世界を覆す呪文

短歌という爆弾―今すぐ歌人になりたいあなたのために 短歌という爆弾―今すぐ歌人になりたいあなたのために カゼをひいたのか頭がぼーっとし熱っぽい。じゃあ寝ろよって話ですがさっきまで寝ていたので寝れない。寝れないままよっすぃさんがのSo-netのインタビューで珍しく「最近読んだ本」とか聞いているので本の話。 別冊カドカワ永井豪さんとの対談で、永井さんが「自分が死ぬと思ったときに自分の周りに透明のバルーンができて家族の中に入っていけなかった」という話をしていて、吉井もそれに強い共感を示しているが、結局のところわたしは「そういう人」が創り出すものにすごくもっていかれる部分があるんだなあと改めて思った。 で、「そういう人」のひとりがこの穂村弘さん。 「今すぐ歌人になりたいあなたのために」という副題があるが、私は別に歌人になりたいわけでもないのだけどこの本は何回も読み直している。上記の対談を読んで、また久しぶりにこの本を引っぱり出して読んでいた。この本の「終章 世界を覆す呪文を求めて」は何度読んでも名文だと思うし、たとえばその呪文というのは永井豪さんにとっては漫画であり、吉井和哉にとってはロックだったんだろうと思う。 もちろん終章だけではなくて、とくに「構造図」に書かれている、強い感動を生み出す歌(短歌)には共感(シンパシー)と驚異(ワンダー)の要素が不可欠であるとし、共感だけでできあがっている歌が寸胴のコップのようだとしたら、そこに驚異というクビレを持たせることでより強い共感性を得ることが出来るという話などは、それこそ吉井和哉の作詞にも通じるところがあるんじゃないだろうか。 終章とはいっても、それは10ページほどの短い文で、そこで穂村さんは自分自身が「世界を覆す呪文」であるところの短歌に出会った体験を書いている。
ある夏の夜、自分もいつか死ぬんだということが急に生々しく迫ってきて怖ろしくなった。勉強机に散らばった教科書や消しゴムやシールが脈打つように生き生きと感じられて、それらのすべてが、いつか死ぬ、いつか死ぬ、と繰り返しているのだった。
中学校に入った頃から世界の不気味さはいよいよ本格化した。毎朝起きるたびに辺りには冷たい腐った臭いが充ちていた。「あたらしいあさがきた きぼうのあさだ よろこびにむねをひらけ あおぞらあおげ」というラジオ体操の歌が地獄のテーマソングのように感じられた。なぜみんなは、あれが平気なんだ。わからない。
穂村さんにとって、地下室で出会うデーモンは短歌という「スタイル」だった。この不気味な世界を五・七・五・七・七の形にあてはめていくことで、かれは「どこかの誰かが作った呪文」を求めようとしていたことが間違いだったと気付く。
私の呪文は明らかに不完全だった。だが完璧でなくても呪文は効くのではないか。(中略)完璧でなくてもいい。完璧でなくても、完璧を目指して、蛇のように何度も作ればいい。
彼の作った、世界を覆す呪文は不思議で、ときに強い共感と驚異を私たちに与えてくれる。 短歌には興味がないという方でも、面白く読める本だと思います。 呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」と貴方は教えてくれる 終バスにふたりは眠る紫の「降りますランプ」に取り囲まれて サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい