ひふみよ 小沢健二コンサートツアー 二零一零年 五月六月@中京大学文化市民会館オーロラホール

はじめに。

明日の大阪追加公演をふくめて4公演が残っていますが、まだご覧になって居ない方、もしかしたらご覧になるかもしれない方は絶対にこの先を読まないでください。

カテゴリーは「レポート」にしていますが、あまりレポートしてのお役にはおそらく立たないだろうと思います。結局のところは自分語りに終始してしまっています、まあ、いつものことですが。

とても長いです。

夢のような一夜でした。

私はその日、ワンピースを着ていったのだった。

ライブに行く本数が増えてきて、さらにはライブハウスで見る回数も増えてくると、ライブに(コンサートに)行くときに「身をやつす」ということからだんだん遠ざかっている自分がいた。足が疲れないもの、汗を吸いやすいもの、汚れても大丈夫なもの・・・そういった「実用」が大抵の場合優先されて、一期一会のデートに行くような、とっておきの洋服を選ぶような、そんな気持ちからはここしばらく遠ざかっていた。

だけど、この日は、朝、クローゼットの前に立って、今日は小沢くんのライブなんだ、とおもうと、ちゃんとしていかなきゃいけないなあという気持ちになったのだ。王子様に会いに行く、というのではもちろんないが、ただ、きっと叶わないだろうと思い込んでいたことが叶った、そして次は、いつ叶うかわからない、という気持ちが、どこかこの日の特別感をかき立てていたのだとおもう。

定時に会社を出て、化粧を直して、バスと地下鉄を乗り継いでオーロラホールまで、開演の30分前には到着することができた。一切のネタばれのようなものを避けてきていたので、物販があるのかないのかも知らず、ロビーでたくさんの人が並んでいるのを見て、あ、物販があるんだなとすこし驚いた。なぜかそういった「ライブにつきもの」な光景が存在していることをうまく想像できなかったのだ。Tシャツのサンプルと、売られている書籍の見本を見て、階段をのぼってぐるりと曲がりその見えない先までぎっしり並んだその行列を見て、迷うけど、欲しい気もするけれど、でも、まあ、いいや、とそのまま自分の座席に着席した。1階の後方で、下手の通路側だったが、段差があるおかげで視界がクリアに開けていて、ステージの様子がとてもよく見えた。

開演時間の7時を回ったころ、客席の方向に向けられたライトが、ひとつ、またひとつと点灯し、それはゆっくりと時間をかけてどんどん明度をあげていっていた。最初に点灯したうちのひとつが、後方の通路扉を照らしていたこともあって、前方席のお客さんが、まさか通路から登場するのだろうかと訝しむように何度も後ろを振り返っていた。しかし、点灯するライトの数はゆっくりと、しかし確実に増えていき、最後には客席全部が煌々と照らし出されるまでになっていた。

これは明転というやつだな、と私は思った。これだけ客席を明るく照らすのは、暗転にしたときにステージを見えなくするためだろう。ということは、板付きで出てくるのかしらん。私のその予想は当たってもいたし、外れてもいた。時計の針が7時15分を指そうかというころ、会場内のアナウンスの声が「開演から最初の2曲は足下の誘導灯も消灯します。あらかじめ非常口をご確認ください」と繰り返し、徹底しているなあと私はまだそのときはぼんやりと考えていた。

突然、シャッターがパタッとおちるように、目の前が真っ暗になった。完全な暗闇。隣の席の人が、立っているのか、座っているのかもわからない。同時に、会場全体から、唸り声のような歓声が轟きわたって、それは途切れることなく続いた。誰かがちかくで叫んでいる、と思ったが、それが私が出している声なのだと気がつくのにほんのすこし時間がかかった。

その自分の手の先も見えないほどの暗闇のなかで、まったく唐突に、「ひ、ふ、み、よ!」と声が響いた。次の瞬間、音楽が始まる。「流れ星ビバップ」。歓声は一層大きく長くなり、一斉に皆がハンドクラップをはじめる。その音楽に乗って小沢くんの声が聞こえてきたとき、ほとんど悲鳴といってもいいような声が会場を包んだ。私はもう泣いていたような気がする。

音楽がはじまっても、まだ会場は真っ暗な闇に包まれていたのだけれど、流れ星ビバップの旋律が止まると、ステージにぼうっとかすかなあかりが灯っていた。そこに小沢くんがいるのだ、というのはわかるのだけれど、ただわかるのは「いる」ということだけで、そのあかりは私の席からはあまりにも遠くはかなく見えた。

