い出します。

 

2016年の再集結イヤーでこのひたちなかに帰ってきたTHE YELLOW MONKEYは、このときと同じくバラ色の日々からパールというセットリストを再現しましたが、バラ色前のMCで吉井和哉はこの2000年当時のことにふれ、あの時は凄い雨で、おれもジャージなんて着ちゃって。もうあんなことは、と言いかけて少しはにかみ、しないぜ、と語ったのでした。雨のないひたちなかに来られてうれしい、そうも言っていました。パールの歌詞の一部を変えて「雨は降ったのに花はなかなか」と歌っていました。

 

このバンドは、なかなかフェスというものにうまく愛されることができなかったかもしれないけれど、でも本当にありきたりな言葉だけど心の底から思う、この時があったから、あの雨の日があったから、今があって、今の美しい空をより愛することができるんだってこと。当時放送された番組の中の楽屋でのトークで「カツラが飛ばないように」「THE YELLOW MONKEYおでこを出すとへこむんで!」とおどけていた彼らの、この雨の中の必死としか言いようのないパフォーマンスは、今でもそのことを教えてくれるし、あの状況にあってもこのバンドが秘めていた、起死回生の一発とでもいうようなきらめきを感じさせてくれる、何物にも代えがたい1曲だと思います。