今を愛す

この間RIJFが終わったあとに吉井がKYのBBSに書き込みをしていて、まあ、非常に可愛かったわけだが(なにが可愛いって、渋谷さんの名前を間違えて、書き込んだあと即訂正しているところだ)(そこかよ)、やっぱり6年前を多少なりとも意識していたのだなあとちょっと思った。詩音ちゃんのblogで、本番直前までセットリストを熟考していたと書かれていたし、セットストックのあとそれなりに反省(?)していた様子はKYのblogなどでもうかがえていたわけだが、その甲斐あってひたちなかではバランスの取れたいいセットになっていたんじゃないかと思う。

ま、それをどうして広島の時から出来なかったのかね、とも思うわけですけども。

正直な話、新曲7発+ラブショー、と聞いたときはもう、かなりなダメージを実はくらっていたわけで、この夏全ての有給休暇を吉井の夏フェスに注ぎ込んでいる自分のテンションが地に落ちるほどだったと言っても過言ではない。

なんでそんなことで?と思われるかもしれないけども、私はプロというのはちゃんと観に来た人にお土産を渡せる人だ、という自分なりの考えがあって、で、じゃあ吉井さん、あなたそれでちゃんとお客さんにお土産を渡せたと思ってるの?と思ってしまったからなんですな。渡せたと思っていたなら甘いと言わざるを得ないし、渡すつもりがなかったのならちょっとそれは本気でどうかと思うよ、と言わざるを得ない。

やっていくうちにわかるものだ、という理論ももっともだが、そんなことぐらい、わかれよ!と私がもし広島に行っていたら思っていたと思うよ。だってセットストックにしか行かない人だってたくさんいるだろうにさ、その人にとっては一期一会じゃないか。考え抜いた末での選択だったのかもしれないが、しかしそうは見えなかったのも事実だろう。

そして、同じ理屈で、私はフェスでイエローモンキーの曲をやることに全く抵抗がない。

多くの人にとって、吉井和哉はやはり「イエモンのボーカル」であるし、そしてソロの吉井和哉には、イエローモンキー時代ほどの浸透力を持った「最大の武器」が無いのも事実だ。RIJFのLOVE LOVE SHOWで起こった、地響きのような歓声と、四方八方からグラスステージに向けて集団が駆け下りてきたということが、それを証明しているとも言える。聞けないと思っていた曲を、実際に体験できた、それはものすごい「サプライズ」で、「お土産」だ。そして6年前を彷彿とさせる「バラ色の日々」。何だ、結局イエモンかよ、という結論に飛びつくのは簡単だけども、それよりも多くの人を狂乱の渦に叩き込んだ、という事実の方が、フェスという場所では大事なのじゃないかな?と私は思う。

吉井がイエローモンキーの曲をやることに抵抗がある、というファンの根強い意見があるのもわかる。せつなく感じてしまうのも共感できないわけではない。だけど、本当にせつないっていうのは、自分達が生み出して育てた歌なのに、なんだかわからない「オトナ」が権利とかいうものを握って、その歌を愛することすら出来なくなることだったりするんじゃないのかなあ。

私が昔好きだったバンドは、メンバー同士が分裂し、権利関係のいざこざがあり、一部のメンバーがバンドに関する権利全てを放棄するという形で幕を閉じた。メンバーのひとりが亡くなり、もう二度とそのバンドが目の前に現れることは物理的になくなったが、いまだに権利を握った一部のオトナが、彼らに関する商品を手を変え品を変え発売し続けている。

それに較べてマシだ、などというつもりはないけれど、ただ少なくとも、「昔の歌に自分が教えられている」と言い、過去をなかったことにしないでいてくれるというのは、私にとってはなによりもありがたいことのように思える。

イエローモンキーのメンバーは本当に大人で、あれだけ困ったさんなボーカルを支え続けてくれた三人は特に理解と愛情に溢れたひとたちだったから、そんな事態になることなんて地球が逆回転しても有り得ないからこそ、そういうバンドを好きになれたことを幸運だったなあと思わないではいられない。

フェスで皆に渡す「お土産」に、イエローモンキーのナンバーを選んだということも、彼の昔への愛着が少なからずあるのだろうし、それは決して、悪いことばかりではないと私は思います。

過去の自分に負けないように、頑張れ吉井和哉、という気持ちもこめて。