2003年。ニューヨークに大停電が起こる。

そのかすかなあかりは小沢くんが手元の原稿を読むためのものなのだろう、かれはまったく落ち着き払った、とでもいいたくなるような声で、淡々と夏の日の、電気が消えたニューヨークの夜を描写していく。停電は今夜一晩復旧しない。小銭をねだるホームレスのおっさんが大活躍し、皆が気を遣いあい、テレビの代わりにラジオが「ホームレスのおっさんのように」大活躍する夜を。そして彼は言う。暗闇のなかで聞く音楽は、いつもよりも甘くはっきりと聞こえる。暗闇のなかで聞く歌詞は、いつもよりはっきりとその意味が感じられる。その暗闇のなかで、同じ音楽を聴く、同じ気持ちの人がいることを感じる。明日には電力が復旧し、僕らはまたもとの生活に戻っていく。だけど、時間の裂け目で出会った音楽のことは忘れない。その記憶は消えることはない。

私は、擬音にたとえるならばごうごうと音がするほどに涙を流している自分に気づき、そしてその涙がまったくおさまる気配がないことにすこしばかり動揺した。流れ星ビバップがふたたび始まり、観客の熱心なハンドクラップがそれに応える。そうだ、この夜のことは忘れない。この暗闇の中で聴いた、流れ星ビバップのことは一生忘れない。

最初の2曲は、という事前のアナウンスの通り、照明はまだ点かない。だけど、それには意味があることが観客には伝わっていて、だれもがこの暗闇を楽しんでいることが感じられた。そして「僕らが旅に出る理由」。わあっと大きな歓声が湧き起こる。この日のライブで、この湧き上がるような歓声は最後まで途絶えることがなかったが、次の瞬間、その歓声のボルテージはいちだんとあがったのだった。

そして毎日は続いていく

丘を越え僕たちは歩く

その声とともに、ステージの照明が一斉にともされ、その光に照らされたバンドのメンバーと、小沢くんがはっきりと見えた。彼はまるで私たちを歓迎するかのように、大きく手を広げてそこに立っていた。

よく、夢のような、なんて形容詞を使うことがあるけれど、この夜はほんとうに、夢のような一夜だった。小沢くんが言った、淡々と過ごす日常のなかにある時間の裂け目で、私たちは一夜の夢を見たのだ、そう思う。13年ぶりのツアーということだけではなく、かれが傍から見ればとつぜんに、と言ってしまいたくなるような性急さで過去の楽曲たちに背を向けて(と、当時の私は考えていた)自分とこの世界をとりまく「生活」というものに身をひたしていたことは、熱心なファンであればあるほど心の片隅に残っていただろうし、だからこそこのコンサートがどういったものになるのか、ということが心の片隅に引っかかっていたひとも少なくなかっただろうとおもう。しかし、それが全くの杞憂であったことはあのすばらしいオープニングを見ればあきらかだったし、3時間ちかいコンサートの間、その歌声にほとんど疲労のようなものが滲まなかったことは、彼が常に音楽と歌うことを身近に置いていたことを如実にあらわしていた。彼はずっと表現というものを自分のちかくに置いていたのだ、そのことを痛いほど感じた時間でもあった。

大胆にアレンジされた「天使たちのシーン」、そこから新曲の「苺が染まる」(曲のまえにタイトルを言ってくれた)、ローラースケート・パークから東京恋愛専科、そしてまたローラースケート・パークへ。小沢くんは観客の反応をとてもよく見ていて、何度も熱心にそのレスポンスを煽っていた。ラブリーのイントロが流れてひときわ大きい歓声が起こると、小沢くんは「みんながお待ちかねのこの曲は、このあと1時間後に登場します」と言って会場の笑いを誘った。そして「13年待ったんだから、あと1時間ぐらい待てるでしょ?」と言ったのだ。

曲間に何度か、小沢くんは手元の原稿をめくって、13拍子のインストをバックに散文のようなものを読み上げた。それはいわゆる「ライブ」というものの姿からは遠い光景であったかもしれないけれど、私自身は彼のこのリーディングを心から楽しんで聴くことができた。それは、観客を啓蒙しようとかいうものではまったくなく、ただ小沢健二というひとの視点をつたえるもの、自分の立ち位置を示すようなもので、それになにより、「犬は吠えるがキャラバンは進む」のライナーノーツの素晴らしい文章を書いた彼なのだ、言葉遣いもリズムも、聴いていて心地良いと感じることができるものだった。笑いというものの微妙さ、大富豪のスニーカーの話、なかでも「安全」を語ったリーディングはとても印象深かった。

曰く、今日本では安全というのがひとつのキーワードになっている。どんな商品にも熱心に「安全」がうたわれている。だけど、そんな安全な国日本にも安全ではない場所がある。それは自転車。傘をさして歩道を歩くぼくの脇をおばさんが猛スピードですり抜けていく。一方通行の橋を渡っていると何台もの自転車が逆走してくる。酔っぱらってふらふらになったまま自転車に乗って帰る。アメリカでは、今話したことは全部禁止。自転車に乗っているときだけ、日本人のアジア的なスイッチがぱちんと入るのだろうか、そこには「まあ、死んでもいいよね~」という死への鷹揚さがあって、死を恐怖するキリスト教的社会とはまったく別の感覚があるように思う。

どこのリーディングの時だったか、すでに記憶が混在しているのだけど、いつだって世界のどんな街でも、街中でその国の大衆音楽が大音量で鳴り響いている、と小沢くんは言い、「この街の大衆音楽のひとつであることを誇りに思います、ありがとう」と言葉を続けた。

ステージの背面には左右にLEDのスクリーンがあって、撮影者は小沢くん自身なんだろうか、世界各地のさまざまな映像が時折流されていた。中でも「痛快ウキウキ通り」をバックに、インドか、バングラデシュかと思われる国の活気ある人の流れが映し出されていたのは印象的だった。演劇的な言い方をあえてするなら、それは「サブテキスト」に満ちた表現だった。そこに映っている人々はプラダの靴を探していたわけではないけれど、それは確かに「痛快ウキウキ通り」そのものに見えた。

戦場のボーイズライフ、強い気持ち・強い愛とどのカードをめくってもキラーチューン、という楽曲が続き、そのたびに観客は歓声とも悲鳴ともつかぬ声でそれに応えていたのだけれど、次の曲のイントロで湧き上がった歓声は一種異様とも思えるものだった。13年の間にたくさんのひとにカバーされ、愛されていた「心のベストテン第1位」。ミラーボールまで出てくるなんて、できすぎだ。その「今夜はブギー・バック」が始まる前、小沢くんは「みんなに歌ってもらいたいとこがある」、と言っていたのだけど、曲が始まった興奮にそれをすっかり忘れていて、それで途中で、あ、スチャダラのラップどうすんのだ、と思ったら、小沢くんはその16小節をまるまる私たちに託したのだった。そしてこれは本当に心から嬉しくて笑い出しそうになってしまったのだけど、誰も彼もがその16小節を完璧に覚えていて、一糸乱れぬ正確さできっちりとオーディエンスが声を合わせているのだった。2000人が一斉に歌う、ゲップでみんなにセイハロー。最高すぎる。

13年待ったんだから、という発言もそうだけど、決して単純ではないこの16小節の旅のはじまりをオーディエンスがかんぺきに歌ってくれる、と小沢くんは確信していたんだろうか、だとしたら、だとしたら、その信頼に応えることができて、こんなに嬉しいことはないよ。

私はこの日小沢くんのライブを見るにあたって、セットリストについての希望のようなものはほとんどなにもなかったといってよかった。どんな曲も初めてで、だからどんな曲でも嬉しいに違いないと思っていたし、実際その通りだった。だけど、もしひとつだけ、どうしても聴きたい1曲があるとしたら、それは「さよならなんて云えないよ(美しさ)」を聴くことができたら、ほんとに思い残すことはないなあと思っていた。だから、あのイントロが流れてきたときは本当に文字通り飛びあがってしまったんだけど、しかし1コーラス歌ったところで小沢くんは「メンバー紹介!」と言い放って、私の興奮はいったんお預けになってしまった。なんという!

しかし、小沢くんが心から信頼をよせて組まれたこの「ひふみよ」のバンドメンバーはまったくもって素晴らしいの一語で、曽我部恵一さんの言葉を借りるならば「今の日本でも屈指の」プレイヤーの演奏を、最高の楽曲で聴けるこの贅沢さと喜びといったらなかった。ひとりひとりの紹介を小沢くんがしていくとき、バックのスクリーンでは、このツアーのリハーサル初日と思われる風景が、つまり小沢くんとバンドメンバーの久しぶりの再開の場面が映し出されていて、その暖かい光景と、その彼らが奏でる音楽に、皆がずっと長く続く拍手を送っていた。

メンバー紹介が終わって、再び「さよならなんて云えないよ」へ。小沢くんの楽曲のなかでも、私がもっとも繰り返し、繰り返し繰り返し聴いた曲だった。「本当は思ってる 心にいつか安らぐ時はくるか?と」「嫌になるほど誰かを知ることはもう二度とない気がしてる」「本当はわかってる 二度と戻らない美しい日にいると そして心は静かに離れていくと」。曲のブリッジにさしかかったとき、これは私の思い込みなのかもしれないけど、小沢くんの声にぐっと力が入ったように感じられた。小沢くんは今でもこのフレーズを大事におもっているんだな、そう思った瞬間に、泣けてきて参った。

左へカーブを曲がると光る海が見えてくる

僕は思う!この瞬間は続くと!いつまでも

「ドアをノックするのは誰だ」。コーラスの真城さんの動きに合わせて、観客が一斉にハンドクラップしながら身体を左右に揺らす。ああ、これがドアノック・ダンス!本当に信じられない、2010年のいま、私は小沢健二のコンサートに来ていて、そしてドアノック・ダンスを踊っているなんて!

ある光の1フレーズ(我が儘を言えば、フルで聴きたかった・・・!人間の欲望は果てがない)から新曲「時間軸を曲げて」。そして「おまちかね」のラブリー!変更になった歌詞をあらかじめ練習したこともあって、みんなが大声で小沢くんの煽りにこたえて歌っていた。やっぱりこの曲は、小沢くんのどこかキラキラしたところを象徴するような楽曲なんだよなあと思ったし、でもそんなことよりもなによりも、この曲に合わせて身体を動かして、小沢くんに合わせて歌って、ハンドクラップしながらリズムを取っている間、それはもう「ハッピー」としかいえない瞬間の集まりだった。それが私にはとても嬉しかった。ただ、嬉しかったのだ。

「刹那」のアルバムと同じように、流れ星ビバップで始まった時間は、再び流れ星ビバップに帰ってきて終わった。最後はほとんどインストのように、スカパラホーンズや、ギターや、コーラスのみなさんがくるくると退場し、小沢くんも手を振りながら舞台を去った。観客には流れ星ビバップの歌が託されていて、みな律儀にその歌を絶やさぬようにしながら、バンドメンバーと小沢くんを手を振って見送った。曲が終わり、最後まで残ったピアノやドラムの方々を一層大きな拍手で見送ったあとも、誰も座ろうとはしなかった。すくなくとも私の回りでは、みんな立ったまま前方を凝視して、待っていた13年分のアンコールを送り続けていた。

アンコール。待っている間、そういえばいちょう並木をやっていない、と考えていたので、イントロを聴いたとき、やっぱり!と嬉しく思った。なんとなく、アンコールの1曲目にふさわしい曲だよなあと。「夜中に甘いキスをして」のところで、客席からフゥ~!という合いの手が飛んで、そうかこれがライブでのお約束だったのだな、なんて考えたりした。

最後の曲に行く前に、小沢くんからの挨拶。この最後のMC以外は、小沢くんがなにかその時々で思いついたことを喋る、といったような場面は一切なく、彼が自分の心情、みたいなものをほんのすこしでも匂わせたのは3時間あまりの時間の中でこの短い一瞬だけだった。ツアーについての感謝を述べ、「楽しくて…ここ最近、とても充実した時間を送れています」と心のこもった言葉で小沢くんは言った。メンバー紹介の時にスカパラの北原さんの紹介でミスをしてしまった!といい、改めて北原さんを紹介しなおし、北原さんにマイクに向かってひとこと、とジェスチャーで促していた。北原さんは、「13年ぶり?14年ぶり?本当に久しぶりにこうして一緒にツアーを回って…毎日、ぐっときてます」そして小沢くんに向かって「またやろう!」と言った。小沢くんはニコニコと、いや、表情なんてほんとは見えてないけど、きっとニコニコしてたんだとおもう、うんうんと何度か頷き返していて、本当だぞ、ぜったいだぞ、約束だぞ、と私は心の中でひとり勝手に小沢くんと固い握手を交わした気になっていた。

最後の曲は「愛し愛されて生きるのさ」。「家族や友人達と」の台詞の部分で、観客が大きく反応していた。You've got to get into the moonのリフレインを、小沢くんは「我ら時をゆく」と変えて歌っていた。台詞の部分を二度繰り返していた。最後は小沢くんの弾くアコギの音だけが残り、小沢くんを照らすピンスポットがだんだんと絞られ、かれの歌声が消える瞬間に、そのあかりもふっつりと消えた。これ以上ない、完璧な幕切れ。

何度もいうけど、ほんとうに夢のような一夜だった。小沢くんの声は最後までしっかり出ていたし、それに楽曲のアレンジ、緩急の付け方、コール&レスポンスのタイミングの巧みさは舌を巻くほどだった。心得ている、とでもいうのか、観客の心をがっちりと掴んだまま、最後の照明が消えるまで小沢くんはそれを離すことがなかった。かれはあのステージのうえで全てを掌握して君臨していた。ひとによっては、あの揺らぎのなさを受け入れられない、というひともいるかもしれない。確かに、このコンサートではあらゆるタイミングがきちんと図られ、ひとりの意思のもとに演出されていたとおもう。けれど、毎日決めたとおりのことを決めたとおりにやっても決めたとおりにならない、「LIVE」というものの真の魅力はそこにこそあるんじゃないだろうか。小沢くんはその、全てを尽くしたうえで生まれてくる揺らぎを、きちんと受け止めて反応してくれていたと思うし、だからこそあの素晴らしい時間を共有できたのじゃないかとおもう。

観客のボルテージはほんとうに最後の最後まで、まったく落ちることがなく、どんな曲もかならず最後は永遠に終わらないかと思うような長い長い拍手が送られていた。当たり前だけど、ライブ、コンサートというものはアーティストだけが作るものではない、観客は傍観者ではなく参加者なのだ、ということを思い知らされた。それはもちろん、今回のツアーが何年にもわたって行われてきたルーティンなものではなく、これまでのこと、そしてこれからのこと、楽曲だけを頼りにその思いを熟成させてきた「年月」というものがあってこその空気感だったことは間違いないことだと思うけれど、だとしても13年という月日、これだけたくさんのひとが、これだけ熱い思いを胸にこの日を待っていたという事実には心底胸を打たれたし、なによりも彼の生み出した楽曲たちそのものの力を感じないではいられなかった。

私は芝居を観ることも好きだし、ライブを見に行くことも好きで、いつだって何かを好きになったら、何かが気にかかったら、まずまっさきに「実際に見に行く」という現場主義を貫いていた。けれど、小沢くんにはあとほんのすこしのところで間に合わなかった。間に合わず、そしてきっと私は永久に乗り遅れてしまったんだと一度はそう思い込んでいた。開演前に買わずに済ませた物販に、私は終演後なんのためらいもなく並び、会場限定で販売されているかれの書籍をふたつとも購入した。ちょっとしたDVDBOXぐらいのサイズがあるその本を胸に抱えて、会場をあとにするとき、何度も何度も繰り返し聴いた「さよならなんて云えないよ」が頭のなかをぐるぐる回った。夢みたいだったなあと私は思った。この夢のことは一生忘れない。一生忘れないなんて、かんたんに言う言葉じゃないかもしれないけれど、でも一生忘れない。いまはただ、そう思っていたい。

最後に、小沢くんが今回のツアーをまわるにあたって「hihumiyo.net」で公開した文章の一部を引用させていただく。名文で、私がそこになにかを付け足すとそれは蛇足以外のなにものでもないが、たったひとついえることは、私はあの日いつまでも削れる魔法のチョコレートをひとかけもらったのだということだ。

社会について、あるいは私自身の歌詞で言うと「僕らの住むこの世界」について、考える中で思うことがあります。それは、陳腐な表現をすると、いかにコンサートが「愛に満ちた空間」であるかということです。どんなに激しい音で、厭世観あふれる歌詞を歌うロックバンドのコンサートでも、そこには憎しみよりも、ひそかな連帯感とか、愛のようなものが満ちています。その中で、日頃ひどい淋しさや疎外感を抱いている人も、束の間、それを離れることができます。

コンサートはそんな素朴で、実は貴重な空間です。その中で過ごしたほんの数時間を、私たちは一生憶えていたり、励みにしたりします。その貴重な空間の中で感じたことを、少しずつチョコレートを削って舐めるように、大切に削りながら毎日を暮らして、また来年のコンサートを楽しみにしている。そんな熱心な音楽ファンはたくさんいます。私自身も、その1人です。

私たちが過去に行ったコンサートも、ほんの一時、そんな貴重な空間をつくることができたものだったらいいと思います。そして、「ひふみよ」も。